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婚約破棄の現場から失礼します。その「冤罪」、科学捜査(フォレンジック)で論破させていただきます 〜前世科捜研の私が、魔法世界の完全犯罪をDNA鑑定で暴くまで〜  作者: ヲワ・おわり
第11章:透明な切り裂き魔と『螺旋の遺伝子』

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第49話:動かぬ証拠、Y染色体の証明

 地下廃墟の床は、水と泥、そしてアランの傷から流れた血で汚れていた。

 その中央で、騎士たちに取り押さえられているのは、見るも無惨な「紫色の物体」だ。


 アラン・ド・ノワール。

 全身を特殊試薬で染め上げられ、顔はレオンハルトの拳によってボコボコに腫れ上がっている。かつての端正な貴公子の面影は微塵もない。

 だが、彼の口だけはまだ元気だった。


「離せ! 俺は被害者だ!」


 アランは泥にまみれながら喚き散らす。


「通り魔だ! いきなり襲われて、変な薬をかけられたんだ! 俺は何もしていない!」

「まだ言うか。現行犯だぞ」


 レオンハルトが呆れ果てたように見下ろすが、アランは怯まない。

 彼にはまだ、すがりつくべき最後の砦――「権力」があったからだ。


「証拠はあるのかよ! 俺が誘拐した証拠も、殺した証拠もねえだろ!」

「……」

「第零班が俺をハメたんだ! 親父に言いつけてやる! 騎士団長の息子をこんな目に遭わせて、タダで済むと思うなよ! 全員処刑してやる!」


 見苦しいほどの虚勢。

 だが、それはこの国においては有効な武器だった。「疑わしきは罰せず」ではなく、「権力者は罰せず」がまかり通る社会だからだ。

 証拠がなければ、騎士団長の政治力で揉み消される可能性は高い。


 スカーレットは、ボロボロに汚れたドレスの埃を払いながら、その様子を冷ややかに眺めていた。


「……見苦しいですね」


 彼女は一歩、アランに近づく。


「貴方のその全身の紫色は、貴方がそこに『いた』という物理的な証拠です。言い逃れはできません」

「色がなんだ! ただの汚れだ! 俺が人を殺した証拠にはならねえ!」

「そうですか。では――」


 スカーレットは懐に手を入れた。

 防水ポーチの中から取り出したのは、一枚の羊皮紙。

 水攻めの中でも、乱闘の中でも、彼女が命がけで守り抜いた「切り札」だ。


「貴方が殺した証拠を提示しましょう」


          ◇


 テオがランタンを掲げる。

 薄暗い地下室に、スカーレットが広げた羊皮紙が照らし出された。

 そこに描かれているのは、無数の黒い横線が並んだ、二列の幾何学模様。


「なんだ、それは。……お絵描きか?」


 アランが鼻で笑う。

 以前、彼の父ガレスが「妄想日記」と嘲笑って燃やしたものと同じ図面だ。


「これは『DNA鑑定書』です」


 スカーレットは、テオのランタンの光を指し棒代わりに、図面を解説する。


「上段の模様を見てください。これは第三の殺人現場、何もない空間に残されていた『透明な髪の毛』から抽出した、生命の設計図バーコードです」

「……」

「そして下段。これは、貴方の私物である『くし』から採取した、貴方の髪の毛のデータです」


 スカーレットは、二つの模様を指でなぞった。


「ご覧なさい。線の位置、太さ、間隔……すべての縞模様が、完璧に一致しています」


 それは、誰の目にも明らかな「同一」の図形だった。


「これが意味するのは一つ。現場にいた透明人間と、貴方は、生物学的に同一人物であるという逃れられない事実です」

「ハッ!」


 アランは嘲笑した。


「馬鹿かお前は。そんな線、お前が適当に描いただけだろうが!」

「……」

「誰が信じるんだ? そんな紙切れ一枚で! 俺の髪だと言うなら、親父がそれを否定してくれるさ! ノワール家は結束が固いんだよ!」


 彼は理解していない。科学の冷徹さを。

 権力や口裏合わせで、捻じ曲げられるものではないことを。


「……そう来ると思っていました」


 スカーレットは、もう一枚の羊皮紙を取り出した。

 そこには、また別の縞模様が描かれている。


