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婚約破棄の現場から失礼します。その「冤罪」、科学捜査(フォレンジック)で論破させていただきます 〜前世科捜研の私が、魔法世界の完全犯罪をDNA鑑定で暴くまで〜  作者: ヲワ・おわり
第7章:見えない恐怖と「ロカールの法則」

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第36話:透明人間の正体は「貴族」

 彼女の目の前には、テオが作成した最高倍率の顕微鏡が鎮座している。そのレンズの下、スライドガラスに挟まれているのは――先ほど現場で確保し、メチレンブルーで青く染め上げられた「一本の髪の毛」だ。


「……たかが髪の毛一本だぞ」


 後ろで腕を組んでいたレオンハルトが、疑わしげに口を開く。


「色や長さが分かったところで、王都には何万という男がいる。これだけで犯人にたどり着けるとは思えんが」

「いいえ、殿下。髪の毛は、口よりも雄弁に持ち主の生活を語ります」


 スカーレットは顕微鏡から目を離さず、魔導モニターのスイッチを入れた。

 空中にホログラムスクリーンが展開され、拡大された髪の毛の表面が映し出される。


「ご覧ください。この美しいキューティクルを」


 画面に映る青い繊維は、まるで磨き上げられたガラス細工のように滑らかだった。


損傷ダメージが極めて少ない。枝毛も切れ毛もありません。これは、日常的に高級なトリートメント剤で手入れされ、かつ紫外線や乾燥から守られている証拠です」

「……つまり?」

下層区シャドウ・ロウの住人や野盗であれば、栄養失調や過酷な環境で髪はもっと痩せ、表面が剥離しているはずです。しかし、この髪の持ち主は高タンパクな食事を摂り、空調の効いた屋内で生活している」


