第25話:関係者招集、再びの現場にて
時刻は深夜を回っていた。
魔導卿ヴァルド公爵の執務室。つい先ほどまで死の静寂に支配されていたその部屋は、今や異様な「劇場」へと変貌を遂げていた。
スカーレットの指示により、部屋の中央に鎮座していた重厚なマホガニーの執務机は脇へと退けられている。
代わりに設置されたのは、第零班ラボから持ち込んだ簡素な長机と、壁に立てかけられた巨大なブラックボード(黒板)だ。
長机の上には、テオが作ったガラスケースが置かれ、その中には「四本の試験管」が収められている。そしてその隣には、場違いに汚れた「木製のゴミ箱」が鎮座していた。
豪奢な貴族の部屋に、無機質な実験器具とゴミ箱。
それは、魔法と科学が衝突する舞台装置として、あまりにシュールな光景だった。
「……舞台装置は完了です」
スカーレットは白衣の襟を正し、曇りのない眼鏡を指先で拭った。
その瞳は、これから始まるショーへの期待と、獲物を追い詰める冷徹さで冴え渡っている。
「さあ、観客を入れましょうか」
◇
レオンハルトの招集命令により、関係者たちがぞろぞろと入室してきた。
深夜の呼び出し、それも一度は解決したはずの事件現場への招集に、彼らの表情は一様に不機嫌だった。
「……何の真似だ、殿下」
先頭を切って入ってきたのは、魔導捜査官ガイルだ。彼は眠気と苛立ちを隠そうともせず、スカーレットを睨みつけた。
「もう『病死』で処理は終わっているはずだ。こんな深夜に、我々を呼びつけて何をする気だ? またその女の妄想に付き合わせるのか?」
「僕だって忙しいんだ。明日の学会の準備がある」
続いて入ってきたのは、弟子のギデオン。神経質そうに貧乏ゆすりをしている。
その後ろから、不満げな顔の財務大臣。
そして最後に――喪服に身を包んだ妻、エリーゼが入ってきた。
彼女は怯えたように視線を泳がせ、部屋の隅で小さくなっていた。
スカーレットは眼鏡の奥で目を細め、スキルを発動させる。
「――【解析】」
(……心拍数一一〇。呼吸が浅い。過呼吸の初期症状。……恐怖していますね)
男たちが怒りを露わにしているのに対し、彼女だけが「何かが暴かれること」を恐れている。
その反応だけで十分だった。
「全員、揃ったな」
レオンハルトが重厚な扉を閉め、その前に仁王立ちになった。腕を組み、鋭い眼光で室内を睥睨する。それは無言の「逃走防止」の合図だった。
「これより、王宮警察特別捜査局第零班による『最終捜査報告会』を行う。退出は許可しない。……座れ」
王族の絶対的な命令。
ガイルたちは舌打ちしながらも、用意された椅子に腰を下ろした。
「手短に頼みますよ。時間の無駄だ」
財務大臣が鼻を鳴らす。
その傲慢な態度を、スカーレットは教鞭(指示棒)で軽く空を切る音で制した。
「無駄ではありません。これは、貴方たちの命に関わる授業ですから」
スカーレットは黒板の前に立った。
そこには、一枚の巨大な模造紙が貼り付けられている。
彼女が覆っていた布をバッと取り払うと、そこに描かれていた奇妙な図形が露わになった。
魔法陣ではない。
白い帯の上に、黄色、赤、そして紫色の線が層になって描かれた、幾何学的なチャート図。
先ほどのクロマトグラフィー実験の結果をスケッチしたものだ。
「……なんだその落書きは? 幼稚園のお絵描きか?」
ガイルが嘲笑う。
魔法使いにとって、図形とは魔法陣を意味する。この意味不明な縞模様は、子供の落書きにしか見えないのだろう。
「いいえ。これは『死因』の肖像画です」
スカーレットの声が、冷たく響いた。
「まず、前提を覆します。魔導捜査局は『魔力反応なし』を理由に、本件を『病死』と断定しました。……ですが、それは大きな間違いです」
「間違いだと? 我々のセンサーは絶対だ!」
「絶対? いいえ、それは『魔力がない毒は存在しない』という妄信に基づいた、欠陥だらけのザル調査です」
スカーレットは教鞭で模造紙を叩いた。
「貴方たちは、この国に自生する『トリカブト』という植物をご存知ですか?」
捜査官たちが顔を見合わせる。
「トリ……なんだって?」
「知らんな。平民が使う俗称か?」
「聞いたこともない」
彼らの反応を見て、スカーレットは冷ややかに、しかしどこか哀れむように笑った。
「やはり。……貴方たちの無知が、犯人に『完全犯罪』の隙を与えたのです」
スカーレットは長机の上のガラスケースを開け、一本の試験管を取り出した。
中に入っているのは、鮮やかな橙赤色の液体。
照明を受けて毒々しく輝くその色は、見る者に本能的な警戒心を抱かせる。
「この液体は、被害者である魔導卿の『血液』から抽出した成分に、ある試薬を反応させたものです」
「……血だと?」
「はい。魔法探知には反応しませんが、化学試薬にはこのように激しく反応し、色を変えます」
スカーレットは試験管を掲げ、宣言した。
「この反応色は、トリカブトの根に含まれる猛毒『アコニチン』特有のものです」
「なっ……!?」
「被害者は、この毒によって神経を麻痺させられました。口が痺れ、手足が動かなくなり、やがて呼吸筋が停止し……意識があるまま、ゆっくりと窒息したのです」
会場がざわめく。
病死だと思っていた老人が、実は地獄の苦しみの中で殺されていたという事実に、顔色を変える者、口元を押さえる者が続出する。
「病死ではありません。用意周到で、冷酷な計画殺人です」
スカーレットの視線は、ガイルを通り越し、部屋の隅で震えている「真犯人」へと向けられた。
その視線に気づいたエリーゼ夫人が、ビクリと肩を跳ねさせる。
だが、まだ終わらない。
弟子であるギデオンが、机をバンと叩いて立ち上がった。
「待て! 毒殺なのは分かった! だが、『密室』はどう説明するんだ!」
彼は叫ぶ。
「先生は警戒心が強かった! 結界は完璧だったはずだ! 物理も魔法も通さない絶対領域の中で、どうやって毒を飲ませたと言うんだ!」
「そうとも! 外部から毒を入れることなど不可能だ!」
ガイルも勢いづく。毒殺だとしても、実行不可能であれば罪には問えない。それが彼らの最後の砦だ。
しかし、スカーレットは涼しい顔で眼鏡の位置を直した。
「焦らないでください。……ええ、外部からの侵入は不可能です」
「なら……!」
「ですから犯人は、『内部から湧き出る』ように仕掛けたのです」
彼女は、証拠品として並べられていた「汚れたゴミ箱」と、まだ少し濡れている「ワイングラス」を手に取った。
「これから、この『ゴミ箱』を使って、密室の扉をこじ開けます」
スカーレットは不敵に微笑む。
魔法使いたちが信じていた「常識」が、音を立てて崩れ去る瞬間が迫っていた。




