第41話:スカーレットの怒り、犯人の驕り
第零班ラボの空気は、鉛のように重く淀んでいた。
入り口の鉄扉の外には、騎士団長ガレスの息がかかった衛兵たちが立哨している。
名目は「警護」だが、実態は完全な「軟禁」だ。ラボから一歩でも出ようものなら、即座に公務執行妨害で拘束されるだろう。
ドンッ!
鈍い音が響いた。レオンハルトが、石壁を拳で殴りつけたのだ。
「……くそッ!」
彼の拳から血が滲み、壁に赤い染みを作る。だが、彼は痛みなど感じていないようだった。
「すまない、スカーレット。俺が王族でありながら無力なばかりに……。君が積み上げた『真実』を守れなかった」
悔恨。
母の死の真相に近づき、正義を成せると思った矢先の、理不尽な暴力による圧殺。
彼の心は、怒りよりも無力感に苛まれていた。
だが、スカーレットは違った。
スカーレットは白衣を翻し、実験台へと向かった。
「捜査権を奪われたなら、捜査しなければいい。……向こうから『ボロ』を出させます」
「ボロだと? 奴は透明人間だぞ。ラボに閉じ込められた我々に何ができる」
「準備です。奴を確実に捕獲するための、『物理的な鎖』を作るのです」
彼女はテオを呼び、数種類の薬品を調合させ始めた。
ビーカーの中で、無色透明な粘度の高い液体が生成されていく。
「これは?」
「『フルオレセイン(蛍光色素)』と、強力な定着剤の混合液です」
スカーレットは液体を小さなガラス瓶に詰めながら解説する。
「この液体は、肉眼ではほぼ透明です。しかし、特定の波長の光――紫外線を当てると、強烈な蛍光グリーンに発光します」
「光る水、か」
「ええ。そして一度付着すれば、定着剤の効果で皮膚や物質の表面に食い込みます。水で洗おうが魔法で浄化しようが、皮膚の代謝が終わるまで、数週間は絶対に落ちません」
それは、見えない敵を追跡するための「消えないマーカー」だった。
さらにスカーレットは、自分の履いている靴を脱ぎ、テオに渡した。
「テオ。このヒールの中に、極小のノズルとタンクを仕込んで。踵を強く打ち合わせると、中の液体が少しずつ滴り落ちるようなギミックを」
「りょ、了解です! 0.1ミリ単位で細工します!」
レオンハルトが、その意図に気づいて目を見開く。
「……待て。自分を囮にする気か?」
「最悪のケースへの保険ですよ」
スカーレットは平然と答えた。
「犯人は、私たちがDNAという証拠を掴んだことを知っています。そして、それが握りつぶされたことも」
「だからこそ、安全だと思って油断するはずだ」
「ええ。ですが、もし犯人が『自尊心の高い快楽殺人鬼』だとしたら? 自分を追い詰めた探偵の存在を、不愉快に思うか……あるいは、最高の獲物だと思うかもしれません」
彼女は、自分が狩られる側になることを計算に入れていた。
自らの身を危険に晒してでも、真実を証明する。その覚悟に、レオンハルトは言葉を失う。
◇
数日後。
第零班ラボにて、スカーレットが立ち上がった。
「殿下。チョコとエタノールの在庫が切れました。買い出しに行きます」
「は? 許可できるか! 外にはアランがいるかもしれないんだぞ!」
レオンハルトが血相を変えて止める。
だが、スカーレットは仕込みを終えた靴を履き、鞄を持った。
「だからこそです。ここに引き籠もっていては、膠着状態は崩せません」
「お前……まさか、本当に囮になる気か?」
「『透明人間』を捕まえるには、彼が自ら姿を現す瞬間を狙うしかありませんから」
彼女は、護衛としてレイブンを呼んだ。
「レイブン、お願いします。……テオ、例の『ライト』の準備は?」
「ば、バッチリです! いつでも照射できます!」
「よろしい」
スカーレットは護身用のメスをポケットに忍ばせ、ニヤリと不敵に笑った。
「行きましょう。『透明人間』捕獲作戦の開始です」
重い扉が開かれる。
その先には、既に見えない殺意が待ち構えているとも知らずに、彼女は光の当たる地上へと踏み出した。




