第50話:騎士団の崩壊と公開断罪
早朝の王宮、「謁見の間」。
国の中枢であるこの場所は、張り詰めた緊張感に包まれていた。
玉座には、病気療養中の国王に代わり、国政を預かる宰相が座している。その周囲には、各省庁の大臣や高位貴族たちが集められていた。
その中央で、一人の男が声を張り上げている。
近衛騎士団長、ガレス・ド・ノワールだ。
「宰相閣下! これ以上、第零班の暴挙を看過することはできません!」
純白の礼服に身を包んだガレスは、被害者面で訴えた。
「奴らは無実の我が息子アランを拉致し、あろうことか私兵を使って騎士団本部を脅迫しました! これは捜査ではありません。第二王子レオンハルトによる、武力を用いた反乱の予行演習です!」
「ふむ……」
宰相は困惑したように髭を撫でる。
騎士団長の発言力は強い。だが、レオンハルト王子が理由もなく動くとも思えない。
「直ちに彼らを捕縛し、国家反逆罪で処刑すべきです! この国の秩序を守るために!」
ガレスが拳を振り上げた、その時だった。
ズゥゥゥゥン……!
地響きのような音が響き、重厚な謁見の間の大扉が、悲鳴を上げて開かれた。
いや、開かれたのではない。蹴り開けられたのだ。
「な、何事だ!?」
貴族たちが振り返る。
逆光の中、入り口に立っていたのは、泥と血にまみれた漆黒の戦闘服の男――レオンハルトだった。
その背後には、ボロボロのドレスを着たスカーレットが控えている。
そして、レオンハルトの手には、太い鎖が握られていた。
彼が鎖を乱暴に引くと、ズルズルと「何か」が引きずり込まれてくる。
「ひぃっ!?」
「な、なんだあの化け物は!?」
令嬢たちが悲鳴を上げ、大臣たちが後ずさる。
それは、人の形をした「ドス黒い紫色の物体」だった。
顔は腫れ上がり、全身が毒々しい紫色に染まっている。辛うじて服を着ていることから人間だと分かるが、その姿は異界の魔物そのものだ。
レオンハルトは、その物体をガレスの足元へと放り投げた。
「……大事な息子を返しに来てやったぞ、ガレス」
「な……?」
ガレスは目を剥いた。
足元で「あう、あう」と呻いている紫色の塊。その歪んだ顔に、見覚えのある面影を見つけたからだ。
「ア、アランか!? なんだその色は! 何をされた!」
「父さん……父さんッ!」
父親の声を聞き、アランが顔を上げた。
彼は恐怖で錯乱していた。レオンハルトという圧倒的強者による暴力と、スカーレットによる論理的逃げ道の封鎖によって、心は既に折れている。
彼は救いを求める幼児のように、父の足にすがりついた。
「助けて! こいつら悪魔だ! 僕をこんな色にして……!」
べちゃり。
アランが抱きついた瞬間、湿った音がした。
彼を染め上げていた特殊試薬――ニンヒドリン溶液の強化版が、ガレスの純白の礼服にべっとりと付着したのだ。
美しい白が、瞬く間に汚らわしい赤紫色に侵食されていく。
「う、わぁっ!?」
ガレスが飛び退いた。
「離れろ! 服が汚れるだろうが!」
彼は反射的に、息子を蹴り飛ばした。
アランが床に転がる。
会場に、冷たい沈黙が流れた。
騎士団長は、傷ついた息子を心配するよりも先に、自分の服の汚れを気にしたのだ。その姿は、彼の本性を何よりも雄弁に物語っていた。
◇
「……汚れる、ですか」
凛とした声が響く。
スカーレットが進み出た。ドレスは泥だらけで、髪も乱れている。だが、その瞳に宿る理性の光は、会場の誰よりも気高く輝いていた。
「ご安心を、閣下。その紫色はただの汚れではありません。『罪の色』です」
「な、何だと……?」
「化学反応によって可視化された、貴方たちの腐敗そのものです」
スカーレットは懐から、防水ポーチに入れて守り抜いた羊皮紙を取り出し、宰相へと提出した。
