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婚約破棄の現場から失礼します。その「冤罪」、科学捜査(フォレンジック)で論破させていただきます 〜前世科捜研の私が、魔法世界の完全犯罪をDNA鑑定で暴くまで〜  作者: ヲワ・おわり
第10章:拉致監禁と反撃の狼煙

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第45話:残された道標(サイエンス・トレイル)

 時間を、少し遡る。

 スカーレットが連れ去られた直後、レオンハルトが現場に到着した時のこと。


 下層区の路地裏は、絶望的な冷たさに包まれていた。

 叩きつけるような豪雨が石畳を打ち、泥水を洗い流していく。

 そこに倒れていた護衛のレイブンは、すでに医療班によって搬送された後だった。残されたのは、誰もいない闇と、降りしきる雨音だけ。


「……殿下」


 先行して現場を捜索していた近衛騎士の隊長が、沈痛な面持ちで膝をついた。


「申し訳ありません。……痕跡トレースが、ありません」

「ない、だと?」

「はい。雨がすべてを洗い流してしまいました。犯人の足跡も、魔力の残滓も、匂いさえも。探知魔法も反応しません。これでは、東西南北どちらへ連れ去られたのかすら……」


 騎士の声が震える。

 彼らもまた、必死だった。主君の大切な人を守れなかった悔しさと、手掛かりが完全に途絶えた無力感に打ちひしがれていた。

 「見えない敵」に、さらに「雨」という天然の隠れ蓑まで与えてしまったのだ。常識的に考えれば、これ以上の追跡は不可能だった。


 だが。

 レオンハルトだけは、絶望していなかった。


「……諦めるな」


 彼は雨に打たれながら、鋭い眼光で虚空を睨みつけた。


「相手はスカーレットだぞ? あの傲慢で、計算高くて、甘党の科学者だ。ただ大人しく連れ去られるようなタマか?」

「し、しかし……」

「彼女は必ず残している。犯人には見えず、魔法使いにも見えず……俺たちにしか読めない**『手紙』**をな」


 レオンハルトは振り返り、後ろに控えていたガラス職人のテオに顎でしゃくった。


「テオ。例の『箱』を開けろ」

「は、はいっ!」


 テオが背負っていた木箱を、泥の上に置く。

 中から取り出されたのは、奇妙な形をしたカンテラだった。

 通常の魔石灯とは違う。黒っぽい硝子で覆われた、禍々しいほどの紫色をした魔石が嵌め込まれている。


 スカーレットが開発し、テオが硝子を加工した試作品――「紫外線投光器(UVライト)」だ。


「で、殿下。これ、局長が『直視すると網膜が焼けるから気をつけて』って……」

「構わん。点けろ」


 レオンハルトはカンテラをひったくると、迷わずスイッチを入れた。


 ブゥン……。


 低い駆動音と共に、周囲の空間が異様な色に染まった。

 紫色の、暗く重い光。

 肉眼では、ただ景色が薄暗く紫がかっただけにしか見えない。明るく照らすわけでもなく、騎士たちは「これが何の意味があるのか」と顔を見合わせた。


「何も変わりませんが……」

「いいや。足元をよく見ろ」


 レオンハルトは、カンテラを地面に向けた。

 スカーレットが連れ去られたであろう、路地の奥へ。


 その瞬間。

 世界の色が反転した。


「――なッ!?」


 騎士たちが悲鳴を上げる。

 何もなかったはずの泥だらけの地面に、鮮烈な「蛍光グリーンの斑点」が浮かび上がったのだ。

 それは蛍の光のように、あるいは毒々しい燐光のように、闇の中で主張していた。


「ひぃっ!? 毒か!? 地面が光ってる!」

「魔獣の体液か!?」

「落ち着け。これは毒ではない」


 レオンハルトは、光る地面に膝をつき、手袋をした指でその輝きを拭った。

 指先についてもなお、その液体は緑色に発光し続けている。


「これは彼女からの『招待状』だ」


 彼の脳裏に、スカーレットの得意げな解説が蘇る。

 『フルオレセイン。特定の波長の光にだけ反応して輝く試薬です』。


「魔法による追跡を警戒した犯人の裏をかく、純物理的なマーキングだ。……雨ごときで落ちるようなヤワな代物じゃない」


 犯人のアランは「見えないこと」に絶対の自信を持っていた。

 だからこそ、自分の足元で、あるいは自分が引きずっている獲物の足元で、見えない塗料が撒き散らされていることに気づけなかったのだ。

 魔法使いの驕りが生んだ、致命的な死角。


「間抜けめ。自分で自分の居場所を垂れ流しているとも知らずに」


 レオンハルトは獰猛に笑った。

 道は開けた。


「行くぞ。この光を辿る!」


          ◇


 一行は、紫色の光を頼りに路地裏を進んだ。

 蛍光の道は、点々と、しかし確実に続いていた。

 その道筋は、単なる移動ルート以上の情報を、レオンハルトに語りかけてきた。


 壁に、光る手形がついている場所があった。

 指先が擦れ、不自然な形に残っている。


(……ここで一度立ち止まったな)


 レオンハルトは光る手形に自分の手を重ねる。


(抵抗した跡か? ……いや、違う。指の形が『矢印』になっている。こっちへ行けという指示だ)


 さらに進むと、地面の塗料が乱れ、広範囲に飛び散っている箇所があった。


(ここでは犯人が体勢を崩している。……スカーレットが足を使ったな。踵を落としたか、蹴りを入れたか)


 レオンハルトの口元が緩む。

 彼女は諦めていない。

 ナイフを突きつけられ、連行されている最中だというのに、彼女は冷静に犯人の隙を窺い、後続部隊のために情報を残し続けている。


「……元気そうで何よりだ」


 光の跡を見るたびに、彼女の息遣いが聞こえるようだった。

 『早く来なさい』『こっちは任せて』という、無言の圧力が伝わってくる。

 離れていても、二人の思考はリンクしていた。


 やがて、光の道は街外れの廃墟区画へと至った。

 瓦礫の山の陰に、古びたマンホールがある。

 その蓋の縁には、これでもかと言うほどべったりと、蛍光塗料が塗りたくられていた。


「ここか」


「地下……ですね」


 テオが地図を広げるが、首を傾げる。


「この先は王都の『旧地下水道』です。百年前に閉鎖されて、今は迷路みたいに入り組んでいて……地図にも載っていませんよ?」

「それに、地下には野良の魔獣が巣食っているとの報告もあります」


 騎士が懸念を示す。

 地図なき地下迷宮。罠と魔獣が待ち受ける暗闇。

 だが、レオンハルトは剣の鯉口を切った。


「地図ならある」


 彼はカンテラを掲げた。


「彼女が描いた『光の地図』がな」


 躊躇はなかった。

 レオンハルトは風魔法を放ち、錆びついたマンホールの蓋を吹き飛ばした。

 ぽっかりと開いた暗黒の穴。そこからは、腐敗臭と湿気が立ち上ってくる。


「行くぞ。……この先は、王国の法律の適用外だ」


 レオンハルトは、漆黒の穴へと身を躍らせた。


「俺が裁く」


 その背中は、もはや高貴な王子のものではなかった。

 愛する者を奪われた、怒れる「捕食者」そのものだった。

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