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婚約破棄の現場から失礼します。その「冤罪」、科学捜査(フォレンジック)で論破させていただきます 〜前世科捜研の私が、魔法世界の完全犯罪をDNA鑑定で暴くまで〜  作者: ヲワ・おわり
第11章:透明な切り裂き魔と『螺旋の遺伝子』

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第48話:特殊試薬「プロテイン・ステイン」

テオの投げたビンがアランに当たり、割れて水が飛び散る。

 アランの声が、嘲笑と共に響く。

「ハッ! ヤケクソか? 水を浴びせれば見えるとでも? 無駄だ、俺のスキルは雨だって透過するんだよ!」


 ビンが割れアランにかかったそれは水ではなかった。

 強烈な薬品臭を放つ、無色透明な液体。

 スプリンクラーのように降り注ぐ液体の雨が、狭い部屋全体を濡らし、アラン(透明状態)もレオンハルトも、そしてスカーレットさえもずぶ濡れにする。


「ぐっ、なんだ!?」


 アランの狼狽する声。

 だが、彼はすぐに持ち直す。


「ハハハ! 驚かせやがって! 水攻めのつもりか!?」


 彼の姿は、依然として透明なままだ。

 液体が滴る音はすれど、その雫さえも彼の体に触れた瞬間、視認できなくなっている。


「悪くないアイデアだが、無駄だ! 俺のユニークスキル【完全隠蔽】は、体表面に『認識阻害の膜』を張る! 水に濡れようが、泥を被ろうが、膜の内側にあるものは全て透明化するんだよ!」


