第2話:卒業パーティ、あるいは公開処刑の舞台
王立ルミナス魔導学園の大講堂は、卒業を祝う祝賀ムードではなく、どこか湿った悪意に満ちていた。
天井には無数の魔石灯が浮遊し、煌びやかな光を降り注いでいる。楽団が奏でるワルツ、給仕が運ぶ色とりどりの料理、そして着飾った貴族の子息令嬢たち。
一見すれば華やかな舞踏会だ。だが、壁際でグラスを傾けるスカーレットの目には、そこはただの「不衛生な密集地帯」にしか映っていなかった。
(……室温二十四度。人口密度が高すぎるわね。二酸化炭素濃度が上昇している。換気システムが前時代的だわ)
スカーレットは給仕から受け取った赤ワインを、口もつけずに光にかざした。
飲むつもりはない。グラスをわずかに揺らし、液体の粘度と光の屈折率を確認する。
(発酵が浅い。それに、この独特の濁り……安物の合成保存料を使っているわね。王家の主催にしては予算をケチったのかしら)
彼女がグラスを観察している間も、周囲からの視線は突き刺さっていた。
扇子で口元を隠した令嬢たちが、聞こえよがしに囁き合う。
「ご覧になって、あの方よ」
「ヴァレンタイン公爵家の……今日も可愛げのない顔をして」
嘲笑、憐憫、そして他人の不幸を蜜の味とする下世話な好奇心。
だが、スカーレットは雑音を完全に遮断していた。彼女はドレスの隠しポケットから角砂糖を一つ取り出すと、優雅な動作で口に放り込む。
ガリリ、と咀嚼音が響く。脳のアイドリングを維持するための燃料補給だ。
「……来たわね」
大扉が開き、会場の空気が一変した。
現れたのは、この国の第一王子ブラッドリーと、その腕にまとわりつくように身体を寄せた男爵令嬢ミエルだ。
ブラッドリーは金髪碧眼の正統派王子だが、今日はその表情がどこか浮ついている。対するミエルは、パステルピンクのドレスに身を包み、怯える小動物のような瞳で周囲を見回していた。
スカーレットの目の前まで来たその時だった。
衆人環視の中、ミエルが突然「きゃあッ!」と悲鳴を上げた。
彼女の身体が、まるで何かに弾かれたように後方へ飛び、会場の壁際まで転がったのだ。
「ミエル!?」
ブラッドリーが血相を変えて駆け寄る。
会場が騒然とする中、王子はぐったりとしたミエルを抱きかかえ、一度控室へと消えた。
そして数分後。
戻ってきたミエルの右腕には、痛々しいほど大袈裟に包帯が巻かれていた。
「ああ、なんてことだ……」
「痛いです、ブラッドリー様……」
涙ぐむミエルを支えながら、ブラッドリーがスカーレットの前まで歩み寄る。
その距離、およそ五メートル。
スカーレットは眉一つ動かさず、眼鏡の奥で緑色の瞳を細めた。
「――【解析】」
ユニークスキルが発動する。
彼女の視界がズームされ、対象の生体情報が数値として脳内に展開される。
まずは、ミエル。
焦点は、包帯が巻かれた右腕だ。
(包帯の巻き方が雑ね。プロの医師の仕事ではない。……包帯の隙間から見える皮膚温度は正常値。発赤、腫脹、熱感なし。炎症反応が見られない)
つまり、怪我などしていない。
あれはただの包帯という名の「舞台装置(小道具)」だ。
次に、ブラッドリー。
(瞳孔散大。呼吸数、毎分二十五回以上の頻呼吸。典型的な興奮状態。……ミエルの香水に含まれる神経伝達物質の影響下にある可能性が高いわね)
スカーレットは冷ややかに結論づける。
検体Aと検体B、入場確認。実験準備よし、と。
◇
唐突に、楽団の演奏が止んだ。
不自然な静寂が訪れる。ブラッドリーが一歩前に進み出た。
彼は会場中に響き渡る大声で叫ぶ。
「スカーレット・ヴァレンタイン! 今すぐそこへ直れ!」
スポットライトの魔道具が、壁際のスカーレットを照らし出す。
公開処刑の合図だ。
スカーレットは、ドレスの埃を払うように優雅に、しかし内心では「段取り通りね」と呆れつつ、王子の前へと歩み出る。
「何事でしょうか、殿下。卒業の祝辞にしては、いささか情緒に欠けますが」
「とぼけるな! 貴様との婚約を、この場で破棄する!」
ブラッドリーが指を突きつける。
会場がどよめいた。「やはり本当だったのか」「なんて恐ろしい」という囁きが波紋のように広がる。
「理由は? 法的根拠もなく王家との契約を破棄する場合、相応の違約金が発生しますが」
「金の話か! 貴様、その薄汚い嫉妬心から、清らかなミエルを突き飛ばしておいて、よくもぬけぬけと!」
突き飛ばした。
それが、彼らが用意した冤罪のシナリオ(嘘)か。
「証拠は?」
スカーレットが短く問うと、待っていましたとばかりにミエルの取り巻きの令嬢たちが進み出てきた。
「見ました! スカーレット様が、先ほどミエル様を睨みつけていたのを!」
「私も見ました! スカーレット様が手をかざすと、緑色の風が巻き起こり、ミエル様が吹き飛ばされたのです!」
「間違いありません、あれは『風魔法』による攻撃でした!」
風魔法。
その単語を聞いた瞬間、スカーレットの理知的な瞳に、剣呑な光が宿った。
(……なるほど。賢い選択ね)
この世界において、「風魔法」は完全犯罪に適している。
炎や水と違い、風は目に見えない。
だからこそ、「見た」と証言する者が複数いれば、そして被害者が怪我をしていれば、魔法的な検証なしに「事実」として認定されやすい。
ましてや、加害者が「悪役令嬢」のレッテルを貼られたスカーレットであれば、誰も疑わないだろう。
「風魔法で吹き飛ばした……。それが、貴方たちの『ファイナルアンサー』ですね?」
「あ、ああ! ミエルのこの怪我が何よりの証拠だ!」
ブラッドリーがミエルの包帯を掲げて叫ぶ。
勝利を確信した愚か者たちの顔。
スカーレットは口元を僅かに歪めた。それは淑女の微笑みではなく、獲物を罠に嵌めた捕食者の笑みだった。
(物理学を舐めないで。作用反作用の法則は、魔法よりも絶対よ)
スカーレットはドレスのポケットに手を伸ばした。
取り出したのは、涙を拭うハンカチではない。
青白い、パウダー付きの「ニトリルゴム手袋」だ。
パチン。
静まり返った会場に、ゴム手袋を装着する乾いた音が響く。
その異質な音に、ブラッドリーが眉をひそめる。
「な、なんだその格好は……?」
「準備ですよ、殿下」
スカーレットは両手のゴム手袋を整え、最後に眼鏡のブリッジをくいと押し上げた。
「よろしい。ではこれより、『現場検証』を行います」
彼女は近くにいた給仕に向かって、冷徹に命じる。
「給仕。会場の照明をすべて消しなさい」




