第18話:容疑者たち(全員アリバイあり)
王宮の地下三階、第零班ラボ。
地上での騒動が嘘のように、そこは冷たく静まり返っていた。
運び込まれた魔導卿ヴァルド公爵の遺体は、スカーレットの指示により、即座に「検死保管庫」へと収容された。大量の氷魔石によって冷蔵保存され、腐敗の時計は止められている。
一方、執務エリアでは、スカーレットが白衣の袖をまくり上げ、壁一面に設置された巨大なブラックボード(黒板)に向かっていた。
コツ、コツ、とチョークが硬質な音を立てる。
「さて、殿下。被害者である魔導卿の『人間関係』を整理しましょう」
彼女は黒板の中央に【被害者:ヴァルド公爵】と書き、そこから放射状に線を引いた。
「彼を殺す動機を持った人間は?」
「山ほどいるな」
レオンハルトは革張りのソファに深く腰掛け、苦々しげに吐き捨てた。
「ヴァルド公爵は優秀な魔法使いだったが、人格は最悪だ。平民をモルモット扱いし、部下の手柄を奪う。自分以外の人間を道具としか思っていない、典型的な『選民思想』の塊だった」
「殺されて当然、ということですね。動機の面では絞り込めない、と」
スカーレットは感情を排して頷く。
被害者が善人か悪人かなど、検死官には関係ない。重要なのは「誰が、どうやって殺したか」という事実のみだ。
「だが、実行可能な立場にいた者は限られる」
レオンハルトは、王宮警察のデータベースから引き出した羊皮紙の束をテーブルに広げた。
「あの夜、魔導卿の執務室周辺にアクセスできた可能性がある人物。そして、強い殺意を持っていた人物。……候補は三名だ」
◇
スカーレットはレオンハルトが読み上げる情報を、要約して黒板に書き込んでいく。
【容疑者A:弟子ギデオン(28歳・銀環)】
「魔法省の次席魔導官だ。ヴァルド公爵の一番弟子だが、長年、自分の研究成果を師匠に盗用されていたらしい」
「アカデミック・ハラスメントですね。動機としては十分です」
「師が死ねば、彼が次期魔導卿の最有力候補になる。利益も最大だ」
【容疑者B:政敵・財務大臣(50歳・金環)】
「予算配分を巡って、公爵と骨肉の争いを繰り広げていた。先週の御前会議でも『あいつさえいなければ国が富むのに』と公言している」
「金と権力を持つタイプですね。裏社会の人間を使って毒を入手することも可能でしょう」
【容疑者C:妻エリーゼ(40歳・無環)】
「公爵夫人だ。……だが、彼女の立場は弱い」
「弱い?」
「彼女は魔力を持たない『無環』だ。政略結婚で嫁いだが、公爵からは『魔力のない欠陥品』として冷遇されていた。使用人たちの証言では、日常的な暴力もあったらしい」
「……DV(家庭内暴力)ですか」
スカーレットの手が僅かに止まる。
三名の容疑者。
野心家の弟子、権力者の政敵、そして虐げられた妻。
ミステリーの登場人物としては申し分ない配役だ。
「動機は全員にありますね。では、実行可能性は?」
スカーレットが振り返ると、レオンハルトは首を横に振った。
その表情は険しい。
「全員、クロに近いがシロだ」
「アリバイがあるのですか?」
「ああ。それも、魔法によって証明された鉄壁のアリバイがな」
レオンハルトは、結界管理室から取り寄せたログデータを提示した。
【20:00】
魔導卿が執務室に入室。
直後に『三重結界(物理・魔法・空間遮断)』を起動。
【21:00】
死亡推定時刻(スカーレットの検死による)。
【翌08:00】
秘書が出勤し、結界の解除を確認して入室。遺体発見。
「この間、結界を通過したIDは存在しない。無理やり破れば警報が鳴るが、それもなし」
「完璧な密室ですね」
「その上で、容疑者たちの行動記録だ」
弟子ギデオン:
20時から22時まで、王立図書館で文献を複写していた。司書と複数の学生が証言。
財務大臣:
王都の夜会に出席。百人近い貴族と談笑しており、抜け出す隙はなかった。
妻エリーゼ:
別邸のサロンにて、メイドたちとお茶会を開いていた。一歩も外に出ていないと使用人全員が証言。
「物理的にも魔法的にも、犯行時刻である21時に、彼らが執務室に入ることは不可能だ。遠隔魔法も結界に阻まれる。転移魔法の痕跡もない」
レオンハルトは、悔しげに拳を握った。
「ガイルたちが『病死』と断定したのも無理はない。常識的に考えれば、誰も殺せない状況だ」
◇
沈黙がラボを支配する。
だが、スカーレットは黒板の前で腕を組み、静かに思考を巡らせていた。
彼女の目には、絶望の色はない。むしろ、複雑なパズルを前にした子供のような、純粋な知的好奇心が宿っている。
「……常識、ですか」
スカーレットは、証拠品として持ち帰った「銀の水差し」と「ワイングラス」を手に取った。
そして、意味深に微笑む。
「殿下、貴方は『犯行時刻(21時)』に犯人が現場にいなければならない、と考えていますね?」
「違うのか? 毒を盛るなら、飲む直前か、飲んでいる最中だろう」
「それは固定観念です」
スカーレットはグラスを傾ける。残っていた赤ワインの澱が揺れる。
「もし、結界が張られる前……例えば夕食の準備をしていた『19時50分』の段階で、『1時間後に毒が発生する仕掛け』をセットしていたとしたら?」
「1時間後……? 時限爆弾のようなものか?」
「ええ。魔法ではなく、物理法則を使った時限装置です」
彼女の脳裏に、現場のゴミ箱の底に溜まっていた「水」の記憶が蘇る。
そして、グラスに残っていた水滴。
全ての事象が、一つの答えを指し示していた。
「犯人は現場にいなかった。ただ、『熱力学』という殺し屋を部屋に置いていったのです」
「さて、実証実験の準備を!」
「この『分離器』を使います。……ワインの中に溶けた『見えない殺意』を、色付きで引っ張り出すためにね」
容疑者は絞られた。
あとは、その「方法」を証明するだけだ。
魔法の壁を、科学の楔が打ち砕く時が来た。




