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婚約破棄の現場から失礼します。その「冤罪」、科学捜査(フォレンジック)で論破させていただきます 〜前世科捜研の私が、魔法世界の完全犯罪をDNA鑑定で暴くまで〜  作者: ヲワ・おわり
第5章:科学実験とトリックの欠片

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第22話:抽出実験開始

 第零班ラボの一角、「化学分析エリア」には、異質な緊張感と、どこか場違いな高揚感が漂っていた。


 実験台の上には、先ほどガラス職人のテオが作り上げたばかりの「近代化学実験セット」が並んでいる。

 ビーカー、フラスコ、分液ロート。

 この世界には存在しないはずの歪な形をしたガラス器具たちが、青白い魔法灯の光を浴びて、冷たく美しい輝きを放っていた。


「……では、調理クッキングを始めましょうか」


 スカーレットは白衣の袖をまくり上げ、緩みかけていた真紅の髪をクリップでアップにまとめた。

 彼女が「本気」になる時の合図だ。

 ゴム手袋をはめた彼女の手には、現場から持ち帰った「検体」が握られている。


「調理だと……?」


 そばで腕を組んで見ていたレオンハルトが、怪訝な顔をする。

 スカーレットは躊躇なく、ビーカーの中にドロリとした液体を注ぎ込んだ。


「ええ。メインディッシュは、被害者の胃の中から回収した『未消化の夕食』。鴨肉のローストと赤ワインの混合物ですね。ソースは胃酸仕立てです」

「……やめろ。二度と鴨肉が食えなくなる」


 レオンハルトが口元を押さえて顔を背ける。

 強烈な酸臭と、鉄の臭いが鼻をつく。普通の神経なら直視できない汚物だ。

 だが、スカーレットの瞳は、最高級の宝石を鑑定するかのように輝いていた。


「汚いですか? とんでもない。これは情報の宝庫ですよ」


 彼女はガラス棒でビーカーの中身を撹拌する。


「このドロドロのスープの中には、血液、脂肪、タンパク質、繊維……そして、犯人が忍ばせた『毒』が混ざり合っています」

「毒、ですか……」


 テオがおずおずと覗き込む。


「でも局長、こんなに混ざっちゃってたら、どれが毒か分からないんじゃ……」

「その通りです。魔法の探知機なら『反応なし』で終わるでしょう。だからこそ、ここから科学の手順レシピで、『毒』という具材だけを取り出す必要があります」


 スカーレットは棚から、琥珀色の液体が入った瓶を取り出した。

 錬金術師ギルドから取り寄せた、「揮発性精霊水(エーテルの代用品)」だ。


「毒物には『性格』があります。『水に溶けやすい子』と、『油に溶けやすい子』です」

「性格……?」

「今回ターゲットにしている毒は、水よりも油(有機溶媒)と仲が良い性質を持っています。ですから、この薬品を混ぜてあげれば……」


 スカーレットは、ビーカーに精霊水を注ぎ込み、激しく振った。

 水と油が混ざり合うように、液体が白濁する。


「こうすることで、スープの中に隠れていた毒の成分だけが、水を見捨てて薬品の方へと移動します。これを『溶媒抽出法』と言います」

「へぇぇ……魔法を使わなくても、薬が勝手に動くんだ……」


 テオが感嘆の声を漏らす。

 魔力による強制的な操作ではなく、物質そのものの性質を利用した移動。それは魔法使いにとって、ある意味で魔法以上に不思議な現象に見えた。


「ええ。これが『分配係数』という物理法則です。魔力よりも誠実で、裏切らないルールですよ」


 スカーレットは満足げに頷くと、白濁した液体が入った試験管を手に取った。


「さて。毒を薬品側に移動させることはできました。次は、この混ざり合った液体を、きれいに分離させなければなりません」

「置いておけば、そのうち分かれるんじゃないか? 水と油のように」


 レオンハルトの指摘に、スカーレットは首を横に振る。


「自然分離を待っていては日が暮れます。それに、微細な浮遊物が残ってしまう。……完全に、クリアに分けるためには、強烈な重力(G)が必要です」

「重力魔法か? 使い手は少ないぞ」

「いいえ、物理的な重力で十分です。……殿下、出番ですよ」


 スカーレットは、テオに作らせた奇妙な装置をテーブルの上に置いた。

 それは、ガラスの試験管を四本斜めにセットできる、円盤状の台座だった。中心に軸があり、独楽こまのように回転する構造になっている。

 だが、それを回すための動力モーターがない。


「……これは?」

