第30話:第零班の勝利と評価
深夜の王宮、魔導卿執務室。
真犯人であるエリーゼ夫人が連行された後、部屋には重苦しい静寂が満ちていた。
祭りの後のような虚脱感の中、スカーレットは淡々と撤収作業を進めていた。
実験台の上に並んだビーカーや試験管、そして毒を暴いたクロマトグラフィーのガラス塔。それらを一つ一つ、丁寧にケースへと収めていく。
「テオ、ガラス器具は慎重に。これらは今日、『魔導卿の杖』よりも役に立ったのですから」
「は、はいっ! 任せてください!」
少年テオは、自分が作った道具が最高のエリートたちを黙らせたことに興奮し、紅潮した顔で梱包を手伝っている。
一方で、部屋に残された「敗者」たちは、未だに現実を受け入れられずにいた。
容疑者だった弟子ギデオンと財務大臣。そして、捜査指揮官のガイルたちだ。彼らは呆然と立ち尽くし、目の前で片付けを行う白衣の令嬢を見つめている。
「……魔法が、負けたのか?」
「あんなガラス細工と、草の汁に……我々の探知魔法が?」
彼らが信じてきた「魔法至上主義」という盤石な大地が、音を立てて崩れ去ったのだ。その衝撃は、言葉を奪うに十分だった。
だが、その沈黙を切り裂くように、金切り声が響いた。
「ま、待て! まだ終わらんぞ!」
ガイルだった。
彼は充血した目でレオンハルトに食ってかかる。
「今回はたまたま毒だっただけだ! 偶然が重なったに過ぎない! これだけで魔法警察の権威が揺らぐものか!」
「……何が言いたい、ガイル」
「この件は公式には『病死』として処理する! 偉大なる魔導卿が、魔力なき女の、しかも雑草の毒で殺されたなど……そんな醜聞、公表できるわけがないだろう!」
それは、腐敗した組織特有の、醜悪な保身だった。
真実よりもメンツ。正義よりも体裁。
スカーレットは手を止め、冷ややかな視線を送る。彼女が口を開こうとした時、それより早く、レオンハルトが一歩前に出た。
ドォン。
床を踏みしめる音が、部屋の空気を震わせる。
「……ガイル。貴様はまだ、自分の保身か?」
レオンハルトの声は低く、地を這うような怒りを孕んでいた。
「目の前で真実が暴かれ、無実の人間(弟子と大臣)が疑われ、真犯人が罪を認めた。それでもなお、貴様は己のプライドを守るために嘘をつくと言うのか?」
「こ、これは国のための判断で……ひぃっ!?」
ガイルが悲鳴を上げて後ずさる。
レオンハルトが放つ威圧感は、物理的な質量を持って彼を押し潰そうとしていた。
「いいだろう。そこまで無能を晒すなら、相応の処置をしてやる」
第二王子は、部屋にいる全員に向けて高らかに宣言した。
「本日ただ今をもって、王宮内における『不審死』および『貴族絡みの事件』の一次捜査権は、全て王宮警察特別捜査局・第零班に移譲する」
「な、何だと!?」
「魔法省および魔法警察は、今後、第零班の指揮下に入れ。現場保存、力仕事、そして雑用……。お前たちは我々の『下請け』として動け」
それは、死刑宣告よりも残酷な通達だった。
エリート中のエリートである魔法捜査官が、「ゴミ拾い」と蔑んでいた部署の、しかも魔力をたいして持たない令嬢の部下になる。
プライドの塊である彼らにとって、これ以上の屈辱はない。
「そ、そんな馬鹿な! 王族といえど横暴だ! 陛下が認めるはずがない!」
「父上(国王)の許可なら既に取ってある。『俺が勝てば好きにしろ』とな」
レオンハルトは、腰を抜かしたガイルを冷徹に見下ろした。
「それに、貴様には別の場所を用意してやる。……捜査怠慢による重過失、および証拠隠滅教唆の疑いだ。牢獄で頭を冷やせ」
