第24話:失われた知識「トリカブト」
第零班ラボの実験台の上で、一本の試験管が妖しく輝いていた。
中に入っているのは、鮮やかな橙赤色の液体。
それは、クロマトグラフィーによって抽出された、魔導卿の死の直接的な原因物質だ。
「……確定です」
スカーレットは試験管をライトにかざし、揺らめく液面を見つめた。
「魔導卿ヴァルド公爵を殺したのは、高位の呪いでも、暗殺魔法でもない。路傍に咲く、ただの花でした」
「その毒の名は?」
レオンハルトが、固い声で問う。
「学名『アコニタム』。和名では『トリカブト』と呼ばれます」
スカーレットは淡々と解説を始めた。
「特にその根に含まれるアルカロイド成分『アコニチン』は、即効性の猛毒です。致死量はわずか数ミリグラム。私の故郷の知識で言えば、フグ毒に次ぐ、自然界最強クラスの神経毒ですね」
彼女は自身の首筋に指を這わせる。
「摂取すれば、神経系のナトリウムチャネルが阻害されます。まずは口の痺れ、次に嘔吐、そして不整脈。最終的には呼吸筋が麻痺し、意識があるまま窒息死します」
「……なんて苦しみだ」
「ええ。遺体の『縮瞳』『チアノーゼ』『泡状の唾液』。すべての症状が、アコニチン中毒の特徴と合致します」
死因は特定された。だが、レオンハルトの眉間には深い皺が刻まれたままだ。
「聞いたことがないな。俺も騎士団で毒物の知識は叩き込まれたつもりだが、魔法省のデータベースにそんな毒はなかったはずだ」
「それが『魔法文明の驕り』です、殿下」
「トリカブトはただの植物です。魔力を持ちません」
「……そうか」
「魔導捜査官の持っているセンサーは、『魔力のないものは脅威ではない』という欠陥プログラムで動いているのです」
◇
スカーレットは、黒板に貼られた三人の容疑者の写真を指差した。
弟子ギデオン、財務大臣、そして妻エリーゼ。
「プロファイリング(犯人像の分析)を行いましょう」
彼女はチョークを構え、迷いなく二人の写真に×印をつけた。
弟子と、財務大臣だ。
「弟子はエリート魔導師、大臣は金持ちの高官です。彼らは魔法至上主義の権化。もし人を殺すなら、自慢の魔法や、高価な魔法毒を使うでしょう」
「確かに。わざわざ文献を漁ってまで、貧民の雑草を使おうとは思わんか」
「ええ。彼らのプライドが、そんな『泥臭い手段』を選ばせません」
スカーレットの指先が、最後に残った写真――容疑者C:妻エリーゼの上で止まる。
「この毒にたどり着くのは、『魔法に頼れない弱者』であり、かつ『植物に詳しい人物』です」
「……夫人は、屋敷の庭いじりが唯一の趣味だったな」
レオンハルトが重々しく頷く。
「そうだ。彼女は魔力がない『無環』だ。夫である魔導卿からは虐げられ、魔法の使用を禁じられていた」
「彼女なら、観賞用と偽ってトリカブトを育てていても、誰にも怪しまれません。夫も弟子も、それをただの『雑草』だと思っていたでしょうから」
動機。知識。そして入手経路。
すべての条件が、虐げられた妻を指し示している。
だが、レオンハルトはまだ納得していなかった。彼は捜査官としての鋭い視線を向ける。
「筋は通っている。だがスカーレット、最大の壁が残っているぞ」
「壁?」
「『実行手段』だ。彼女には鉄壁のアリバイがある」
彼は懐中時計を取り出し、時間を確認した。
「犯行時刻の二十一時、彼女は別邸で使用人たちとお茶会をしていた。これは複数の証言で確定している」
「ええ」
「そして現場は、魔導卿が自ら張った『三重結界』の中だ。外部からの侵入も、遠隔操作も不可能。……毒草を持っていたとしても、それをどうやって結界の中の夫に飲ませる?」
どれほど動機があろうと、物理的に不可能であれば罪には問えない。
それが「密室殺人」の壁だ。
しかし、スカーレットは動じなかった。
彼女は実験台の端に置かれたビーカーを手に取った。
中に入っているのは、先ほどの実験で使った「氷」の残骸だ。今はもう溶けて、ただの水になりかけている。
「殿下、まだ魔法のルールに縛られていますね」
「何?」
「犯人は、結界の中に『入る』必要はありません。結界が張られる前に、『時限装置』を仕掛ければいいのです」
スカーレットは、現場検証で採取した三つのサンプル瓶を並べた。
『グラスの水滴』、『水差しの水』、『ゴミ箱の底の水』。
「現場検証を思い出してください。被害者のグラスに残った水滴と、ゴミ箱の底に溜まっていた水……。これらは、部屋にあった水差しとは成分が異なっていました」
「ああ。だが、それがどうした?」
「では、この水はどこから来たのか? なぜ、ゴミ箱の底が濡れていたのか?」
スカーレットは不敵に微笑む。
その顔は、難解な数式を解き明かした数学者のように晴れやかだった。
「答えは『相転移』です」
「そうてん……い?」
「物質の状態変化のことです。固体から液体へ、液体から気体へ」
彼女は溶けかけの氷を指差した。
「時間が経てば形を変え、証拠を消し、毒を吐き出す……。魔法使いの盲点を突いた、『氷の魔弾』のトリックを証明出来そうです」