 それが、彼が最強の暗殺者たる所以だった。

 光学的迷彩に加え、付着物まで同化して消してしまう概念的な隠蔽。ペンキをかけようが小麦粉を撒こうが、一瞬で「見えない汚れ」に変わるだけだ。


「無駄な抵抗だ! 死ね、レオンハルト!」


 アランは勝利を確信し、再び殺意の刃を構えて踏み込んだ。

 レオンハルトは血を流し、満身創痍だ。水浸しになった足場では、回避もままならない。

 絶体絶命。


 ――しかし。

 その光景を、床に横たわったまま見つめるスカーレットの瞳だけは、冷徹に透き通っていた。


「……3」


 彼女は、濡れた髪が頬に張り付くのも気にせず、静かにカウントダウンを始めた。


「2、1」


 アランの刃が、レオンハルトの喉元に迫る。

 その瞬間。


反応開始リアクション・スタート


 スカーレットは冷酷に告げた。


「アラン様。貴方は魔法を過信しすぎて、『物質の化学結合』を甘く見ています」


          ◇


「……あ?」


 アランの足が、ピタリと止まった。

 違和感。

 液体を浴びた全身の皮膚が、チリチリと焼けつくような熱を持ち始めたのだ。

 痛みではない。だが、体の内側から何かが湧き上がってくるような、生理的な不快感。


「なんだ、これ……熱い……?」


 彼は自分の手を見た。

 そこには何も無いはずだった。透明な手、透明なナイフ。

 だが――色が、滲み出した。


 じわり。


 何もない空間に、毒々しい「赤紫色」の染みが浮かび上がる。

 最初は指先。次に手の甲。

 それは見る見るうちに広がり、腕を駆け上がり、顔を侵食し、全身へと伝播していく。


「う、わぁっ!?」


 アランが悲鳴を上げる。

 鏡がなくとも分かる。自分の体が、どす黒い紫色に染まり始めていることが。

 透明だったはずの怪物が、見るも無惨な「紫色の濡れ鼠」へと変貌していく。


「な、なんだこれ!? 色が、取れねえ!?」


 彼はパニックになり、顔や服を必死に擦った。

 だが、拭えば拭うほど色は濃くなり、皮膚の奥深くまで浸透していく。まるで呪いのように、その色は彼を捕らえて離さない。


「水ではありません」


 スカーレットが、拘束されたまま身体を起こした。

 彼女は自分にかかった液体を見ても、眉一つ動かさない(彼女の服は防水加工されている)。


「それは私が調合した『ニンヒドリン溶液(の強化版)』です」

「ニン……何だと!?」

「タンパク質のアミノ基に反応し、強固な結合を作って発色する試薬です。通常は指紋の検出などに使われますが……濃度を高めれば、全身を染めるマーカーになります」


 スカーレットは、紫色のマヌケな姿になった殺人鬼を指差した。


「貴方のスキルが透明化しているのは、あくまで『光の反射』です。ですが、そこに存在する『皮膚(タンパク質)』そのものまでは消せません」

「だ、だから何だ! 俺のスキルは汚れも隠すはずだ!」

「ええ。ですがこれは汚れ(付着)ではなく、『化学変化(変質)』です」


 彼女はニヤリと笑った。マッドサイエンティストの笑みだ。


「この反応は、貴方の認識阻害の膜を透過し――貴方の皮膚そのもので起きているのです。貴方が皮膚をすべて剥ぎ取らない限り、その色は消えません」


 アランは絶句した。

 魔法の理屈ではない。物質としての「変色」。

 透明人間がペンキを被ったのなら、ペンキごと透明にすればいい。だが、透明人間自身が「紫色人間」に変質してしまったら?

 隠しようがない。


「皮膚の代謝ターンオーバーが終わるまで……約二週間、貴方はその『紫色の怪物』のままです」

「あ……あぁ……」

「透明人間の魔法は解けました。そこにいるのは、ただの派手な不審者ですね」


          ◇


「……見えたぞ」


 低く、地を這うような声が響いた。

 レオンハルトだ。

 彼は顔に浴びた液体を拭い、濡れた前髪をかき上げた。

 その下から現れた瞳は、獰猛な肉食獣のように輝いている。


「よくやった、スカーレット。……これだけ目立てば、目をつぶっていても斬れる」


 レオンハルトはゆっくりと長剣を構え直した。

 先ほどまでの、見えない敵に対する焦りや迷いは微塵もない。あるのは、獲物を前にした絶対的な強者の余裕のみ。


「ひっ……!」


 アランが後ずさる。

 本能が理解した。勝てない、と。

 見えなければ最強の暗殺者。だが、見えてしまえば、ただの人殺し。

 歴戦の猛者であり、国一番の剣士であるレオンハルトに、正面から挑んで勝てる道理など万に一つもない。


「く、来るな! 俺は……!」


 アランは必死に魔力を練り、透明化しようとする。

 だが、紫色は消えない。

 空中に、紫色の人間が浮いているだけだ。余計に目立つ。


 ダンッ!


 レオンハルトが床を蹴った。

 その速度は、先ほどまでの防戦一方の動きとは次元が違っていた。

 音速を超えた踏み込み。


「たっぷりと教えてやる。……『見える痛み』というやつをな」


 銀閃が走る。


 ズバァッ!!


「ぎゃあああああッ!?」


 アランの絶叫が地下室に木霊する。

 彼が持っていたナイフが弾き飛ばされ、右肩から鮮血が噴き出した。

 だが、レオンハルトは止まらない。


「遅い」


 返す刀で、左足の太腿を切り裂く。

 アランが崩れ落ちる。


「逃げるな。まだ四肢が残っているぞ」


 レオンハルトは剣の腹でアランを殴り飛ばし、壁に叩きつけた。

 ドォン、と重い音がして、アランが紫色のボールのように跳ねる。


「が、はッ……ゆる、して……」

「許す? 誰が?」


 レオンハルトは、アランの顔面――紫色の頬を、軍靴の底で踏みつけた。


「スカーレットを拐い、傷つけ、殺そうとした。……その罪を、死ぬより辛い痛みで償え」


 それは戦闘ではなかった。一方的な処刑であり、教育的指導だった。

 物理的な暴力の嵐。

 スカーレットは、その光景を眺めながら、ようやく切れたロープを解いた。


「……殿下。ほどほどにしてくださいね。死なせてしまっては、法で裁けませんから」


          ◇


 数分後。

 部屋の床には、全身が腫れ上がり、ピクリとも動かない紫色の物体――アランが転がっていた。

 レオンハルトは剣の血糊を払い、息を整える。


「……ふぅ。少しスッキリした」

「野蛮ですね」


 スカーレットが苦笑する。

 そこへ、破壊された扉の向こうから、多数の足音が近づいてきた。


「殿下! ご無事ですか!」


 飛び込んできたのは、応急処置を終えたレイブンと、レオンハルトの私兵たちだ。

 彼らは部屋の惨状を見て息を呑み、そして床に転がる物体を見て目を丸くした。


「な、なんだこの紫の生き物は……?」

「新種の魔獣か?」

「犯人のアラン・ド・ノワールです」


 スカーレットが淡々と告げる。


「拘束を。……この色は二週間は落ちませんので、逃げ出してもすぐに見つかりますよ」


 騎士たちが慌ててアランを取り押さえ、後ろ手に縛り上げる。

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