第4話:検証開始。照明を消して頂けますか?
スカーレットの命を受けた給仕たちが、震える手で壁のスイッチを操作した。
ふつり、と天井に浮遊していた魔石灯の光が途絶える。
一瞬にして、大講堂は深淵のような闇に包まれた。窓のカーテンも閉ざされており、月明かりさえも届かない。
「な、なんだ!? 何も見えんぞ!」
「きゃっ! 怖い、ブラッドリー様!」
貴族たちの狼狽する声と、ミエルの悲鳴が闇に木霊する。
視界を奪われた恐怖が、会場の空気を張り詰めさせた。だが、その混沌を切り裂くように、凛とした声が響き渡った。
「――お静かに」
それは、決して大声ではない。しかし、現場を支配する指揮官のような絶対的な威圧感を伴っていた。
スカーレットの声だ。
「動けば気流が乱れ、試薬が拡散してしまいます。その場を一歩も動かないでください」
有無を言わせぬその響きに、騒いでいた貴族たちは水を打ったように押し黙る。
暗闇の中、衣擦れの音と、荒い呼吸音だけが聞こえる。そして――ポン、とガラス瓶の栓を抜くような、小さな音がした。
スカーレットは手にした遮光性のスプレーボトルを、手首のスナップを利かせて軽く振った。
中に入っている液体は、前世の知識と、この世界の錬金術を組み合わせて精製したものだ。
(成分はルミノール、過酸化水素水、そして触媒としてのヘマチン……。この世界では『死霊の粉』なんて呼ばれて忌避されている錬金素材だけれど、配合を変えればただの試薬よ)
闇の中で、ブラッドリーの怒声が飛んできた。
「スカーレット! 何をする気だ! 闇討ちでもするつもりか!」
「ご安心を。私はただ、『見えない血』を見ようとしているだけです」
「血だと……?」
「ええ。血液に含まれる鉄分は、ある種の薬品と反応すると、青白く発光します。魔法で傷を消しても、血痕の拭き取りまでは完璧にはできませんから」
スカーレットは、記憶の中にあるミエルの立ち位置と、その背後にあった大理石の柱の角に向けて、ノズルを向けた。
シュッ……。シュッ……。
静寂の中に、微細な霧が噴射される音が不気味に響く。
やがて、会場に独特の臭いが漂い始めた。薬品特有のツンとした刺激臭と、古びた鉄錆のような臭いが混ざり合った、不安を煽る香りだ。
「な、なにか冷たいものが……!」
霧を浴びたミエルが叫んだ。
「やめて、何なのこれ!? 毒!? 私を溶かす気!?」
「貴様ッ! 即刻中止せよ! ミエルに何をした!」
「……反応開始。ご覧ください」
スカーレットは淡々と告げ、スプレーの手を止めた。
数秒の沈黙。
闇に目が慣れ始めた貴族たちが、息を呑む音が聞こえた。
ぼぅ……。
暗闇の中に、青白い光が浮かび上がり始めたのだ。
それは、魔法のキラキラした温かい光とは違う。墓場で燃える鬼火のような、冷たく、幽霊のような不気味な燐光だった。
「ひぃぃッ! ひ、光った!?」
「呪いだ! 死者の魂がミエル嬢に纏わりついている!」
「スカーレットが死霊術を使ったんだ!」
パニックになる会場。
発光しているのは、ミエルのドレスの裾、二の腕、そして彼女の背後にそびえる柱の一点だった。
ミエル自身も、自分の体が青く光っているのを見て半狂乱に陥る。
「いやぁぁ! なによこれ、取れない! 消して、消してよぉ!」
彼女は必死にドレスを払い落とそうとするが、触れば触るほど手についた試薬が広がり、青い光が滲んでいく。その様は、まるで自らの罪に侵食されているかのようだった。
そんな阿鼻叫喚の中で、スカーレットだけが保護メガネの奥で、その光景を冷静に観察していた。
(美しい反応色。……やはり、魔法で治癒したとはいえ、微細な血痕は残っていたわね)
彼女は声を張り上げる。
「皆様、あの柱の光を見てください。……奇妙だと思いませんか?」
スカーレットが指差したのは、ミエルの背後にあった柱の角だ。
そこには、べったりと青い光が付着して輝いている。
だが、その「形」が問題だった。
「証言を思い出してください。ミエル様は『風魔法で吹き飛ばされ、抗う間もなく壁に激突した』はずです」
「だ、だから何だ!」
「人間が背後から強い力を受けた場合、防御姿勢を取れずに『背中』か『肩』、あるいは回転して『側面』からぶつかります。つまり、壁に残る痕跡は『広い面』になるはずです」
しかし、闇の中に浮かび上がっているのは、そんな広範囲の光ではない。
大人の腰の高さ。ちょうどミエルの身長の手の位置に、くっきりと浮かぶ光の塊。
それは紛れもなく――『強く握りしめられた拳』の形をしていた。
「おかしいですね。不意に突き飛ばされた人間が、空中で体勢を整え、背中にある壁に向かって『正拳突き』を放つことができるでしょうか?」
スカーレットの声が、氷のように冷たく響く。
その論理的な指摘に、騒いでいた貴族たちが「あっ」と声を漏らす。
「確かに……変だぞ。突き飛ばされたら、あんな風にはぶつからない」
「まるで、自分から殴りに行ったような……」
スカーレットは、闇の中で青白く光るミエルを見下ろした。
「これは衝突の跡ではありません。『壁を殴りつけた』跡です」
「ち、違う……!」
「人間は転倒する時、反射的に『掌』を開いて体を守ろうとします(保護伸展反応)。拳を固めて、しかも関節部分から壁に突っ込むのは、生物としての反射行動に反します」
逃げ場のない事実が、暗闇の中で組み上がっていく。
「それができるのは、ただ一つのケースのみ」
スカーレットは断言する。
「『意図的に怪我を作ろう』という強い意志を持って、痛みを堪えながら自ら壁を殴りつけた時だけです」
ミエルの悲鳴が止まった。
代わりに、ヒュー、ヒューという過呼吸気味の息遣いだけが聞こえる。
「実験終了です。給仕、照明をつけて」
カッ、と会場の魔石灯が一斉に点灯した。
眩い光が戻り、青白い幽霊のような光は消え去った。
しかし、その代わりに――。
顔面蒼白で、脂汗をかいて立ち尽くすミエルの姿が、衆人の目に晒された。
「……青ざめた顔色の犯人をご覧いただけましたか?」
スカーレットはゴム手袋を外し、パチンと弾いた。
その音は、ミエルにとっての「終わり」を告げる合図のように響いた。




