第43話:レオンハルト、激昂
王宮二階、第二王子執務室。
窓の外では、季節外れの激しい雷雨が轟いていた。窓ガラスを叩きつける雨音が、レオンハルトの苛立ちを加速させる。
彼は眉間に皺を寄せ、山積みの書類にペンを走らせていた。
(……胸騒ぎがする)
スカーレットが買い出しに出てから、予定の時間を過ぎている。
護衛にはレイブンがついている。元暗殺者の手練れだ。そう簡単に後れを取るはずがないとは分かっていても、不安という名の黒いインクが心に滲んでいくのを止められない。
その時だった。
バァンッ!
執務室の扉が、ノックもなく乱暴に開かれた。
「――失礼、いたしますッ……!」
転がり込んできた人影を見て、レオンハルトは息を呑んだ。
レイブンだった。
いつも冷静沈着な彼女が、今は泥と血にまみれ、肩で息をしている。腹部を押さえる手からは鮮血が滴り、純白の絨毯を赤く染めていく。
「レイブン!? 何があった!」
レオンハルトは椅子を蹴倒して駆け寄った。
レイブンは苦痛に顔を歪めながらも、床に膝をつき、レオンハルトを見上げた。その瞳には、肉体の痛み以上の深い絶望と悔恨が宿っていた。
「申し訳……ありません。お嬢様を……守れませんでした」
その一言で。
レオンハルトの世界から、音が消えた。
雨音も、雷鳴も、自分の鼓動さえも聞こえなくなる。
ただ、頭の中で「何かが切れる」音がした。
手の中で、愛用していた万年筆がベキッという乾いた音を立ててへし折れた。インクが指の間から黒い血のように滴り落ちる。
「……相手は?」
問いかける声は、凍てつくように低く、静かだった。
「姿なき男。……アラン・ド・ノワールです。……お嬢様は、連れ去られました」
◇
王宮の一角にある、近衛騎士団本部。
その最奥にある団長室では、騎士団長ガレスが優雅に紅茶を啜っていた。
外の嵐など関係ない。息子のアランも地下室で大人しくしているはずだ。ほとぼりが冷めれば、また表舞台に戻してやれる。そう楽観視していた。
その安寧は、爆音と共に粉砕された。
ドォォォォォン!!
落雷が落ちたような轟音が響き、厚さ五センチの樫の扉が、蝶番ごと弾け飛んだ。
砕け散った木片が弾丸のように室内を舞う。
「な、何事だ!?」
ガレスが椅子から飛びのく。
土煙が舞う入り口。そこに、一人の男が立っていた。
剣も杖も持っていない。ただの身一つ。
だが、その全身からは、空間そのものを歪めるほどの濃密な魔力が噴き出していた。
第二王子、レオンハルト。
普段の冷笑的な態度は消え失せ、そこにあるのは、触れれば切れる刃のような殺気だけだ。
「で、殿下……!? 乱心なされたか!?」
護衛の騎士たちが剣を抜こうとする。だが、動けない。
レオンハルトが放つプレッシャー――生物としての格の違いに、本能が「動けば死ぬ」と警告を発しているのだ。
レオンハルトは無言のまま、幽鬼のように床を滑った。
一瞬で距離を詰め、ガレスの胸倉を掴み上げる。
「ひっ!?」
巨漢のガレスが、小枝のように持ち上げられた。
そのまま、躊躇なく壁に叩きつけられる。
ズドンッ!!
壁に亀裂が走り、ガレスの肺から空気が強制的に排出された。
「が、はっ……!?」
「貴様の息子はどこだ」
レオンハルトの瞳は、感情の色を失っていた。ただ、絶対零度の氷河がそこにある。
「三秒で答えろ。さもなくば、この本部ごと貴様を消し炭にする」
「な、何を……! 息子は地下牢で謹慎中だ! 濡れ衣だ!」
ガレスは涙目で喚いた。
痛みと恐怖で顔が引きつっている。
「放せ! これは王族による暴行だぞ! 宰相閣下に訴えてやる!」
その反応を見て、レオンハルトは確信した。
こいつは、本当に知らないのだ。息子が抜け出し、再び凶行に及んだことを。
その「無能さ」が、レオンハルトの怒りに油を注いだ。
「……管理もできんのか、無能め」
彼はガレスをゴミのように床に捨てた。
「貴様の息子は、スカーレットを拐った」
「な……?」
「もし彼女の髪の毛一本でも傷ついていたら……ノワール家は今日で終わりだと思え。爵位剥奪程度では済まさん。一族郎党、この世に生まれたことを後悔させてやる」
ガレスがガタガタと震え出す。
目の前の男は、王子ではない。人の皮を被った魔王だ。
「し、司法が……法が許さんぞ……」
「司法?」
レオンハルトは冷たく吐き捨てた。
「知ったことか。――俺が法だ」




