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婚約破棄の現場から失礼します。その「冤罪」、科学捜査(フォレンジック)で論破させていただきます 〜前世科捜研の私が、魔法世界の完全犯罪をDNA鑑定で暴くまで〜  作者: ヲワ・おわり
第6章:論破と真相の解明

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第31話:甘い報酬と次の火種

 魔導卿毒殺事件の解決から翌日。

 王宮の地下三階、第零班ラボの休憩スペースには、戦いの後の気だるい空気が漂っていた。


 革張りのソファの上で、スカーレットは死体のようにぐったりと倒れ込んでいた。

 白衣はシワになり、いつもは綺麗にまとめている真紅の髪も乱れている。


「……限界です。脳の前頭葉がストライキを起こしました」


 彼女は天井の染みを見つめながら、うわごとのように呟く。


「思考回路の糖分残量がゼロです。今なら、どんな詐欺師の口車にも乗れる自信があります……」

「詐欺師に乗せられる前に、これを食え」


 頭上から声が降ってきた。

 事後処理を終えて戻ってきたレオンハルトだ。彼は上着を脱いでラフなシャツ姿になり、その手に王室御用達の紋章が入った「白い箱」を持っていた。


「契約通りの報酬だ」


 その言葉を聞いた瞬間、スカーレットはバネ仕掛けの人形のように跳ね起きた。


「報酬……! まさか、例の?」

「ああ。王都で一番予約が取れないパティスリー『ル・ブラン』の新作だ」


 レオンハルトが箱を開ける。

 そこには、黒い宝石のように艶やかに輝く「ザッハトルテ」が鎮座していた。濃厚なチョコレートでコーティングされた、ウィーン発祥の至高のケーキだ。


「素晴らしい……! カカオ含有率七〇パーセント以上の香り!」


 スカーレットの瞳が、事件解決時よりも輝いた。

 彼女はフォークを手に取り、待ちきれない様子でケーキを口に運ぶ。


「んん……ッ!」


 一口食べた瞬間、彼女は身を震わせた。


「五臓六腑に染み渡るスクロース(ショ糖)! 枯渇していた神経伝達物質が、急速に再合成されていくのを感じます!」

「……相変わらず、食い意地だけは立派だな」


 リスのように頬を膨らませてケーキを貪るスカーレット。

 先ほどまで冷徹な論理で大人たちをねじ伏せていた「魔法使い殺し」の面影はない。そこにいるのは、ただ餌付けされた小動物だ。

 レオンハルトは呆れつつも、その無防備な姿を愛おしそうに見つめていた。


「おい、ついてるぞ」

「ふぇ?」


 スカーレットが顔を上げると、レオンハルトが自然な動作で手を伸ばしてきた。

 彼の親指が、スカーレットの口元を掠める。

 頬についていたチョコレートクリームを、優しく拭い取ったのだ。


「……子供か、お前は」


 そして、彼はあろうことか。

 拭った指をそのまま自分の口に含み、クリームを舐め取った。


「うん、悪くない」


 時間が止まった。

 スカーレットの手から、カチャンとフォークが滑り落ちる。


 ドクン。

 心臓が、痛いくらいに大きく跳ねた。

 顔が一気に熱くなり、思考回路にホワイトノイズが走る。


(心拍数一四〇突破。コルチゾール上昇。交感神経が異常興奮状態)

(……これは『恐怖』? いいえ、対象への敵対行動や回避行動は見られない。なら、何?)


 スカーレットは未知の生理反応に混乱し、椅子ごと後ずさった。


「……で、殿下。距離が近すぎます。唾液感染のリスクが」

「嫌なら避ければいいだろう」


 レオンハルトは悪戯っぽく笑い、スカーレットの顔を覗き込んだ。


「……避けなかったのは、誰だ?」

「くっ……!」


 スカーレットは言葉に詰まる。

 この男、無自覚にフェロモンを散布している。これは一種の生物兵器だ。

 彼女は必死に深呼吸をし、乱れた数値を正常化しようと試みる。


(落ち着きなさい、スカーレット。これは単なる糖分摂取による急激な血糖値スパイク(上昇)よ。あるいは、カフェインによる動悸。……そう、医学的に説明がつく現象だわ)


 自分自身への欺瞞工作を行っていた、その時だった。


「お取込み中、失礼します」


 氷のように冷たい声が、甘い空気を断ち切った。

 入り口に立っていたのは、侍女のレイブンだ。彼女はいつになく険しい表情で、一枚の新聞を手にしている。


「……レイブン。ノックは?」

「しました。お二人がイチャつ……いえ、議論に夢中だったので聞こえなかったのでしょう」


 レイブンは無表情でそう告げると、テーブルの上に新聞を置いた。

 それは、夕刊の号外だった。

 踊るような大見出しが、スカーレットの目に飛び込んでくる。


『王都の悪夢! 深夜の連続切り裂き魔、3人目の犠牲者』


 スカーレットの表情から、瞬時に「乙女」の色が消えた。

 代わりに現れたのは、冷徹な「捜査官」の顔だ。


「……詳細を」

「はい。昨夜未明、下層区の路地裏で若い女性の遺体が発見されました。死因は、鋭利な刃物による喉の切断。……これで三人目です」


 レイブンは淡々と報告を続ける。


「被害者は全員、若い女性。そして、不可解な点が一つあります」

「不可解な点?」

「現場は人通りのある路地や、街灯の下でした。しかし、『誰も犯人を見ていない』のです」


 レオンハルトが眉をひそめる。


「目撃者がいない? 夜闇に紛れたか、遠距離からの魔法狙撃か?」

「いいえ。目撃証言によれば、『被害者が突然、何もない空間で血を噴き出して倒れた』とのことです。近くには誰もいなかったと」


 誰もいない空間で、喉が裂ける。

 そんな怪奇現象を前に、王都の治安維持組織はパニックに陥っていた。


「警察は、人間ではなく『カマイタチ』のような魔獣か、あるいは『透明な悪霊』の仕業だと騒いでいます。物理的な捜査を放棄し、神殿に除霊を依頼する騒ぎです」

「……」


 スカーレットは眼鏡のブリッジを押し上げた。

 その瞳の奥で、冷たい怒りと、知的な興奮が渦を巻く。


透明人間インビジブル・マン……ですか」


 彼女は呟く。


「光学迷彩か、認識阻害魔法か。……いずれにせよ、ふざけた話です」

「スカーレット?」

「殿下。幽霊はこの世に存在しません。もし存在するとしても、ナイフを握って人の喉を裂くことはできません」


 スカーレットは食べかけのザッハトルテを置いた。

 甘い時間は終わりだ。これより先は、血と泥にまみれた狩りの時間。


「光は屈折させられても、『質量』までは消せません」


 彼女は白衣を翻し、立ち上がる。


「ナイフが肉を裂いたなら、そこには必ず『力』と『物体』が存在したはずです。そこに質量があるなら、必ず痕跡が残ります」

「……行くのか」

「ええ。幽霊の正体を暴きに」


 レオンハルトもまた、ラフなシャツの上に黒いロングコートを羽織り、剣をいた。

 二人のバディが、再び動き出す。

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