「あ……あぁ……」
ガイルは崩れ落ち、床に手をついた。
完全なる敗北。下剋上の完了である。
◇
ガイルが衛兵に連行された後、部屋には重苦しい、しかし先ほどとは質の違う空気が流れていた。
生き残った二人の容疑者――弟子ギデオンと財務大臣が、おずおずとスカーレットに近づいてくる。
彼らの目に、かつてのような侮蔑の色はない。
あるのは、理解の範疇を超えた存在に対する、根源的な「恐怖」と「敬意」だった。
「……あ、あんた、何者なんだ?」
ギデオンが震える声で問う。
「魔法も見ずに、毒の種類を特定し、見えないトリックを暴いた。……一体、どんな魔眼を持っているんだ?」
「魔眼? 過大評価ですね」
スカーレットは白衣を翻し、彼らに背を向けた。
「私はただの『観察者』です。貴方たちが見ようとしなかった、ミクロの世界を見ていただけ」
「観察、だけで……」
「ええ。それと、命拾いしましたね」
彼女は振り返り、淡々と言い放つ。
「もし犯人がもう少し賢ければ、次に毒入りワインを飲むのは、目障りな貴方たちだったかもしれませんよ? ……魔法過信は命取りです。せいぜい、食事の前の『毒見』を怠らないことですね」
二人の顔色が青ざめる。
彼らは無言で、何度も頭を下げて部屋を出て行った。
その背中は、二度とスカーレット・ヴァレンタインという女には逆らうまいと、雄弁に語っていた。
◇
東の空が白み始める頃、スカーレットたちは地下ラボへと戻ってきた。
徹夜の捜査と実験、そして権力闘争。疲労はピークに達しているはずだが、チームの足取りは軽かった。
「すごかったです、局長!」
テオが興奮気味に腕を振る。
「あの偉そうな捜査官たちが、何も言えなくなって! 僕のガラス器具が、魔法使いの杖に勝ったんですね!」
「ええ、テオ君の技術の勝利よ。貴方が作ったカラムがなければ、あの毒は暴けなかった」
「へへへ……!」
侍女のレイブンも、珍しく口元に笑みを浮かべていた。
「お嬢様のメス捌き、見事でした。死者も、そして虐げられた生者も、少しは救われたことでしょう」
「……そうだといいけれど」
スカーレットは執務室のソファにどさりと倒れ込んだ。
「よくやった、スカーレット。賭けは俺の勝ちだな」
レオンハルトが、淹れたてのコーヒー(砂糖多め)を差し出す。
「これで第零班の権限は確立された。予算も倍増だ。」
「感謝します、スポンサー様。増えた予算で、新しい遠心分離機と……高級茶葉を買わせていただきます」
スカーレットはコーヒーを受け取り、一口飲むと、深い安堵の息を吐いた。
地下室の空気は相変わらずカビ臭いが、今の彼女たちには、どんな香水よりも清々しく感じられた。
◇
この事件を境に、王都の貴族たちの間、そして裏社会の住人の間で、ある噂が囁かれるようになった。
『王宮の地下には、魔法が通じない魔女がいる』
『見えない証拠を暴き、完全犯罪を葬る死神だ』
人々は畏怖と、奇妙な期待を込めて彼女をこう呼んだ。
魔法の嘘を切り裂く者――『魔法使い殺し(メイジ・キラー)』。
あるいは、『真実の解剖医』と。
だが、そんな二つ名など知る由もなく。
ラボのソファでは、稀代の法科学者が、泥のように眠りに落ちていた。
無防備な寝顔。少し開いた口。
「……魔女でも死神でもないな」
レオンハルトは彼女に毛布をかけ、その寝顔を見下ろして苦笑した。
「ただの、甘党の変人だ」
そう呟く彼の表情は、今まで誰にも見せたことのないほど、穏やかで優しいものだった。




