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婚約破棄の現場から失礼します。その「冤罪」、科学捜査(フォレンジック)で論破させていただきます 〜前世科捜研の私が、魔法世界の完全犯罪をDNA鑑定で暴くまで〜  作者: ヲワ・おわり
第9章:禁断の技術「DNA」と政治的圧力

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第39話:容疑者特定、しかし……

 第零班ラボの作業台の上、魔導ライトボックス(発光板)が青白く輝いている。

 その光の上に、スカーレットは二枚の羊皮紙を重ねて置いた。


 一枚は、犯行現場に残された「透明な髪の毛」のDNAパターン。

 もう一枚は、レオンハルトが持ち帰った「アランの櫛」から採取したDNAパターン。


 未明の静寂の中、スカーレットとレオンハルト、そしてテオが息を呑んでその図面を覗き込む。


「……出ましたね」


 スカーレットの声は、氷のように冷たく、そして確信に満ちていた。

 二枚の羊皮紙に描かれたオレンジ色の縞模様バンド。それらは、まるで最初から一つの絵であったかのように、寸分違わず重なり合っていたのだ。


完全一致パーフェクト・マッチです」

「これが……証拠か」


 レオンハルトが唸る。目の前にあるのはただの線の羅列だ。だが、スカーレットの説明を聞いた今では、それが逃れようのない「鎖」に見える。


「確率論の話をしましょうか」


 スカーレットは眼鏡の位置を直し、淡々と数字を口にした。


「この複雑なバンドパターンが、赤の他人同士で偶然一致する確率は、およそ四兆七〇〇〇億分の一。つまり、この星の全人口よりも遥かに多い数字です」

「……天文学的だな」

「ええ。結論は一つです。現場にいた『透明人間』と、騎士団のアラン・ド・ノワールは、生物学的に同一人物です」


 ドンッ。

 レオンハルトが拳を机に叩きつけた。


「……ッ、やはりアランか!」


 悔しさと怒りが入り混じった声が響く。


「あいつは優秀な騎士だった。剣の腕も立ち、部下からの信頼も厚かったはずだ。なぜだ、なぜ市民を無差別に殺すような真似を……」

「動機は分かりません。ですが、事実は確定しました」


 スカーレットは白衣を翻し、羊皮紙を丁寧にファイルに挟んだ。


「感傷に浸っている時間はありません、殿下。夜が明ければ、彼はまた『狩り』に出るかもしれない。……直ちに身柄を拘束すべきです」

「ああ、そうだな」


 レオンハルトは迷いを振り切るように顔を上げた。その瞳には、かつて部下だった男を断罪する覚悟が宿っている。


「行くぞ。この証拠を持って司法省へ向かう。正規の手続きで逮捕状を請求し、騎士団詰め所へ乗り込む」

「奴がスキルを使って逃亡する前に、物理的に拘束するわけですね」

「抵抗するなら斬り伏せる。……王族の義務だ」


 二人は意気揚々とラボを飛び出した。

 手の中には、科学が導き出した「絶対的な真実」がある。

 これさえあれば、どんな権力者も屈服させられる――そう信じていた。


 しかし、彼らはまだ知らなかったのだ。

 科学という武器には、「相手がそれを理解できる知能を持っているか」という、致命的な弱点があることを。


          ◇


 早朝の王宮、司法省長官室。

 豪奢な調度品に囲まれた執務室で、司法長官を務める老人が、けだるげに書類をめくっていた。

 そこへ、レオンハルトたちが乗り込んだ。


「司法長官! 緊急逮捕状の請求だ!」


 レオンハルトはDNA鑑定書をマホガニーの机に叩きつけた。


「連続切り裂き魔の正体が判明した。騎士団のアラン・ド・ノワールだ。これが証拠だ!」


 長官は驚いたように眉を跳ね上げ、目の前の羊皮紙に視線を落とした。

 そして――数秒後、困惑したように顔を上げた。


「……殿下。これは何かの冗談ですか?」

「冗談? 大真面目だ」

「ですが、これは……ただの縞模様ではありませんか」


 長官は、汚いものでも見るように羊皮紙を指先で弾いた。


「髪の毛をスライムで煮込んで、光を当てたら縞模様が出た? ……それがどうして『犯人の名前』になるのです?」