「ですから、お父様(騎士団長)のデータも用意しておきました」

「は……?」

「以前、レオンハルト殿下が騎士団長に詰め寄った際、その手から皮膚片を採取させていただきました」


 レオンハルトがニヤリと笑う。

 騎士団に殴り込んだ際、彼はただ暴れただけではなかったのだ。スカーレットの指示通り、ガレスと接触し、サンプルを回収していたのである。


「こ、今度は親父の図か? それがどうした!」

「男性の遺伝子には、特有のルールがあります」


 スカーレットは、二枚の鑑定書を並べた。


「性別を決める『Y染色体』。この情報の配列は、父親から息子へ、ほぼそのままの形で受け継がれます。いわば、血筋の刻印です」


 彼女は、犯人のデータと、騎士団長のデータを指差す。

 特定のエリアの縞模様が、完全に一致していた。


「見てください。現場に残された『透明な髪の毛』のY染色体パターンは、騎士団長ガレスのものと完全一致しています」

「な……」

「つまり、現場の髪の持ち主は、間違いなく『騎士団長と血の繋がった男性』であると、科学的に証明されました」


 アランの顔から、嘲笑が消えた。

 意味が分からなくても、スカーレットの放つ言葉の重みが、真綿のように首を絞めてくるのを感じたからだ。


「さて、アラン様。詰み(チェックメイト)です」


 スカーレットは、紫色の男を見下ろして告げた。


「この髪の持ち主は、ノワール家の男です。もし貴方が『俺の髪じゃない』と言い張るなら……残る容疑者は一人しかいませんね?」


 彼女は、悪魔的な二択を突きつける。


「貴方は、『父上(騎士団長)こそが連続殺人犯だ』と主張しますか?」


          ◇


「あ……あぁ……」


 アランの唇が震えた。

 全身の紫色の上からでも分かるほど、顔色が青ざめていく。


 逃げ道がない。

 「俺じゃない」と言えば、それは「親父が犯人だ」と言うことになる。

 尊敬し、畏怖し、権力の源泉である父親を殺人犯呼ばわりすることは、彼にはできない。それをすれば、彼は家を失い、破滅する。

 だが、認めれば自分が捕まる。


「そ、そんな……親父が犯人なわけがない……」

「では、貴方ですね」


 スカーレットは容赦なく畳み掛ける。


「科学(DNA)は嘘をつきません。犯人は貴方か、貴方のお父様か、どちらかしかあり得ないのです」

「ち、違う……俺は……」

「どちらですか? 今ここで、騎士団長を告発しますか?」


 追い詰められたネズミのように、アランの目が泳ぐ。

 自身の「透明化」という絶対の安全圏は、紫色の試薬で剥がされた。

 そして今、精神的な安全圏である「親の権威」も、科学のロジックによって封鎖された。


 ガタガタと、アランの体が震え出す。

 そして――。


「……お、俺だ」


 彼は、糸が切れたように首を垂れた。


「俺がやった……。親父は関係ない……」


 自白。

 その瞬間、彼の「透明人間」としての万能感も、貴族としてのプライドも、粉々に砕け散った。


「……確保」


 レオンハルトが短く告げる。

 騎士たちがアランを担ぎ上げた。紫色の怪物は、もはや抵抗する気力もなく、ぐったりとしている。


「連行しろ。……これより王宮へ戻り、騎士団長の前でこの感動的な『親子鑑定』を披露してやる」

「ええ。息子を守るために証拠を隠滅した父親が、息子の罪を証明する『血』を提供していたとは……皮肉な話ですね」


 スカーレットは羊皮紙を大切にポーチにしまった。

 これが、トドメの一撃になる。


 一行が地下の迷宮から地上に出ると、東の空が白み始めていた。

 昨夜の嵐は去り、澄んだ朝の光が王都を照らしている。


「……空気が美味しいですね」


 スカーレットは大きく息を吸い込んだ。

 下水と血の臭いが消え、代わりに朝露の香りがする。


「腐敗臭が消えました。……さあ、行きましょう殿下」

「ああ」


 レオンハルトとスカーレットは並んで歩き出す。

 向かう先は王宮。

 腐った権力を断罪するための、最後の法廷へ。

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