「『遠心分離機センチフュージ』です。この台座を高速回転させることで、遠心力を生み出し、比重の違う物質を強制的に分離させます」


 スカーレットはレオンハルトを指差した。


「殿下。貴方の精密な風魔法で、この台座を回してください」

「は?」

「目標は毎分三〇〇〇回転。ブレると試験管が弾丸のように飛び出して大惨事になるので、軸を固定して、一定速度でお願いします」


 レオンハルトは絶句した。

 彼はルミナス王国の第二王子であり、国一番の風魔法の使い手として知られる剣士だ。その彼に向かって、この女はあろうことか。


「俺は王族だぞ!? 国最強の風魔法使いを、ただの動力源モーター扱いか!?」

「適材適所です。テオ君の魔力では出力不足、私では制御不足。……この繊細なガラス器具を壊さずに、超高速で回し続けられるのは、貴方しかいません」


 スカーレットは真顔で、しかし悪魔のような囁きを付け加えた。


「やってくだされば、報酬おやつのグレードを上げます。……王都で一番人気の『エクレア』、トリプル・チョコレート仕様でどうでしょう?」

「…………くっ」


 レオンハルトの眉間がピクリと動いた。

 プライドとエクレア。数瞬の葛藤の後、彼は忌々しげに舌打ちをした。


「……覚えてろよ。失敗したら貴様の分も食うからな」

「交渉成立ですね」


 レオンハルトが右手をかざすと、ふわりと風が巻き起こった。

 しかし、それは暴風ではない。針の穴を通すような、極限まで制御された気流の渦だ。

 台座がカタカタと揺れ始め――次の瞬間。


 ヒュイイイイイイイイイッ!!


 甲高い風切り音と共に、台座が目にも止まらぬ速さで回転を始めた。

 軸は微動だにしない。完璧な回転制御。

 まるで精密機械のような安定感だった。


(……さすがですね。人間離れした魔力コントロール。これを人力でやるとは)


 スカーレットは内心で舌を巻いた。

 王族の無駄遣いここに極まれり、である。


「……まだか!?」

「あと三十秒! 回転数を維持してください!」


 数分後。

 スカーレットの合図で、レオンハルトが風を止めた。

 回転が緩やかに止まる。

 テオがごくりと喉を鳴らして覗き込んだ。


「……す、すごい」


 試験管の中身は、魔法のように劇的に変化していた。

 先ほどまで濁っていた液体が、くっきりと美しい「三層」に分かれていたのだ。


 一番底には、赤黒い血球や肉片の塊(沈殿物)。

 真ん中には、透明な水。

 そして一番上には――キラキラと輝く、無色透明な液体。


「分離成功です。比重の軽い溶媒が、毒を抱え込んで上層に集まりました」


 スカーレットは、テオが作った極細のガラス管「パスツールピペット(スポイト)」を手に取り、慎重に一番上の層だけを吸い上げた。

 その手つきは、爆弾の信管を抜く処理班のように繊細だった。


「ほう……。泥水のような汚物から、こんなに澄んだ水が取れるとはな」


 レオンハルトが感心したように息を吐く。

 スポイトの中に吸い上げられた液体は、クリスタルのように透き通っていた。


「綺麗でしょう? ……ですが殿下、騙されてはいけません」


 スカーレットは、その透明な液体を新しい試験管に移し替えた。


「これは『純粋な死』です。この液体一滴で、大人三人があの世に行けます」

「……見た目はただの水にしか見えないがな」

「ええ。だからこそ、魔法使いの目には見えなかったのです」


 透明な毒。

 魔力を持たず、色もなく、匂いもない。

 それが、魔導卿を殺した凶器の正体だ。


「でも局長……」


 テオが不安そうに声を上げた。


「これじゃまだ、証明できないんじゃないですか? 犯人に『ただの水だ』って言われたら……」

「その通りです。透明なままでは、彼らの曇った目には映りません」


 スカーレットは白衣を翻し、ラボの照明を少し落とすよう指示した。

 そして、実験台の中央に、ひときわ背の高いガラス器具を用意する。

 白い粉が詰められた、細長いガラスの塔。


「だから、『色』をつけるのです」


 彼女は不敵に微笑み、透明な毒液を見つめた。


「これから行うのは『クロマトグラフィー』。透明な闇の中に隠れた死神を、鮮やかな虹色で暴き出す魔法かがくです」


 準備は整った。

 いよいよ、見えない毒の正体を、誰の目にも明らかな形で白日の下に晒す時が来た。

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