第20話:新メンバー、ガラス職人テオ
パリンッ!
硬質な破砕音が、第零班ラボに響き渡った。
「……ダメです。使い物になりません」
スカーレットは、粉々になったフラスコの残骸を冷ややかに見下ろし、ため息をついた。
彼女の手にはガスバーナー(魔導コンロ)がある。市販のワインボトルを加工して実験器具を作ろうとしたのだが、熱を加えた瞬間に砕け散ってしまったのだ。
「この国のガラスは『不純物』が多すぎます。厚みが不均一で、耐熱性がない。これでは精密な『分離分析』を行う前に、熱割れして大惨事になります」
「それは王室御用達のブランド品だぞ? 一本で金貨一枚はする代物だ」
レオンハルトが割れた硝子片を拾い上げ、眉をひそめる。
美しい装飾が施されたガラス瓶。貴族の観賞用としては一級品だろう。だが、化学実験においては「純度」と「均一性」こそが正義だ。
「美術品としては優秀ですが、実験器具としてはゴミです」
スカーレットは即座に切り捨て、羊皮紙に描いた設計図をテーブルに叩きつけた。
そこには、この世界には存在しない複雑な形状――冷却管や分液ロートの図面が描かれている。
「殿下。職人が必要です。0.1ミリの狂いもなく、不純物を取り除き、私の設計通りにガラスを成形できる人間が」
「そんな人間、魔法使いにはいないと言っただろう。ガラス細工はドワーフの領分だ」
「いいえ。ドワーフの技術は『炉とハンマー』です。私が求めているのは、魔力による分子レベルの配列操作ができる人間です」
スカーレットは譲らない。
彼女の求める実験精度は、現代の科学捜査研究所(科捜研)レベルだ。中世レベルの職人芸では到底追いつかない。
レオンハルトは腕を組み、しばらく唸っていたが、やがて諦めたように息を吐いた。
「……一人だけ、心当たりがある」
「ほう?」
「魔法学園を退学になった学生だ。魔力が少なすぎて、魔法が『形』にならず霧散してしまう欠陥持ちだが……土属性の制御だけは異常だと聞いたことがある」
落ちこぼれ。魔力が少ない。
そのキーワードに、スカーレットの目が輝いた。
この国で「無能」とされる者は、往々にして、別のベクトルに特化した「天才」であることが多いからだ。
「採用です。今すぐその少年を確保しましょう」
◇
二人が向かったのは、王都の「下層区」だった。
浮遊する上層区の影に覆われ、昼間でも薄暗い貧民街。蒸気機関の排気と、下水の臭いが混ざり合う、路地裏の迷宮。
煌びやかな王宮とは別世界だ。
その一角にある、崩れかけたボロアパート。
『ガラス細工・修理』と書かれた粗末な看板が揺れている。
ギィ、と扉を開けると、そこは六畳ほどの狭い工房だった。
床にはガラスの破片が散乱し、部屋の隅で一人の痩せた少年が背中を丸めて作業をしていた。
ボサボサの茶髪に、煤けた作業着。年齢は十五、六歳だろうか。
「……あ、あの、今日はもう閉店で……」
少年が振り返り、言葉を失った。
そこに立っていたのが、場違いなほど美しい白衣の令嬢と、品位を隠しきれない黒服の男(変装した王子)だったからだ。
「ひぃっ!? しゃ、借金取り!? い、いや僕は何も盗んでません! 家賃は来週には払いますから!」
「落ち着け。取り立てではない」
レオンハルトが低い声で告げる。
「仕事の依頼だ、テオ」
「え……? 僕の名前……?」
少年――テオは、怯えた目を瞬かせた。
スカーレットは無言で部屋に入り込み、床に転がっていたガラス屑を拾い上げた。酒瓶の破片だろうか、緑色に濁っている。
「貴方、土魔法は使えますか?」
「は、はい……。でも、魔力がゴミ虫レベルで……石も動かせなくて……。だから学園もクビになって……」
テオは卑屈に縮こまる。
この国では「魔力量=才能」だ。大きなファイアボールを撃てる者が偉く、小さな手品しかできない者は無能とされる。
「石なんて動かさなくていいの」
スカーレットは、拾ったガラス片をテオの手のひらに乗せた。
「このガラス屑の中にある『気泡』だけを、魔法で抜いてみて」
「え……?」
「それと、内部の不純物を分離して、完全な透明にしてちょうだい。加熱はしないで。分子構造が歪むから」
それは、熟練の錬金術師でも匙を投げるような難題だった。
一度固まったガラスの内部を、溶かさずに操作するなど、物理法則を無視している。
だが、テオはおずおずと手をかざした。
「……やってみます」
彼の手のひらが、淡い土色の光に包まれる。
魔力は微弱だ。蝋燭の灯火ほどしかない。だが、その光はガラス片に吸い込まれるように浸透していく。
スカーレットは目を見張った。
ガラスが溶けるわけでも、砕けるわけでもない。
まるで水飴のように内部が流動し、小さな気泡がスゥッと表面に浮き出て消滅していく。濁っていた緑色が沈殿し、透き通るような無色透明な輝きが残った。
「……できました。あと、形はどうしますか?」
「完全な球体にして」
「はい」
一瞬だった。
歪な破片が、音もなく真ん丸なビー玉へと変貌した。
「――【解析】」
スカーレットはすかさずスキルを発動し、そのビー玉を凝視した。
拡大された視界に、驚愕のデータが表示される。
(信じられない……。表面粗さ〇・〇一ミクロン以下。真球度も測定限界を超えている。……ケイ素の分子配列を、手動で整列させているの?)
