第28話:追い詰められた真犯人
深夜の魔導卿執務室。
スカーレットに指名された公爵夫人、エリーゼは、糸が切れた人形のように力なく立ち上がった。
喪服に身を包んだ彼女は、顔面蒼白で、小刻みに震えている。その瞳には涙が溢れ、見る者の庇護欲を掻き立てるほどに儚げだった。
「……ひどいですわ」
エリーゼは濡れた瞳で訴える。
「私が夫を殺したなんて……。どうしてそのような恐ろしいことを仰るのですか?」
「事実だからです」
「違います! 私は『無環』ですのよ?」
彼女は自分の首元――魔力を持つ者が誇らしげに下げる『魔導の首飾り』が存在しない、何もない首筋を見せた。
「私には魔力も、才能もありません。夫からはいつも『出来損ない』と罵られていました。そんな私が、偉大な魔導卿である夫を殺せるはずがありませんわ。ましてや、結界を破るような高度なトリックなど……」
その悲痛な訴えに、同席していた男性陣が動揺する。
弟子であるギデオンが、庇うように声を上げた。
「そ、そうだ! 夫人にそんな大それたことができるわけがない! 彼女は魔法の基礎理論さえ知らない素人だぞ!」
「状況証拠だけで夫人を犯人扱いするのは暴論だ。彼女は被害者なんだぞ!」
財務大臣も同調する。
彼らの反応は、このルミナス王国における一般的な価値観そのものだった。
『魔力こそが力』。『魔力なき者は無力』。
だから、最強の魔法使いが殺されたなら、犯人もまた強力な魔法使いでなければならない――という、無意識のバイアス。
(……浅はかですね)
スカーレットは眉一つ動かさず、彼らの同情劇を冷めた目で見つめた。
(「弱者だから犯人ではない」というのは、捜査において最も危険な先入観です)
彼女は一歩、前に進み出た。
その足音だけで、場の空気が張り詰める。
「夫人。魔力がないことは、無実の証明にはなりません」
スカーレットは冷徹に告げた。
「むしろ、魔力がないからこそ、貴女は『魔法を使わない殺し方』を選んだのです。魔法使いが警戒しない『物理的な毒』と『物理的な時限装置』を」
「ですが……私にはアリバイがあります! 犯行時刻、私は別邸でお茶会をしていました。使用人たちが証人です!」
「ええ、存じています。ですが、先ほど説明した通りです」
スカーレットは実験台の上の、溶けきった氷を指差した。
「『氷のトリック』は、不在証明を無効化します。貴女が必要だったのは、犯行時刻にここにいることではありません」
「……」
「貴女が必要としたのは、結界が張られる前――『夕食の準備の時間』に、氷をすり替える一瞬の隙だけです」
レオンハルトが資料に目を落とし、裏付けを取る。
「……証言によると、今日のワインとグラス、そして氷を用意したのは夫人だな?」
「それは……妻としての務めですもの……。夫は気難しい人でしたから、飲み物の用意だけは私にさせて……」
「その務めこそが、誰にも怪しまれずに凶器(氷)をセットできる、唯一にして最大の好機でした」
スカーレットの指摘に、エリーゼが言葉を詰まらせる。
だが、彼女はまだ諦めていない。唇を噛み締め、必死に反論を試みる。
「証拠はあるのですか!? 氷が溶けた水が怪しいというだけで、私がやった証拠にはなりません! 誰かがこっそり入れたのかもしれないじゃありませんか!」
「往生際が悪いですね」
スカーレットは溜息をつき、机の上の「汚れたゴミ箱」を引き寄せた。
現場検証で、ガイルに「汚らわしい」と罵られた、あのゴミ箱だ。
「このゴミ箱の底の水からも、高濃度のトリカブト毒が検出されました」
「……っ!」
「被害者は几帳面でした。飲み残しの液体を、紙くず用のゴミ箱に捨てるはずがない。……ここに液体(氷)を捨てたのは、『証拠隠滅を焦った人物』だけです」
