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婚約破棄の現場から失礼します。その「冤罪」、科学捜査(フォレンジック)で論破させていただきます 〜前世科捜研の私が、魔法世界の完全犯罪をDNA鑑定で暴くまで〜  作者: ヲワ・おわり
第5章:科学実験とトリックの欠片

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第21話:現場再検証(物理)

 再び訪れた魔導卿の執務室は、主を失った静寂と、カビ臭い権威の匂いに満ちていた。

 遺体は既に第零班ラボへ搬送されたが、現場は「保存結界」によって凍結されたままだ。


 スカーレットとレオンハルト、そして荷物持ちとして駆り出された新入りのテオが到着すると、入り口にはまだ不快な障害物が残っていた。


「おや。ゴミ拾い班の皆様ではありませんか」


 捜査指揮官のガイルだ。

 彼は腕を組み、嘲るような笑みを浮かべて扉を塞いでいる。


「遺体を持っていっただけでは飽き足らず、まだ何か? ここは高貴な魔導卿の聖域です。平民や、魔力無しの女が土足で踏み入っていい場所ではありませんな」


 ガイルの視線が、怯えるテオに向けられる。

 スラム育ちのテオは、きらびやかなローブを着た高官に睨まれ、萎縮してスカーレットの背後に隠れた。


「……退け、ガイル」


 レオンハルトが低く唸る。


「俺の連れを侮辱することは、王族への反逆とみなすぞ。それとも、俺の剣で道を開けてほしいか?」

「ヒッ……い、いえ。滅相もない」


 王子の殺気に恐れをなし、ガイルは舌打ちをして道を空けた。


「フン……どうぞ。魔力反応ゼロの部屋で、せいぜい埃でも拾ってください」


          ◇


 部屋に入った瞬間、スカーレットの態度は一変した。

 彼女は躊躇なく靴を脱ぎ捨てると、最高級のペルシャ絨毯の上に四つん這いになったのだ。


「ええっ!? きょ、局長!? ドレスが汚れますよ!」


 テオが悲鳴を上げる。

 だが、スカーレットは人差し指を唇に当てた。


「静かに。空気の流れが変わります」


 彼女は床に頬がつくほどの低さで構え、鋭い視線を走らせる。

 魔法使いたちは立ったまま杖を振り、空間の魔力を探る。

 だが、科学捜査官フォレンジックは地べたを這い、物質の痕跡を探る。視点の高さが違うのだ。


「――【解析スキャン】」


 ユニークスキルが発動する。

 彼女の視界がサーモグラフィーのように切り替わった。

 ただし、見ているのは熱ではない。「水分量モイスチャー」だ。


(部屋の湿度は一定。だが、局所的に水分濃度の高いエリアがある……)


 彼女は匍匐ほふく前進でデスクの下へと進む。

 そして、ある一点で目を細めた。


「……見つけました」


 デスクの足元。分厚い絨毯の一部が、わずかに変色している。

 肉眼では光の加減にしか見えないレベルだ。ガイルたちが見落とすのも無理はない。

 だが、スカーレットの目には、そこが青白く発光して見えていた。


(水分を含んで、乾燥しかけている。……ワインをこぼした跡? いいえ、色素反応なし。ただの『水』ね)


 スカーレットは思考を巡らせる。

 デスクの上には、飲みかけのワイングラスと、銀の水差し(ピッチャー)がある。どちらも倒れてはいない。

 被害者は几帳面な性格だった。水をこぼしたまま放置するとは考えにくい。


(水差しから垂れた? いいえ、位置が遠すぎる。では、この水はどこから現れた?)


 彼女は視線を巡らせ、デスクの下に置かれた「ゴミ箱」に注目した。

 豪奢な彫刻が施された木製のゴミ箱だ。

 スカーレットはそれを引き寄せ、中を覗き込む。


「おい! 汚らわしい! 何をしている!」


 入り口で監視していたガイルが叫んだ。

 だが、スカーレットは無視してゴミ箱の中に手を突っ込み、底を探る。

 中身は、丸められた書き損じの羊皮紙ばかりだ。


 ――ピチャ。


 指先に、冷たい感触があった。

 スカーレットは手袋が濡れた手を引き抜き、匂いを嗅ぐ。


「……やはり」


 ゴミ箱の底に、少量の水が溜まっていたのだ。


(奇妙ね。飲み残しの液体を、紙くず用のゴミ箱に捨てる? それにしては量が中途半端だわ。コップの水を捨てたならもっと濡れているはず)

(紙くずは濡れていない。底だけが濡れている。まるで――『固体だった水』が溶けて、底に溜まったかのような)


 スカーレットの脳内で、バラバラだったピースが「温度変化」というキーワードで繋がり始める。


「テオ。サンプル瓶を三つ」

「は、はいっ!」


 テオが鞄から、彼自身が作った歪みのないガラス瓶を取り出す。

 スカーレットは手際よく、現場にある「三種類の水」を採取した。


 検体A: デスクの上の「水差し」の水。

 検体B: 絨毯のシミから抽出した水分(スポイトで吸い取る)。

 検体C: ゴミ箱の底に溜まっていた水。


 彼女は三本の瓶を並べ、ガイルを振り返った。


「ガイル捜査官。貴方はこの部屋の水を調べましたか?」

「はあ? 水差しなら毒検知をしたが、反応なしだ。ゴミ箱の汚水など調べる価値もないだろう」


 ガイルは馬鹿にしたように鼻を鳴らす。

 スカーレットは、その言葉を聞いて満足げに微笑んだ。


「そうですか。汚水には価値がない、と」

「当たり前だ」

「では、賭けをしましょうか。もし、この三つの水が『すべて成分の違う水』だったとしたら?」

「成分だと? 水は水だろうが」


 スカーレットは立ち上がり、ドレスの埃を払った。

 その瞳には、真実を見つけた確信の光が宿っている。


「いいえ。水には『顔』があります。どこから来て、何を含んでいるか……その出自ルーツは誤魔化せません」


 彼女はレオンハルトに向き直る。


「殿下。仮説が立ちました」

「ほう。犯人は分かったか?」

「いえ、まだ『誰が』かは断定できません。ですが、『どうやって(ハウダニット)』は解けました」


 スカーレットは、誰もいない空間――魔法の結界が張られていたはずの空間を見渡す。


「この密室には、招待されていない『四人目の客』がいたようです」

「四人目?」

「ええ。犯人がこっそりと忍ばせ、時間が経つと姿を消してしまう……物理的な暗殺者です」


 彼女はテオに追加の指示を出した。


「テオ。追加オーダーです。今すぐ王宮の厨房へ行って、『製氷機』の氷をもらってきて」

「え? こ、氷ですか?」

「そう。溶けてなくなる前の、固体の水をね」


 スカーレットは、手の中にある「ゴミ箱の水」の入った瓶を見つめる。

 魔法使いが見落とした汚水。

 それこそが、鉄壁の密室を内側から食い破った、冷たい凶器の成れの果てだった。


「ラボへ戻りましょう。……『相転移フェーズ・トランジション』の実験の時間です」

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