「宰相閣下。これは連続殺人事件の犯行現場に残された証拠と、アラン・ド・ノワールのDNAを照合した鑑定書です」
「で、でぃーえぬえー?」
「生命の設計図です。ご覧ください。現場の毛髪と、アラン様の型は完全一致。……さらに」
スカーレットは、もう一枚の図面を開いた。
「アラン様の遺伝子情報(Y染色体)は、父親であるガレス騎士団長のものと、生物学的に完全にリンクしています」
彼女はガレスに向き直り、冷徹に告げた。
「ガレス団長。貴方は以前、この鑑定書を『お絵描き』と嘲笑い、燃やしましたね?」
「ぐっ……」
「ですが、紙は燃やせても事実は消せません。何度燃やそうと結果は変わりません。貴方の血が、息子を犯人だと告発しているのです」
逃げ場のない論理の檻。
ガレスの顔が、怒りと恐怖で赤黒く変色する。
彼は腰の剣に手をかけた。
「だ、黙れ! 黙れ魔女め!」
彼は叫び、周囲の護衛騎士たちに命令を下した。
「誰か! この女をつまみ出せ! 騎士団を愚弄する逆賊だ! 斬り捨てろ!」
しかし。
騎士たちは、動かなかった。
彼らは剣の柄に手をかけたまま、視線を彷徨わせている。
目の前には、紫色の怪物に変わり果てたアランの惨状。息子を蹴り飛ばした団長の醜態。そして、全身から「正義の怒り」を放つレオンハルトの姿。
どちらが「騎士道」に背いているか、一目瞭然だった。
「き、貴様ら! 命令が聞こえんのか!」
「見苦しいぞ、ガレス」
レオンハルトが一歩踏み出す。
それだけで、ガレスは腰を抜かしてへたり込んだ。
「息子は認めたぞ。『父さんが言ったんだ、バレなきゃいい、揉み消してやるって』とな」
「ひっ……!」
アランが泣きじゃくりながら頷く。
決定的な証言。
宰相が、重々しく告げた。
「……勝負あり、だな」
宰相の合図で、王宮の衛兵たちが動き出す。
彼らが取り押さえたのは、レオンハルトたちではなく、ガレスとアランだった。
「ガレス・ド・ノワール。貴様を殺人教唆、および証拠隠滅の罪で拘束する。……息子共々、法の裁きを受けよ」
「は、放せ! 私は騎士団長だぞ! 魔法こそが正義だ! あんな紙切れ一枚で、私が裁けるものかぁぁぁ!!」
ガレスは紫色の手形がついた服のまま、無様に引きずられていく。
その断末魔のような叫びは、重い扉の向こうへと消えていった。
古い権威が、新しい時代(科学)によって葬り去られた瞬間だった。
◇
静まり返った広間。
貴族たちは、畏怖の眼差しでスカーレットを見つめている。
彼女は、乱れた髪をかき上げ、会場全体に向けて宣言した。
「皆様。魔法は素晴らしい力です。この国を支える礎です」
彼女の声は、静かだが、隅々まで届いた。
「ですが、事実は魔法よりも重い」
「見えないから無罪、魔力がないから証拠にならない……そんな理屈は、今日で終わりです」
彼女は眼鏡のブリッジを押し上げた。
「今後、王宮内で罪を犯せば、私の顕微鏡が全てを見ていると思ってください。……私の目からは、塵一つ逃げられませんよ?」
それは、この国に「科学捜査」という新たな抑止力が生まれた瞬間だった。
誰かが、パチパチと拍手をした。それはやがて、会場全体を包む喝采へと変わっていった。
「……行くぞ、スカーレット」
レオンハルトが、スカーレットの肩を抱き寄せた。
彼もまた、傷だらけでボロボロだ。だが、その表情は憑き物が落ちたように晴れやかだった。
「帰ろう。……長くて、酷い夜だった」
「ええ。酷い夜でした」
スカーレットはふっと力を抜き、彼の腕に身を預けた。
「帰って消毒しましょう。……殿下の傷も、手当が必要です」
「ああ。頼む」
二人は寄り添い、朝日が差し込む扉へと向かう。
その背中は、どんな着飾った貴族よりも高潔で、美しかった。