スカーレットは、エリーゼの目を真っ直ぐに見据えた。
「貴女は厨房で毒入り氷を作った際、製氷皿に残った『失敗作』か『余った氷』を処分する必要があった。トイレに流せばよかったのに、誰かに見られるのを恐れて、とっさに目の前のゴミ箱に隠した」
「ち、違……」
「固体の氷なら見つかるかもしれない。でも溶ければ水になって、ゴミの下に隠れる。……そう思ったのでしょう?」
図星だったのだろう。エリーゼの視線が泳ぐ。
その「焦り」こそが、彼女が冷静な暗殺者ではなく、追い詰められた素人であることの証明だった。
「その行動心理が、貴女の指紋のように現場に残っています」
「想像よ! 全部あなたの妄想だわ! 私が毒草なんて触るはずがない!」
エリーゼはヒステリックに叫び、両手を背中へと隠した。
その過剰な反応を、スカーレットは見逃さなかった。
「……手を見せなさい」
「嫌よ!」
「見せなさいと言っているのです」
スカーレットが合図を送る。
瞬間、影のように控えていた侍女のレイブンが動いた。
音もなくエリーゼの背後に回り込み、その両手首を掴み上げる。
「きゃっ!? 離して! 乱暴しないで!」
「公務執行妨害です。大人しくしてください」
レイブンは無表情のまま、夫人の右手を長机の上に固定した。
細く、白い指。庭いじりをしていたとは思えないほど、手入れされた美しい手だ。
だが、スカーレットは知っている。美しさの裏に隠された、微細な真実を。
「テオ、幻灯機を」
「は、はいっ!」
準備していた魔導幻灯機が起動する。
スカーレットは自身の額をレンズに当て、スキルを発動させた。
「――【微細構造解析】」
強烈な光と共に、壁に巨大な映像が投影される。
映し出されたのは、エリーゼの「人差し指の爪の間」の超拡大映像だ。
「あ……」
会場の誰もが息を呑んだ。
一見綺麗に見える爪の隙間。
だが、高倍率で拡大されたその奥には――拭き取りきれなかった「紫色のシミ」と、微細な「緑色の繊維片」が挟まっていた。
「貴女は念入りに手を洗ったでしょう。ですが、爪の甘皮の奥に入り込んだ植物の汁までは落ちていません」
スカーレットは、事前に分析しておいたデータシートを掲げた。
「この植物片の細胞(DNA)と、被害者の胃の中から検出された毒物のDNA……完全一致しました」
それは、言い逃れようのない「死刑宣告」だった。
「貴女がトリカブトをすり潰し、その毒を氷に混ぜ、その手で夫を殺した。……これ以上の証拠が必要ですか?」
巨大なスクリーンに映し出された、動かぬ証拠。
それを見上げ、エリーゼの悲鳴が止まった。
部屋には、プロジェクターの駆動音だけが低く響いている。
ギデオンも、財務大臣も、ガイルも、誰も言葉を発せなかった。
魔法の力ではない。
ただの「草」と「水」と「観察眼」だけで、完全犯罪が暴かれたのだ。
やがて。
エリーゼの瞳から、怯えの色が消えた。
今まで張り詰めていた糸が切れたように、彼女の肩から力が抜ける。
代わりに浮かんだのは、深く、暗い絶望と――そして、奇妙なほどの安堵だった。
「……すごいわね」
彼女はゆっくりと顔を上げ、スカーレットを見た。
その口元に、自嘲気味な笑みが浮かぶ。
「魔法使いのあの人には、一生見えなかった景色だわ」
もはや、弱者の仮面は剥がれ落ちていた。
そこにいるのは、一人の覚悟を決めた殺人犯だった。
スカーレットは眼鏡の位置を直し、静かに告げた。
「動機をお話しください。……魔力なき貴女が、なぜ国一番の魔法使いを殺さねばならなかったのか」
真犯人の独白が、静寂の執務室に語られ始める。