「ですから、これは生命の設計図であり……!」


 スカーレットが身を乗り出して説明しようとする。

 DNAの独自性、遺伝情報の不変性、確率論的証明。

 だが、長官の目には、彼女の言葉が「狂人の戯言」としか映っていないようだった。


「魔法の署名もない。魔力反応もない。ただの絵ですな」


 長官は鼻で笑った。


「こんなオカルトのような理屈で、名門ノワール家の嫡男を捕らえろと? 正気ですか、殿下。騎士団長が黙っていませんぞ」

「黙っていないから、何だと言うのだ!」


 その時だった。

 ドス、ドス、と重々しい足音が廊下から響き、長官室の扉が開かれた。


「――お呼びかな、殿下」


 現れたのは、熊のように大柄な男だった。

 全身を特注の鎧で包み、歴戦の傷跡が残る顔には、傲慢な笑みが張り付いている。

 この国の軍事力の頂点、騎士団長ガレス・ド・ノワール。

 アランの父親だ。


「ガレス……!」

「聞きましたぞ、第零班。私の息子を『髪の毛一本』で殺人鬼扱いするとは」


 ガレスはスカーレットを一瞥し、侮蔑を隠そうともせずに吐き捨てた。


「公爵家の令嬢ともあろう方が、随分と卑劣な捏造をする。……魔力がないと、心まで歪むのですかな?」

「捏造ではありません!」


 レオンハルトが前に出る。


「これは科学的根拠に基づいた、正当な捜査結果だ! 貴様の息子は、透明化スキルを悪用して市民を殺している!」

「黙らっしゃいッ!!」


 ガレスの一喝が、ビリビリと部屋の空気を震わせた。

 それは理屈ではない。「権力」と「暴力」による威圧だ。


「魔法こそが正義のこの国で、わけのわからん泥遊びが証拠になるものか! スライムだの光だの、子供騙しもいい加減にしろ!」


 ガレスは机の上の鑑定書をひったくると、無造作にクシャクシャに丸めた。


「あっ……!」


 スカーレットが手を伸ばすが、遅い。

 ガレスは丸めた羊皮紙に、魔法で火をつけた。


 ボウッ。

 乾燥した羊皮紙は、一瞬で炎に包まれ、灰へと変わっていく。

 数兆分の一の確率で犯人を特定した「絶対的な真実」が、ただの暴力によって消失した瞬間だった。


「貴様ッ……! 王立機関の公式文書だぞ!」

「公式? 第零班(ゴミ拾い)の妄想日記の間違いでしょう、殿下」


 ガレスは勝ち誇った顔で司法長官に向き直る。


「長官。このような不敬な言いがかり、騎士団として看過できませんな。……第零班には、相応の処分が必要かと」

「おっしゃる通りです、騎士団長閣下」


 長官は、明らかにガレスの顔色を窺いながら頷いた。

 司法もまた、軍事力という権力の前には無力なのだ。


「レオンハルト殿下、およびスカーレット嬢。……証拠不十分により、逮捕請求は却下します」


 長官が木槌を叩く。


「加えて、騎士団長への名誉毀損、および捜査撹乱の疑いで、第零班には『無期限の謹慎』を命じます。……ラボから一歩も出ぬよう」

「なっ……!?」


 スカーレットは唇を噛み締め、拳を固く握りしめた。

 DNA鑑定は完璧だった。論理に穴はなかった。

 だが、この世界には科学よりも強い力がある。

 それは魔法でもなく――「無知」と「権力」だ。


 理解できないものは存在しない。権力者に不都合な真実は揉み消される。

 その腐敗した構造の壁は、予想以上に厚く、そして高かった。


「……行くぞ、殿下」


 ガレスは踵を返し、部屋を出ていく。

 去り際に、彼はスカーレットの耳元で低く囁いた。


「息子には指一本触れさせん。……二度と私の前に現れるな、魔力無しのゴミ拾い共め」


 バタン、と扉が閉まる。

 残されたのは、燃え尽きた灰と、敗北の苦い味だけだった。


 レオンハルトが悔しげに机を叩く音が響く。

 スカーレットは無言で、眼鏡の奥の瞳を細めた。

 その瞳には、絶望の涙ではなく、静かで、しかし強烈な怒りの炎が灯っていた。


(……よろしい。言葉で分からないのなら、別の方法で理解させて差し上げましょう)


 科学者は、ただでは転ばない。

 理不尽な敗北は、彼女の中で、より過激で冷徹な反撃への導火線となっていた。

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