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婚約破棄の現場から失礼します。その「冤罪」、科学捜査(フォレンジック)で論破させていただきます 〜前世科捜研の私が、魔法世界の完全犯罪をDNA鑑定で暴くまで〜  作者: ヲワ・おわり
第9章:禁断の技術「DNA」と政治的圧力

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第38話:実験室の夜、螺旋を描く羊皮紙

 深夜の王宮地下、第零班ラボ。

 換気扇が回る低い音だけが響く静寂の中、スカーレットは背もたれにぐったりと身体を預けていた。


「……ふぅ」


 白衣の袖から覗く指先が、微かに震えている。

 数時間に及ぶ人力PCR(温度管理)の代償だ。魔力と集中力を限界まで搾り取られ、今の彼女は抜け殻のようだった。


「お疲れ様。……飲め」


 コツン、とデスクに陶器のマグカップが置かれた。

 湯気と共に、強烈な焙煎香が立ち上る。

 レオンハルトが差し出したのは、王宮騎士団が徹夜の警備任務で愛飲しているという「特濃ブラックコーヒー」だ。


「……感謝します、殿下。ですが、これではただの泥水です」

「泥水とは失礼な。眠気覚ましには最強だぞ」

「カフェインだけでは足りません。脳がカロリーを叫んでいるのです」


 スカーレットは震える手で、デスクの脇にあるガラス瓶に手を伸ばした。

 中には角砂糖が詰まっている。

 彼女はトングを使うのももどかしく、指で一つ、二つ……五つ。

 漆黒の液体の中に、白い塊を次々と沈めていく。


「……おい。砂糖水を作る気か? 味覚が死んでるな」

「生きていますよ。今の私には、これでもまだ苦いくらいです」


 スカーレットはスプーンでかき混ぜることもせず、ジャリジャリとした底の沈殿物ごとコーヒーを喉に流し込んだ。

 脳の深層に、直接糖分が叩き込まれる感覚。

 ふっと、視界の霞が晴れていく。


「……生き返りました」

「それは何よりだ。で、次はどうする?」


 レオンハルトが実験台の方へ顎をしゃくる。

 そこには、増幅作業を終えた試験管が静置されていた。

 見た目は透明な水のままだが、その中には今、数億倍に増やされた「犯人のDNA」がひしめいているはずだ。


「仕上げです。目に見えないミクロの暗号を、誰の目にも明らかな『模様』として焼き付けます」


 スカーレットは立ち上がり、白衣を翻した。

 仮眠をとっていたテオも、気配を察して跳ね起きる。


「は、はいっ! 準備できてます!」


          ◇


 実験台の中央に設置されたのは、四角い箱のような装置だった。

 中には、半透明のプルプルとした板が敷かれている。


「これは寒天アガロースゲルです。海藻から抽出した成分で固めました」

「寒天? おやつの材料か?」

「似ていますが、食べられませんよ。……テオ、電極のセットを」


 スカーレットは、寒天の板の端に開けられた小さな窪み(ウェル)に、慎重にDNA溶液を注入していく。

 そして、寒天の両端に、雷属性の魔石を組み込んだ電極を接続した。


「これから行うのは『電気泳動エレクトロフォレシス』。簡単に言えば、『分子の障害物競走』です」

「障害物競走?」


 レオンハルトが怪訝そうに眉を寄せる。


「はい。DNAはマイナスの電気を帯びています。ですから、電気を流すとプラス極に向かって進もうとします」


 スカーレットは寒天を指差した。


「ですが、この寒天の中は、目に見えない網目構造になっています。体の小さいDNAは網目をスルスルと抜けられますが、大きいDNAは引っかかって遅れてしまう」

「なるほど。ゴールまでの足の速さが違うわけか」

「その通りです。一定時間走らせると、DNAの断片は『長さ(重さ)』ごとに分かれて、寒天の中に整列します。……それが、犯人の指紋代わりになるのです」


 スカーレットは魔導スイッチを入れた。

 ブゥゥン……と低い駆動音が響き、微弱な電流が流れ始める。

 ここからは、待つ時間だ。