それは魔法というより、ナノマシンの仕事だった。
魔力量が少ないからこそ、彼は限られた魔力を極限まで圧縮し、微細なコントロールに特化させたのだ。
「……貴方、学園で何を評価されていたの?」
「え、えっと……ファイアボールの大きさとか、ゴーレムのサイズとか……。僕は豆粒くらいしか作れなくて、先生に『才能がない』って……」
「馬鹿な教師たちね」
スカーレットは、出来上がったビー玉を照明にかざした。
歪み一つない、完璧な光の透過。
「貴方は豆粒の中に宇宙を作れるのに」
「え……?」
テオが呆気にとられた顔をする。
スカーレットは懐から、羊皮紙の束を取り出してテーブルに広げた。
「テオ君。貴方の技術を高く買います」
「こ、これは……?」
図面に描かれていたのは、異様な形状のガラス器具たちだった。
螺旋状の管が二重になった冷却器(リービッヒ冷却器)。
複雑なコックがついた漏斗(分液ロート)。
そして、細長い塔のような管(クロマトグラフィー用カラム)。
「な、何ですかこれ? 見たことない形だ……。魔道具ですか? それとも芸術作品?」
「いいえ。『真実を暴く武器』よ」
スカーレットはテオの目を見て、真剣に告げた。
「この国で起きた、不可解な殺人事件。魔法使いが見逃した『見えない毒』を捕まえるためには、この器具がどうしても必要なの」
「さ、殺人事件……!?」
「普通のガラス職人には断られました。魔道具屋もお手上げです。……私の『目(設計図)』と、貴方の『指』がなければ作れない」
テオはゴクリと喉を鳴らした。
怖い。王宮の事件なんて、スラムの少年には関わりたくない世界だ。
だが、目の前の令嬢は、自分を「無能」だと言わなかった。「必要だ」と言ってくれた。
職人として、これほど血が滾る瞬間があるだろうか。
「……やります。やらせてください」
「素晴らしい」
◇
数時間後。
第零班ラボに、新たな輝きが持ち込まれた。
実験台の上に並べられたのは、異世界には存在しないはずの「近代化学実験セット」だ。
ビーカー、フラスコ、試験管、冷却器。
テオが汗だくになりながら仕上げたそれらは、歪みも気泡も一切なく、青白い魔法光を浴びて神々しいほどに透き通っていた。
「……完璧です」
スカーレットは冷却管の螺旋を指でなぞり、震える声で言った。
前世の研究所(科捜研)にあった機材よりも、遥かに精度が高い。魔法による原子レベルの加工品だ。
「採用よ、テオ。今日から貴方は、王宮警察特別捜査局の主任技師です」
「しゅ、主任!? 僕が!?」
「ええ。給料は学園教師の三倍。研究費と材料費は王子持ち。そして、お菓子は食べ放題よ」
「えええええ!? ほ、本当ですか!?」
テオが腰を抜かす。
レオンハルトは「……俺の財布がどんどん軽くなるな」と呟きつつも、満足げに新しい機材を眺めていた。
「だが、これで舞台は整ったな」
「はい」
スカーレットは白衣を羽織り直し、真新しいビーカーを手に取った。
その瞳に、狩人の色が戻る。
「凶器(機材)は揃いました。……それでは殿下。魔導卿を殺した『見えない毒』を、その隠れ家から引きずり出しましょうか」
無能と呼ばれた少年が作ったガラスの城で、悪役令嬢による科学の反撃が始まる。




