第37話:究極の個人識別「血統の螺旋(ヘリックス)」
スカーレットは黒板に向かうと、チョークで複雑な図を描き始めた。
二本の線が絡み合い、梯子のように捻じれた奇妙な図形。
「これは『二重螺旋』。私の故郷の言葉ではDNA――『デオキシリボ核酸』と呼ばれています」
「でぃーえぬ……?」
「簡単に言えば、女神が記した『生命の設計図』です」
彼女は熱っぽく語る。
「人間、動物、植物……すべての生物は、身体の細胞の中にこの設計図を持っています。ここには、親から受け継いだ身体の特徴、体質、病気のリスク……個体を形成するすべての情報が、暗号(塩基配列)として記録されています」
「そんなものが、体の中にあるのか?」
「はい。そして重要なのは、『世界に二人として同じ配列を持つ人間はいない』ということです」
スカーレットは黒板を叩いた。
「指紋は魔法で変えられるかもしれません。顔も整形できる。記憶さえも操作できるでしょう。ですが、細胞の核に刻まれたこの設計図だけは、決して書き換えられません」
「……神の領域だな」
レオンハルトが息を呑む。
魔法ですら干渉できない、生命の根源。
「それを、お前は『読む』と言うのか?」
「読みます。この髪の毛のDNA配列と、アランのDNA配列を比較し、一致すれば……それは彼が現場にいたという、動かぬ証拠になります」
スカーレットは自信満々に告げたが、すぐに表情を引き締めた。
「ですが、大きな問題が一つあります」
「なんだ?」
「『量』です。髪の毛一本、それも毛根が千切れた状態のサンプルに含まれるDNAは、極めて微量です。このままでは少なすぎて、解析魔法(私のスキル)でも読み取れません」
現代の科学捜査でも、微量サンプルの解析は難題だ。ましてや、電子機器のないこの世界ではなおさらである。
「なら、どうする?」
「増やします。……魔法と科学の融合実験でね」
スカーレットはテオに指示を出した。
「テオ、冷蔵庫から『あれ』を出して。火山地帯で採取したやつよ」
「はい! えっと……『火山スライムの粘液』ですね!」
テオが運んできたのは、ドロリとした赤い液体が入った瓶だった。
マグマの近くに生息し、高熱でも死なない特殊なスライムの体液だ。
「これから行うのは『PCR法(ポリメラーゼ連鎖反応)』。簡単に言えば、『設計図のコピー機』を稼働させます」
スカーレットは、髪の毛を溶解した液体と、スライムの粘液を混ぜ合わせる。
「DNAを増やすには、液体を高温にしたり、冷やしたりを繰り返す必要があります。ですが、普通の酵素(タンパク質)は熱を加えると壊れてしまう」
「ああ、卵がゆで卵になるようにな」
「その通りです殿下。ですが、この火山スライムの酵素は、100度の熱湯の中でも壊れません。これが、設計図を複製するための『インク』の役割を果たします」
本来なら「サーマルサイクラー」という精密機械が行う工程だ。
もちろん、そんな機械はこの世界にはない。
「機械がないなら、どうやって温度管理をするんだ?」
「私がやります」
スカーレットは試験管を両手で包み込み、魔力を集中させた。
「私の魔力制御と、温度感知スキルを使えば、ビーカーの中を完璧な温度環境に保てます。……少し、集中しますよ」
◇
実験室に、張り詰めた静寂が訪れた。
スカーレットは試験管を凝視し、ブツブツと呪文のような数値を呟き始めた。
「――変性。温度、九十四度へ上昇」
彼女の手のひらが赤く発光し、試験管内の液体が沸騰寸前まで加熱される。
二重螺旋が熱でほどけ、一本ずつの鎖に分かれる工程だ。
「三十秒キープ。……次は結合。五十五度まで急冷」
今度は青い光。氷魔法を微細にコントロールし、一気に温度を下げる。
ほどけた鎖に、スライム酵素が取り付く。
「――合成。七十二度へ」
再び加熱。酵素が働き、DNAを複製していく。
1本が2本に。2本が4本に。
「1サイクル終了。……2サイクル目、開始。九十四度へ」
レオンハルトは、固唾を飲んでその様子を見守っていた。
側から見れば、ただ試験管を握って温度を変えているだけだ。
だが、その魔力操作の精密さは狂気じみていた。一度でも温度を間違えれば、試料は破壊される。それを秒単位で、何十回も繰り返すのだ。
(……なんて集中力だ。戦場での剣戟よりも神経を使うぞ、これは)
スカーレットの額に、玉のような汗が浮かぶ。
顔色は蒼白になり、呼吸が荒くなる。脳の糖分が恐ろしい勢いで消費されていくのが、見ていても分かった。
「……二十回目。……三十回目……」
倍々ゲームで増えていく設計図。
三十回繰り返せば、理論上、DNAの数は十億倍に達する。
目に見えなかった微量な痕跡が、誰の目にも明らかな「物質」としての質量を獲得する。
「――終了」
数時間後。
スカーレットはガクリと膝を折った。
レオンハルトが慌てて支える。
「おい! 大丈夫か!?」
「……平気です。少し、低血糖を起こしただけ……」
彼女は震える手で、ポケットから高級チョコレートを取り出し、包み紙ごと齧り付いた。
荒い呼吸を整えながら、彼女は試験管を掲げた。
見た目は、最初と変わらない透明な液体だ。
だが、スカーレットの「目」には見えていた。その中に、数億もの「アランの分身」がひしめいているのが。
「コピーは完了しました。……これだけの量があれば、あぶり出せます」
「あぶり出す?」
「ええ。次はこれを『電気泳動』にかけ、目に見える『縞模様』として焼き出します」
スカーレットはニヤリと笑った。疲労困憊のはずなのに、その笑顔は凶悪なまでに輝いている。
「殿下。……犯人を縛り首にするための、ロープの準備はいいですか?」
「ああ。いつでもいける」
レオンハルトもまた、獰猛な笑みを返した。
科学と魔法の融合実験。
それは、権力者の首に手をかけるための、最強の武器の精製だった。