 分子たちが寒天の網目を潜り抜け、それぞれのゴールラインへ到達するのを、ひたすら待つしかない。


 ラボには、時計の針の音と、魔道具の駆動音だけが響いている。

 深夜特有の、世界から切り離されたような静寂。

 レオンハルトは、青白い光に照らされたゲルを見つめながら、ぽつりと口を開いた。


「……お前は、怖くないのか?」

「何がですか?」

「人の根源を暴く技術だ。使いようによっては、冤罪をでっち上げることも、王家の血統を否定して国を滅ぼすこともできる」


 彼は、自らの手を見つめた。


「俺たちは今、パンドラの箱を開けているのかもしれない。……魔法使いが知るべきではなかった、神の領域にな」


 それは、為政者としての健全な畏れだった。

 スカーレットは作業の手を止めず、淡々と答える。


科学ツールに善悪はありません、殿下。あるのは『事実』だけです」

「事実、か」

「包丁は美味しい料理を作ることもできますが、人を刺し殺すこともできます。私が怖いのは、包丁そのものではありません。それを握る人間の『悪意』や『無知』です」


 彼女はレオンハルトを見上げた。


「私は、貴方にならこの包丁を預けられます。貴方は、使い方を間違えない人ですから」


 その言葉に、レオンハルトは少しだけ目を見開いた。

 そして、苦笑する。


「……買い被りだな。だが、善処しよう」


          ◇


 三十分後。

 スカーレットは寒天の板を取り出した。

 それを、特殊な染色液(エチジウムブロマイドの代用品として調合した蛍光試薬)の入ったバットに浸す。


「現像の時間です。……照明を消してください」


 テオが魔石灯のスイッチを切る。

 完全な闇がラボを包んだ。

 スカーレットは、手にした「紫外線投光器(UVライト)」を構える。


「見えざる鎖よ。光の下に姿を現しなさい」


 カチッ。

 スイッチが入る。

 紫色の不可視光線が、寒天の板に照射された。


 その瞬間。

 暗闇の中に、幻想的な光景が浮かび上がった。


「…………っ!」


 レオンハルトとテオが息を呑む。

 何もないはずの透明な板の中に、鮮やかなオレンジ色の光が灯ったのだ。

 それは、無数の横線が梯子のように並んだ、幾何学的な「縞模様バンド」だった。


「これが……犯人の正体か?」

「ええ。美しいでしょう?」


 スカーレットは、オレンジ色の光に照らされながら微笑んだ。


「この縞模様の位置とパターンこそが、個人を特定する絶対的なID(識別子)。……生命のバーコードです」


 暗闇に浮かぶ光の列。

 それは魔法陣よりも神秘的で、そして冷酷なまでに整然としていた。

 感情も、言い訳も、権力も介在しない。ただ物質としての事実だけが、そこに輝いている。


 スカーレットは、その光のパターンを羊皮紙に正確に転写トレースし始めた。

 出来上がったのは、左側にだけ縞模様が描かれた鑑定書。

 右側は空白だ。


「犯人の『名前』はここに書かれています。あとは、これと同じ名前を持つ人間を探すだけ」


 彼女は鑑定書を机に置き、レオンハルトに向き直った。


「殿下。……例のモノ(比較用サンプル)は入手できていますか?」

「ああ。抜かりはない」


 レオンハルトは懐から、布に包まれた物体を取り出した。

 それは、使い込まれた「銀のくし」だった。


「騎士団の更衣室から『拝借』してきた。アラン・ド・ノワールの私物だ。奴の髪の毛がたっぷりと絡みついている」

「泥棒の才能もおありのようですね」

「国のためだ、不問にしろ」


 レオンハルトはニヤリと笑い、櫛をスカーレットに渡した。

 現場に残された「謎の髪の毛」と、容疑者アランの「髪の毛」。

 二つの証拠が出会う時、完全犯罪の幕が下りる。


「では、確認しましょう」


 スカーレットは櫛から髪の毛を採取し、再び試験管を手に取った。


「彼が『クロ』か『シロ』か。……科学の神様に聞いてみます」

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