第3話:「風魔法で突き飛ばした」という証言の矛盾
パチン。
静まり返った大講堂に、ゴム手袋が手首を叩く乾いた音が響いた。
煌びやかなシャンデリアの下、真紅のドレスを纏った公爵令嬢が、両手に青いニトリル手袋を装着している。その光景はあまりに異様で、シュールですらあった。
だが、スカーレットの表情は真剣そのものだ。まるで汚染区域に踏み込む防疫官のように。
「な、なんだその格好は! 神聖な舞踏会を掃除の場と間違えているのか!」
ブラッドリー王子が顔をしかめて叫ぶ。
スカーレットは、冷静に淡々と答えた。
「ええ、その通りです殿下。ここには今、処理すべき『ゴミ』が散乱しているようですので。感染症対策は必須ですわ」
ゴミ。
その言葉が自分たちに向けられたものだと察し、周囲の貴族たちがざわめいた。
だが、スカーレットは彼らの怒りなど意に介さない。彼女の視線は、証言台代わりの場所に立つミエルの取り巻きたちに向けられていた。
「それで? 私が風魔法を使ったという証言でしたわね。詳細を」
スカーレットに促され、令嬢の一人がヒステリックに声を上げた。
「見ました! 放課後の階段で、スカーレット様が手を振りかざすと、緑色の風が巻き起こり、ミエル様が吹き飛びました!」
「私も見ました! 嫉妬に狂った悪魔のような形相で……本当に恐ろしかったです!」
口々に同意する証人たち。
ブラッドリーは勝ち誇ったように鼻を鳴らす。
「聞いたか、スカーレット。複数の目撃者がいる。これでも白を切るつもりか?」
スカーレットは、深いため息をついた。
呆れているのではない。あまりに非効率な嘘に、頭痛を覚えているのだ。
(風魔法、ね。……私の魔力適性を調べてから嘘をつきなさいよ)
彼女は内心で毒づきながら、冷静に反論を開始する。
「殿下。ご存知の通り、私の魔力は『鉄環』レベル。生活魔法で種火を起こすのがやっとです」
「魔道具を使ったのだろう! 公爵家の財力があれば、風の高位魔石などいくらでも買える!」
「ええ、買えます。ですが、それは『経済合理性』に欠けますわ」
スカーレットは指を一本立てる。
「人を数メートル吹き飛ばす出力の風魔石は、使い捨てでも屋敷が一軒買える値段です。たかが足払いのために、そんな高コストな手段を使いますか? 私なら背後から蹴り落とします。その方が運動エネルギーの伝達効率が良く、何よりタダですから」
あまりに即物的で物騒な反論に、ブラッドリーが言葉を詰まらせる。
だが、スカーレットは攻撃の手を緩めない。彼女は包帯を巻いたミエルに向き直った。
「ミエル様にお伺いします。貴女は風魔法で突き飛ばされたと仰いましたね?」
「は、はい……。ものすごい衝撃でした」
「では、その衝撃は貴女の身体の『どこ』に当たりましたか? 一点ですか? それとも全体ですか?」
ミエルは一瞬、答えに窮したように視線を泳がせた。
だがすぐに、か弱い被害者の顔を作って涙ぐむ。
「ぜ、全体よ! ドンッて強い風が来て、抗えなかったの! 背中から壁に叩きつけられて……本当に怖かった……っ」
スカーレットの瞳が、きらりと光った。
「なるほど。風圧によって、身体全体を『面』で押されたわけですね。……記録しました」
その確認こそが、彼女が待っていた言葉だった。
だが、ミエルもただ泣いているだけではない。彼女の瞳が潤み、微弱な魔力が波動となって会場に広がる。
彼女のユニークスキルに近い特異体質――【精神干渉】の発動だ。
「ひどい……! 痛い思いをした被害者を、まるで犯人のように尋問するなんて!」
ミエルの涙が床に落ちた瞬間、会場の空気が一変した。
貴族たちの目が虚ろになり、代わりに義憤と攻撃性が増幅されていく。
「そうだ、ミエル嬢は可哀想だ!」
「悪役令嬢を断罪せよ!」
「証拠なんて、彼女の涙と怪我がすべてだ!」
集団心理の暴走。
スカーレットは、興奮して叫ぶ貴族たちを冷ややかに観察していた。
(脳内物質ノルアドレナリンの分泌を促進する揮発成分……。換気の悪いこの会場では効果覿面ね。集団ヒステリーのサンプルとして優秀だわ)
彼女には「感情」が通じないわけではない。ただ、それを「脳内物質の化学反応」として処理してしまうため、共感するよりも先に分析してしまうのだ。
だからこそ、彼女だけはこの狂乱の中でも正気を保っていられる。
会場が「スカーレット有罪」の空気で固まったのを見て、ブラッドリーが最後通告を突きつけた。
「見たか、これが総意だ。だが、私も鬼ではない。長年のよしみだ」
王子は慈悲深い表情を浮かべ――それが一番残酷な顔だとも気づかずに言った。
「今ここで土下座し、罪を認めるなら、婚約破棄だけで済ませてやろう。牢獄ではなく、修道院での反省ですむように手配してやる。……感謝するんだな」
後ろに控えていた侍女のレイブンが、スカーレットの背中に向かって小声で囁く。
「……お嬢様。乗ってはなりません。これは『司法取引』に見せかけた自白強要です」
「ええ、分かっているわ。一度でも『認めます』と言えば、既成事実化される。後からどんな科学的証拠を出しても、覆すのは困難になるわ」
冤罪の典型的な手口だ。
だが、スカーレットは一歩前に出た。
膝を折るのか? と期待する王子とミエル。
しかし、彼女は土下座する代わりに、眼鏡のブリッジをくいと押し上げた。
「殿下。謝罪の前に、一つだけ最終確認をさせてください」
スカーレットの視線が、ミエルを射抜く。
「ミエル様。貴女は『風魔法で突き飛ばされた』と仰いました。……つまり、私スカーレット・ヴァレンタインには、指一本触れられていない。この認識で間違いありませんね?」
ミエルはブラッドリーの腕にしがみつきながら、強く頷いた。
「え、ええ。貴女は遠くから笑っていたわ。私には触れていない。絶対に!」
「くどいぞスカーレット! 魔法を使ったと言っているだろう!」
ブラッドリーも苛立たしげに肯定する。
その言葉を聞いた瞬間。
スカーレットは深く、満足げに微笑んだ。
「ありがとうございます。『接触がない』という証言、確かに頂きました」
(これで『ロカールの交換原理』が適用できる。もし接触痕が見つかれば、貴女の証言は物理法則によって一〇〇パーセント崩壊する)
罠は閉じた。
逃げ道は、もうどこにもない。
「それでは、証明終了(Q.E.D.)に向けて実験を開始します」
スカーレットはドレスに隠し持っていた鞄から、遮光性のスプレーボトルを取り出した。
中に入っているのは、この世界の人間が誰も知らない、真実を暴くための試薬。
「給仕。会場の照明をすべて落として。窓のカーテンも閉めなさい」
「な、何を……?」
「これより、『目に見えない嘘』を光らせてみせましょう」
スカーレットの威圧感に押され、給仕たちが慌てて魔石灯のスイッチを切っていく。
広大な講堂が、完全な闇に包まれた。
暗闇の中、スカーレットの着ている白衣のようなショールと、青いゴム手袋だけが、亡霊のように白く浮かび上がっていた。




