第40話:権力の壁と隠蔽工作
さらに、最悪の報告が続いた。
ガレスは「ああ、そういえば」と、世間話でもするかのように付け加えた。
「例の路地裏の現場ですがな。衛生上の観点から、騎士団が『浄化』しておきましたよ」
「……何?」
「薄汚い場所でしたからな。水魔法部隊を動員し、高圧洗浄で綺麗に洗い流させました。市民も喜ぶでしょう」
スカーレットの顔から、表情が消えた。
現場の洗浄。
それは魔法使いにとっては「善行」かもしれない。だが、捜査官にとっては、万死に値する「証拠隠滅」だ。
泥に残った足跡も、壁の雨陰も、そしてまだ残っていたかもしれない微細証拠も、すべて水流によって永遠に失われたのだ。
(現場保存の原則が……。これで、再検証も不可能になった)
完全に、退路を断たれた。
ガレスは勝ち誇った顔で、二人に宣告した。
「ほとぼりが冷めるまで、第零班は活動停止。……ラボから一歩も出ぬよう、入り口には我が騎士団の精鋭を配置しておきます」
「軟禁か……!」
「警護ですよ、殿下。……二度と私の前に現れないでください。魔力無しのゴミ拾い共め」
◇
第零班ラボに戻った二人は、重苦しい空気に包まれていた。
入り口の鉄扉の外には、監視の騎士が立っている。完全な籠の鳥だ。
ダンッ!!
レオンハルトが、執務机を拳で殴りつけた。天板に亀裂が走る。
「くそっ……! くそっ!!」
彼は血の滲む拳を握りしめ、咆哮する。
「俺が……俺が王位継承権の低い第二王子でさえなければ! もっと権力があれば、あんな横暴を許しはしなかった!」
「……」
「すまない、スカーレット。君が導き出した『真実』を、俺が無力なばかりに守れなかった」
悔しさに顔を歪めるレオンハルト。
だが、スカーレットは冷静だった。彼女は暖炉の前で拾い集めた、鑑定書の燃えカスをピンセットで分類していた。
「殿下。謝罪は不要です」
彼女の声は、凍りつくほど冷たかった。
「私は今、泣いているのではありません。……猛烈に腹を立てているのです」
「スカーレット?」
「私への侮辱なら許容しましょう。ですが、彼らは『再現性のある事実(科学)』を、一時の『感情と都合(政治)』で踏みにじった」
スカーレットは、黒く焦げた紙片を試験管に放り込んだ。
「科学は、権力に負けました。理解できないものを否定し、自分たちの都合のいい『正義』だけを残したのです」
「……ああ。奴は息子を盲信するあまり、正気を失っている」
「いいえ、違います」
スカーレットは首を横に振った。
「親バカではありません。ガレス騎士団長の反応は過剰すぎます。もし彼が息子を信じているだけなら、堂々と再捜査をさせて、無実を証明すればいいはずです」
「……確かに」
「証拠を焼き、現場を洗い流した。……つまり彼は、『息子がクロである可能性』を認識しているのです」
彼女の緑色の瞳が、冷徹な光を帯びる。
「あれは愛ではありません。組織防衛のためのトカゲの尻尾切り、あるいは意図的な『隠蔽工作』です。……腐っていますね」
「許せんな」
「はい。許せません。私のプライドにかけて、奴らの脳髄に直接、真実を刻み込んでやりましょう」
◇
一方その頃。
騎士団長邸の地下室。
「牢獄」とは名ばかりの、豪奢な家具が揃えられた隠れ家で、一人の青年がワイングラスを傾けていた。
アラン・ド・ノワール。
透明な殺人鬼の正体である彼は、ふかふかのソファで足を組み、退屈そうにナイフを弄んでいた。
「……ちっ。親父もうるさいな」
先ほど、父親であるガレスから説教を受けたばかりだった。
『遊びが過ぎるぞ。第零班に嗅ぎつけられたではないか』と。
「バレなきゃいい、だと? ……笑わせる。俺は【完全隠蔽】のスキル持ちだぞ?」
アランは空中にナイフを放り、見ないままキャッチした。
「俺は世界から『消失』できる。神に選ばれた捕食者だ。下等な有象無象を間引いて何が悪い。……DNA? 髪の毛? そんなもので俺が捕まるわけがないだろう」
反省の色はない。
彼にあるのは、特権階級としての歪んだ選民思想と、自らの能力に対する絶対的な過信だけだ。
アランは、テーブルの上に置かれた書類を手に取った。
父の机から盗み見てきた、第零班の捜査報告書だ。そこには、捜査を指揮した「特別捜査官」の名前と写真があった。
「へぇ……。俺の髪の毛を見つけたのは、この女か」
写真に写っているのは、理知的な瞳をした赤髪の美女。
スカーレット・ヴァレンタイン。
「魔力もないのに、俺の透明化を見破った? ……面白い」
アランの唇が、三日月形に歪んだ。
退屈していた彼の心に、どす黒い興奮が湧き上がる。
無抵抗な市民を殺すのは、もう飽きた。
次は、もっと手応えのある獲物がいい。
「俺を見つけ出した、その眼球……。俺のナイフでくり抜いたら、どんな顔をするんだろうな」
狩りの衝動。
アランは立ち上がり、自身の姿をかき消した。
視覚、聴覚、魔力反応。すべてが消失する。
「地下室なんて退屈だ。……そうだ、俺を追い詰めた『名探偵』に、ご挨拶に行かないとな」
謹慎中のラボなら、邪魔者はいない。
権力によって解き放たれた野獣が、音もなく檻を抜け出した。
ターゲットは、スカーレット。