 スカーレットはモニターを指先で弾いた。


「犯人は、生活に困窮したスラムの住人でも、粗野な傭兵でもありません。……裕福な貴族階級の、若い男性です」


 レオンハルトの眉がピクリと動く。

 通り魔的な犯行から、社会への不満を持つ貧困層の犯行かと思われていたが、科学が示したプロファイルは真逆だった。

 満たされた者が、娯楽として狩りを行っている可能性。


「さらに、決定的な証拠があります」


 スカーレットは、髪の毛を慎重にピンセットでつまみ上げ、ガスクロマトグラフィー(気体成分分析装置)の投入口へと入れた。

 髪の表面に付着していた、極微量の油分を分析するためだ。


 数分後。排出されたデータシートを見て、スカーレットは口角を上げた。


「……ビンゴ。特定の『整髪料』の成分が検出されました」

「整髪料だと?」

「ええ。『ベルガモット』と『竜涎香アンバー』、それに『白檀サンダルウッド』をブレンドした香油です」


 その香りの構成を聞いた瞬間、レオンハルトの表情が強張った。

 彼は鼻を鳴らし、記憶の中にある「臭い」を探る。


「……待て。その香りは……」

「お心当たりが?」

「ああ。王都の一等地にある高級理髪店『バルビエ』のオリジナルブレンドだ。一本で金貨数枚はする高級品だぞ」


 レオンハルトの声が低くなる。


「そして、その香りは……最近、騎士団の若い連中の間で流行っているものだ。『兜を被っても匂わない』とかでな」


 貴族。若い男。そして、騎士団との接点。

 ぼんやりとしていた犯人像が、急速に輪郭を帯びていく。


          ◇


 スカーレットは白衣を翻し、壁に貼られた王都の地図の前へと移動した。

 そこには、これまでに起きた四件の殺人現場の位置に、赤いピンが刺されている。


「次に、『地理的プロファイリング』を行います」


 彼女は定規を当て、ピンとピンの間を線で結んだ。


「殿下。この犯行現場の配置に、違和感はありませんか?」

「違和感?」

「はい。すべての現場は、人通りがあったり、街灯があったりと、本来なら犯罪には適さない場所ばかりです。透明化スキルがあるとはいえ、リスクが高い」


 スカーレットは、赤いピンのそばにある建物――「騎士団の詰め所」や「検問所」を青いマーカーで囲んでいく。


「見てください。すべての現場は、騎士団の拠点から半径五〇〇メートル以内。……灯台下暗し、とはよく言ったものです」

「騎士団の膝元で殺していたというのか……?」

「それだけではありません。犯行時刻と、騎士団の『巡回シフトパトロール・スケジュール』を重ねてみましょう」


 スカーレットは、レオンハルトが持ち帰った極秘資料を地図に重ねた。

 すると、恐ろしい事実が浮かび上がった。


 第一の事件:A班とB班の交代時間。

 第二の事件:東地区の巡回ルート変更日。

 第三の事件:夜間演習による警備の手薄な時間帯。


「……なんてことだ」


 レオンハルトが呻く。


「すべての犯行が、騎士団の巡回ルートの『死角』であり、かつ『交代時間の空白の五分間』を正確に狙って行われている」

「偶然にしては出来すぎです」


 スカーレットは断言する。


「犯人は、騎士団の動きを完璧に把握している。外部の人間に情報が漏れている? いいえ、もっと単純です」

「……『内部犯』か」

「はい。それも、シフト表を自由に閲覧できる立場にある、騎士団関係者です」


 パズルのピースは揃った。

 1.裕福な貴族の若い男性。

 2.騎士団の内部事情に精通している。

 3.視覚、聴覚、魔力反応を完全に消去する「透明化スキル」の持ち主。


 その条件に当てはまる人物。

 レオンハルトの顔色が、みるみるうちに青ざめていく。

 認めたくない。だが、認めざるを得ない。

 彼の脳裏に、一人の青年の顔が浮かんでいた。


「……一人、いる」


 レオンハルトが絞り出すように言った。


「条件に、完璧に当てはまる男が」

「お名前は?」

「アラン・ド・ノワール」


 その名は、スカーレットでさえ聞き覚えのあるものだった。


「……ノワール家。現・騎士団長の御子息ですか」

「ああ。次期団長候補のエリートだ。剣の腕も立つし、性格も……表向きは好青年だ」


 レオンハルトは拳を握りしめ、机を叩いた。


「奴のユニークスキルは【完全隠蔽パーフェクト・ハイド】。視覚だけでなく、音、匂い、魔力、気配……自身の存在を世界から切り離す、暗殺者としては最強の能力だ」

「なるほど。捜査の手が及ばないのをいいことに、その能力を『狩り』に使っていたわけですか」


 スカーレットの声は冷ややかだった。

 自らの特権階級と、天与の才能を、弱者をいたぶるために使う。彼女が最も嫌悪する人種だ。


「騎士団長の息子……」


 テオが震える声で呟く。


「それじゃ、警察も手が出せないんじゃ……。お父さんは国一番の武闘派で、お母さんは大貴族ですよね? そんな人を捕まえたら、僕たちの方が消されちゃいますよ……」

「ああ。奴の親父、ガレス騎士団長は息子を溺愛している。半端な証拠で捕まえようとすれば、権力で揉み消されるどころか、逆にこちらが『無実の貴族を陥れた』として断罪されるだろう」


 レオンハルトは苦渋の表情を浮かべる。

 相手は「見えない殺人鬼」であると同時に、「触れられない権力者」でもあるのだ。

 状況証拠は揃っている。だが、決定的ではない。

 「髪の毛が落ちていた? たまたま通りがかっただけだ」「シフトを知っていた? 騎士なら当然だ」と言い逃れされれば、それまでだ。


 重苦しい沈黙がラボを包む。

 だが、スカーレットだけは、試験管の中の青い髪の毛を見つめ、静かに微笑んでいた。


「……状況証拠だけでは足りない。つまり、言い逃れのできない『科学的確証』が必要だということですね?」

「そんなものがあるのか? 現場を見た奴は全員死んでいるんだぞ」

「ありますよ、殿下」


 スカーレットは白衣のポケットから、一枚の新しい羊皮紙を取り出した。

 そこには、まだ誰も見たことのない、複雑な二重螺旋の図が描かれている。


「この髪の毛が、間違いなくアラン・ド・ノワールのものであることを、神に誓って証明する技術……『DNA鑑定』の出番です」


 レオンハルトとテオが顔を見合わせる。

 聞き慣れない単語。だが、スカーレットの自信に満ちた表情が、それが切りジョーカーであることを物語っていた。


「DNA……?」

「ええ。全ての生物が持つ、ごまかしようのない『血の刻印』です。たとえ魔法で姿を変えても、記憶を消しても、この設計図だけは書き換えられません」


 スカーレットは試験管を掲げた。


「禁断の領域に踏み込みましょう。……権力の盾を貫く、最強の槍を作るために」


 見えない敵の正体は暴かれた。

 次は、その首に「科学」という名の逃れられない鎖をかける番だ。

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