第33話:魔法警察の敗北
王宮内にある「魔法警察・合同捜査本部」は、蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。
広い会議室の中央には、王都の精巧な立体地図が浮かび上がっている。そこには赤い光点がいくつも点滅しており、犯行現場と騎士団の配置を示していた。
だが、その光景は「捜査」というよりは「パニック」に近かった。
「第四地区、反応なし! 結界のログにも異常は見当たりません!」
「馬鹿な! 衆人環視の中で人が死んだのだぞ!? 魔力反応の一つもないわけがあるか!」
「センサーの故障ではありません! 本当に、そこには『何もなかった』のです!」
数十人の魔導捜査官たちが怒号を飛ばし、羊皮紙の束を抱えて走り回っている。
彼らの顔には、焦燥と、それ以上の「恐怖」が張り付いていた。
見えない敵。魔法が通じない敵。
それは、魔法こそが世界の理であると信じて生きてきた彼らにとって、理解の範疇を超える現象だった。
捜査局長である恰幅の良い男が、脂汗を拭いながら頭を抱えた。
「ありえん……。最高感度の探知結界をすり抜け、痕跡一つ残さずに人を殺すなど」
「局長! やはり人間ではありません!」
部下の一人が悲鳴のように叫ぶ。
「これは『怨霊』か、古代の『不可視の魔獣』の仕業です! 物理的な捜査など無意味だ! 直ちに神殿へ連絡し、高位の除霊師を……」
安易な逃避。
理解できない現象を「オカルト」のせいにして、思考を停止させる。それが、魔法至上主義の成れの果てだった。
「……ええい、背に腹は代えられん! 除霊部隊を編成しろ! 聖水を撒け!」
局長が破れかぶれの命令を下そうとした、その時だった。
ドォォォォン!!
会議室の重厚な両開きの扉が、何らかの物理的衝撃によって蹴破られた。
蝶番が悲鳴を上げ、扉が壁に激突する。
静まり返る本部。
土煙の中に立っていたのは、返り血で汚れた戦闘服のままの第二王子、レオンハルトだった。
「……怨霊、だと?」
地獄の底から響くような低い声。
レオンハルトは、後ろにスカーレットとテオを従え、部屋の中へと足を踏み入れた。
その全身からは、周囲の空気をピリピリと震わせるほどの怒気が放たれている。
「寝言は寝室で言え、無能ども」
「で、殿下!? 無礼な! 我々は不眠不休で捜査を……」
「不眠不休で『幽霊探し』か? ご苦労なことだな」
レオンハルトは地図のテーブルに拳を叩きつけた。
バヂンッ、と魔力の火花が散り、ホログラムが歪む。
「貴様らが『魔力がないから見えない』『悪霊の仕業だ』と泣き言を言っている間に、犯人は物理的なナイフで、物理的に市民の喉を裂いている。……これが現実だ」
「し、しかしですな!」
局長が顔を赤くして反論する。
「殿下は現場をご存じないからそう仰るのです! 魔力探知、熱源探知、生命探知……あらゆるセンサーが『無』を示しているのですぞ! 反応がないものを、どうやって捕まえろと言うのですか!」
それは、彼らにとっての正論だった。
見えないものは、存在しない。魔法がそう告げているのだから。
だが。
その後ろから、呆れ果てたような、冷ややかな声が響いた。
「反応がない? ……それは貴方たちのセンサーの『設定』が間違っているからです」
スカーレットだった。
彼女は白衣のポケットに手を突っ込み、怯える捜査官たちの間を悠然と歩いてくる。
その視線は、無知な子供を見る教師のように冷たい。
「な、なんだ貴様は! 部外者が!」
「部外者ではありません。被害者の無念を解剖しに来た、通りすがりの科学者です」
スカーレットは地図の前に立ち、指を鳴らした。
「いいですか、魔法使いの皆様。貴方たちは『魔力を持つ人間』を探している。だから、魔力を完全に隠蔽できるスキル、あるいは魔道具を使っている犯人が映らない」
「だから、手立てがないと……」
「いいえ。犯人が透明になっても、決して消せないものがあります」
彼女は、まるで世界の真理を説くように断言した。
「『質量(Mass)』と『体積(Volume)』です」
局長が口をパクパクさせる。聞き慣れない単語だ。
「質量……?」
「ええ。そこに犯人が立っているなら、その体積分の『空気』が物理的に押しのけられています。犯人が歩けば、地面には体重分の『圧力』がかかります」
スカーレットは、先ほど現場で見てきた光景を語る。
「雨の中なら、雨粒が弾かれます。泥の上なら、足跡がつきます。たとえ『認識阻害』で目に見えなくとも、そこに物理的な干渉は必ず生じる」
「そ、そんな細かいものを……」
「貴方たちは魔法を見ようとしすぎです。もっと原始的な……『世界との物理的干渉』を見れば、そこにぽっかりと『空白の穴』が空いているのが分かるはずです」
スカーレットは局長を指差した。
「幽霊はナイフを握れません。呪いは泥を踏みしめません。……これは、ただの『性格の悪い光学迷彩を使った人間』による犯行です」
会議室は沈黙に包まれた。
誰も反論できなかった。
彼らが「神の視点」だと思っていた魔法の探知網が、実はザルでしかなかったことを、論理的に突きつけられたからだ。
幽霊だ、悪魔だ、と騒いでいた自分たちが、急に滑稽に思えてくる。
その沈黙を破ったのは、レオンハルトの厳命だった。
「聞いたな? 幽霊退治は中止だ」
彼は冷徹に言い渡す。
「今後、本件の指揮は第零班が執る。魔法警察は、スカーレットの指示に従って『物理的な包囲網』を敷け。……文句がある奴は、今すぐ辞表を書け」
「は、はいッ!」
局長が直立不動で敬礼する。
完全に、指揮権が移譲された瞬間だった。
「スカーレット。指示を」
「了解しました」
スカーレットはテキパキと指示を飛ばし始める。
「現場の保存を最優先にしてください。特に、犯人が触れた可能性のある壁、地面、そして被害者の衣服。清掃魔法は厳禁です」
「な、何を探すのですか? 犯人は見えないのに」
「犯人は見えませんが、必ず現場に『自分のカケラ』を落としています」
スカーレットは白衣を翻し、踵を返した。
「髪の毛、皮膚片、繊維……。それらは透明化の影響下から離れれば、ただの物質に戻る可能性があります」
「行きましょう、殿下。……『エドモンド・ロカール』の法則を、この世界に教える時間です」
彼女の瞳には、確固たる勝算が宿っていた。
魔法の目には映らない微細な真実を、科学の目で拾い上げる。
反撃の準備は整った。




