第23話:クロマトグラフィーの魔法(のような科学)
第零班ラボの照明が落とされた。
暗闇の中、実験台の上だけが「発光苔」のランタンによってスポットライトのように照らし出されている。
その光の中心に聳え立っているのは、一本の細長いガラスの塔だった。
テオが作った、全長一メートルほどのガラス管。その中には、真っ白な粉末がぎっしりと、隙間なく詰め込まれている。
「……ただの砂を詰めたガラス管だ。これが『真実を暴く武器』なのか?」
レオンハルトが怪訝そうに眉を寄せる。
剣や魔法の杖を見慣れた彼にとって、その静的な物体はあまりに頼りなく見えたのだろう。
「いいえ、殿下。これは『競走場』です」
スカーレットは白衣のポケットから、先ほど抽出した「透明な毒液(の疑いがある液体)」が入った試験管を取り出した。
「今から、毒とそれ以外の成分に、ここで徒競走をさせます」
「徒競走?」
「ええ。ルールは簡単。この白い粉の塔を、一番早く駆け抜けた者が犯人です」
◇
スカーレットは踏み台に乗り、ガラス管の頂上から、慎重に検体を注ぎ込んだ。
透明な液体が白い粉の表面に染み込み、薄い層を作る。
続けて彼女は、別の瓶に入った液体――アルコールと酢酸の混合液(展開溶媒)を、なみなみと注ぎ足していく。
「さあ、ゲートが開きました。走ってもらいましょう」
彼女は踏み台を降り、ガラス管の側面を愛おしげに撫でた。
「物質にはそれぞれ『個性』があります。重い子、軽い子、この白い粉(吸着剤)と仲良しな子、逆に液体(溶媒)と一緒に流れていきたい子……」
「仲良し、か」
「はい。粉と仲が良い物質は、粉にくっついてゆっくり降ります。逆に、粉に興味がない物質は、液体の流れに乗ってスルスルと落ちていく。――その『速度の差』が、混ざり合った透明な液体を、成分ごとに切り分けるのです」
数分間、沈黙がラボを支配した。
聞こえるのは、換気扇の回る低い音と、三人の呼吸音だけ。
レオンハルトとテオは、固唾を飲んでガラス管を見守っていた。
白い粉の中を、液体がゆっくりと染み降りていく。最初はただの透明な浸潤に見えた。
だが、変化は唐突に訪れた。
「……あ」
テオが声を漏らす。
透明だったはずの液体が、白い粉の中腹あたりで、突如として「色」を持ち始めたのだ。
最初は、上の方に淡い「黄色い帯」が現れた。
続いて、その少し下に「赤い帯」が浮かび上がる。
それらは互いに混じり合うことなく、まるで虹の層のようにくっきりと分かれて、ゆっくりとガラス管を下っていく。
「色が……分かれた?」
レオンハルトが目を見張る。
「黄色は脂肪分。赤色はワインの色素です。抽出の段階で取り切れなかった微細な不純物が、速度差によって置き去りにされたのです」
スカーレットの解説に、テオが感嘆の声を上げる。
「うわぁ……! 虹みたいだ……!」
「透明な水から色が生まれるとはな。……美しい」
魔法の光とは違う、物理現象が描く幾何学的な美しさ。
だが、スカーレットの瞳は、その美しい虹色には見向きもしなかった。
彼女が狙うのは、色素でも脂肪でもない。
虹色の帯よりもさらに下、先頭集団を独走しているはずの、「見えない帯」だ。
「テオ君。貴方の仕事は見事でした」
スカーレットは視線を外さずに言った。
「ガラス管の内径が少しでも歪んでいれば、液体の流れる速度が変わって色が混ざり、実験は失敗していたでしょう。……この完璧な分離は、貴方の指先が生んだ奇跡です」
「きょ、局長……!」
テオが涙ぐむ横で、スカーレットは素早くガラス管の下に新しい試験管を構えた。
「来ます」
色素の帯よりも早く、透明な液体がポタポタと滴り落ちてくる。
スカーレットはそれを数滴だけ回収すると、素早く試験管を交換した。
狙った成分だけをピンポイントで捕獲する(分取)、神業のようなタイミング。
「……捕まえました」
彼女の手の中にあるのは、またしても無色透明な液体。
だが、スカーレットの表情は、勝利を確信した棋士のように冷徹だった。
「仕上げです。これがただの水なのか、それとも死神なのか。……あぶり出しましょう」
彼女は、褐色の小瓶を取り出した。
中身は「ドラーゲンドルフ試薬」の代用品――重金属とヨウ素を合成した、特異な反応液だ。
スポイトで吸い取り、試験管へ。
一滴。二滴。
ポチャン。
液体が混ざった、その瞬間。
透明だった試験管の中身が、爆発的に変色した。
毒々しい橙赤色。
それは血の色とも、炎の色とも違う。自然界では警戒色として使われる、生理的な嫌悪感を催す鮮烈なオレンジ色だった。
「……ビンゴ。アルカロイド反応、陽性です」
スカーレットは試験管をライトにかざし、揺らめく沈殿物を見つめた。




