第46話:地下水道の追跡劇
そこは、世界から忘れ去られた場所だった。
王都の地下深くに広がる「旧地下水道」。
数十年前に廃棄され、地図からも抹消されたこの区画は、腐敗した汚水と有毒ガス、そして光を嫌う魔物たちが巣食う迷宮と化していた。
鼻を突く強烈な腐臭。肌にまとわりつく湿気。
完全なる闇の中、頼りになるのはレオンハルトが掲げる「紫外線投光器(UVライト)」が放つ、不気味な紫色の光だけだ。
「ひっ、ひぃっ……!」
ガラス職人のテオが、青ざめた顔で口元を押さえる。
無理もない。足元では汚泥がピチャピチャと音を立て、闇の奥からは正体不明の生物が這い回る音が聞こえてくるのだ。
だが、レオンハルトの足は止まらない。
彼の視線の先には、闇を切り裂くように輝く「蛍光グリーンの点」が続いていたからだ。
(……スカーレット)
彼女が靴底に仕込んだ特殊塗料。
それは、この絶望的な迷宮における、唯一にして絶対の「希望の糸(アリアドネの糸)」だった。
◇
一行が進むにつれ、気配が濃くなる。
殺気だ。
「キシャアアアッ!」
突如、汚水の中から黒い影が飛び出した。
猫ほどもある大きさの「魔化ドブネズミ(ジャイアント・ラット)」。その鋭い牙には、致死性の病原菌が含まれている。
一匹ではない。天井から、壁の隙間から、無数の赤い目が光り、一行を取り囲む。
さらに、酸を撒き散らす「アシッド・スライム」が、退路を断つように滲み出てきた。
「魔獣の群れだ! 迎撃せよ!」
近衛騎士たちが剣を抜き、盾を構える。
狭い通路での乱戦。数的不利。
本来なら、慎重に陣形を組んで対処すべき場面だ。
だが。
「――邪魔だ」
冷徹な声と共に、黒い疾風が騎士たちの間を駆け抜けた。
レオンハルトだ。
彼は盾の後ろに隠れるどころか、単身で魔獣の群れへと突っ込んでいく。
「で、殿下!? 危険です、お下がりください!」
「下がっていろ。……今の俺は、機嫌が悪い」
レオンハルトは、腰の長剣を抜き放った。
魔法の詠唱はない。
あるのは、風属性の魔力を身体強化のみに注ぎ込んだ、純粋な物理速度。
ザンッ!!
銀閃が走った。
先頭で飛びかかったネズミが、悲鳴を上げる間もなく空中で両断される。
断面が焼けるほどの神速。
「ギ、ギィ……!?」
仲間が瞬殺されたことに怯む魔獣たち。
だが、レオンハルトは止まらない。彼は流れるような足運びでスライムの懐に潜り込むと、その核を一突きで粉砕した。
パァン! とスライムが弾け飛び、ただの汚水へと還る。
「……遅い」
レオンハルトは剣を振るい、刃についた汚れを払った。
その動きには、一切の無駄がない。
普段は知性派を気取り、スカーレットに振り回されている第二王子。だがその本質は、王宮騎士団の師範代さえも唸らせる、生粋の「武人」である。
次々と襲いかかる魔獣を、彼は表情一つ変えずに屠っていく。
魔法を使えば崩落の危険があるこの場所で、彼の剣技は最強の解答だった。
「す、すげぇ……魔法なしで……」
テオが呆然と呟く。
鬼神の如き強さ。彼が通った後には、魔獣の死骸と、切り開かれた道だけが残された。
レオンハルトの指示で、一行はひた走る。
蛍光の道標は、迷宮の最深部へと確実に彼らを導いていく。
◇
やがて、風景が変わった。
煉瓦造りの下水道が終わり、荒削りな岩肌が剥き出しの「旧鉱山エリア」に出る。
その突き当たり。
蛍光グリーンの点々は、巨大な鋼鉄の扉の前で途切れていた。
かつて資材搬入に使われていたと思われる、堅牢な両開きの扉。
錆びついてはいるが、厚さは数十センチあるだろう。魔法による封印も施されている気配がある。
「ここが……終着点」
レオンハルトは扉に耳を当てた。
分厚い鉄の向こうから、微かに人の話し声が漏れてくる。
『……あ? なんの音だ?』
男の声。アランだ。
そして――。
『……残念ですが、時間切れ(タイムオーバー)ですよ、アラン様』
凛とした、冷ややかな女の声。
スカーレットだ。
その声に震えはない。恐怖に屈することなく、勝利を確信した女王のような響き。
レオンハルトの中で、何かが弾けた。
安堵と、愛しさと、そして――彼女を危険な目に合わせた男への、煮えたぎるような殺意。
「殿下、突入班を編成します。解錠班の到着を待って……」
「待てない」
レオンハルトは騎士の進言を遮り、扉の正面に立った。
彼は剣を鞘に納める。
代わりに、右手に膨大な魔力を集中させる。風と衝撃、二つの属性を練り合わせた、攻城兵器級のエネルギー。
「どけ。……ノックは不要だ」
彼は右手を、砲身のように扉に向けた。
「扉ごと、こじ開ける」
空気が軋む。
地下道の酸素が、彼の手のひらに吸い寄せられていく。
「――【穿孔衝撃】!!」
ドォォォォォォォォンッ!!
炸裂音。
それは魔法というより、物理的な爆発だった。
数十センチの厚みを持つ鋼鉄の扉が、飴細工のようにひしゃげ、蝶番ごと弾け飛ぶ。
轟音と共に、扉が部屋の内側へと吹き飛んだ。
土煙が舞い上がる。
その中を、レオンハルトは堂々と踏み込んだ。
部屋の中。
驚愕に目を見開くアラン。
そして、椅子に縛られたまま、埃まみれの顔でニヤリと笑うスカーレット。
レオンハルトの瞳が、アランを捉える。
もはやそこに、王子の慈悲はない。
「……お楽しみ中すまないが」
彼は、地獄の底から響くような声で告げた。
「害虫駆除の時間だ」
最強の剣が、届いた。
ここからは、一方的な蹂躙が始まる。




