第17話:スカーレットの違和感、レオンハルトの決断
魔導卿の執務室に、冷たい沈黙が張り詰めていた。
「これは毒殺だ」と断言したスカーレットに対し、捜査指揮官ガイルの顔色は、怒りで赤黒く変色していた。
「……ふざけるな! 魔力のない小娘が、捜査の何を知っている!」
ガイルが唾を飛ばして怒鳴る。
「我々は魔法省のエリートだ! その我々が『反応なし』と判断したのだぞ! 貴様の妄言は、魔法省の威信に対する侮辱だ!」
「威信? そんな感情論で現場を汚染しないでください」
スカーレットは冷ややかに言い放つと、ガイルを障害物のように避けて歩き出した。
「泥を塗っているのは私ではありません。貴方たちの『節穴』です。……邪魔ですので退いてください」
彼女はガイルを無視し、再び現場の観察に戻る。
目指すのは、遺体が突っ伏していた執務机だ。
◇
スカーレットは机の前に立つと、遺留品を入念にチェックし始めた。
被害者の最期の時間を再現するために。
1.飲みかけの赤ワイン。
グラスの底には澱が沈んでいる。半分ほど残っており、こぼれた形跡はない。
2.銀の水差し(ピッチャー)。
中には透き通った水が入っている。
3.書きかけの書類。
インクが滲んでいる。執務中に突然死した証拠だ。
(……違和感がある)
スカーレットは白手袋越しに、銀の水差しに触れた。
ひんやりとしているが、冷たくはない。
「――【解析】」
ユニークスキルが発動する。
視界に温度分布が表示される。
(水温十八度。室温と同じ。……ここまでは普通ね)
次に彼女は、視線を下に移した。
机の下。主人が足を置くスペースの隅に、豪奢な装飾が施された「ゴミ箱」が置かれている。
スカーレットが呟き、ゴミ箱の中に手を突っ込もうとした、その時だった。
「いい加減にしろッ!!」
背後から怒声が響いた。
ガイルだった。彼の堪忍袋の緒がついに切れたのだ。
「貴様、神聖な魔導卿の遺品をゴミ扱いするか! 薄汚い手で証拠を荒らすな!」
「証拠を探しているのです。このゴミ箱の中に、犯人の尻尾があります」
「黙れ! 衛兵! この無礼な女を捕らえろ! 公務執行妨害および不敬罪だ!」
ガイルの命令で、武装した魔法衛兵たちが杖を構えて殺到する。
スカーレットはゴミ箱を抱えたまま立ち上がろうとしたが、華奢な令嬢の腕力では、武装した男たちに敵うはずもない。
(……強行突破は非合理的ですね。さて、どうしましょう)
彼女が冷静に次の手を計算しようとした、その瞬間だった。
スカーレットの視界の端で、黒い影が爆発的に加速した。
ドゴォッ!!
鈍く、重い衝撃音が室内に響き渡る。
先頭でスカーレットに掴みかかろうとした衛兵が、まるで砲弾のように吹き飛び、壁に激突して崩れ落ちた。
「な……ッ!?」
ガイルが目を剥く。
スカーレットの前に、一人の男が立ちはだかっていた。
第二王子、レオンハルト。
彼は魔法を使っていない。純粋な身体能力による「蹴り」一発で、大男を吹き飛ばしたのだ。
レオンハルトは、氷のような瞳で周囲の衛兵たちを射抜いた。
「……俺の部下に、指一本でも触れてみろ」
低い声。だが、そこには絶対的な殺気が込められていた。
「その腕、へし折るぞ」
そのプレッシャーに、エリートであるはずの魔導捜査官たちが震え上がり、後ずさる。
「氷の王子」と呼ばれ、宮廷政治から距離を置いていた第二王子。その本性が、これほどまでに獰猛な武人であったことを、彼らは初めて知ったのだ。
「で、殿下! 正気ですか!?」
ガイルが裏返った声で叫ぶ。
「魔法探知を否定して、こんな素人の妄想を信じるのですか! この女は適当なことを言って、現場を撹乱しているだけですぞ!」
「妄想、か」
レオンハルトは、背後のスカーレットを一瞥もしないまま、冷徹に言い放った。
「いいや。彼女はこれまで、一度も間違えなかった」
「し、しかし! 魔法のセンサーが絶対なのは常識で……」
「なら、その常識が間違っているのだろう。俺は、お前たちの高性能なセンサーよりも、彼女の曇りなき『眼』を信じる」
迷いのない言葉。
スカーレットは少し驚いて、彼の背中を見つめた。
ここまで全面的に信頼されるとは、計算外だったからだ。
レオンハルトは、ガイルに向かって宣言した。
「この捜査の全責任は、第二王子レオンハルトが負う。もし彼女の推理が外れていれば、俺は王位継承権を放棄し、謹慎しよう」
「なっ、王位継承権を……!?」
「だが――もし他殺だった場合」
レオンハルトは口元を歪め、獰猛に笑った。
「現場を誤診し、あやうく完全犯罪を見逃しかけた貴様らのクビがどうなるか……覚悟しておけよ?」
それは賭けだった。
自分の人生をチップにした、あまりにハイリスクな賭け。
ガイルは脂汗を流し、唇を噛み締めた。王族にそこまで言われては、これ以上妨害することはできない。もし本当に他殺だった場合、自分の破滅が確定するからだ。
「……っ、後悔しますよ殿下! 行くぞ!」
ガイルは捨て台詞を吐き、部下たちを引き連れて部屋を出て行った。
バタン、と扉が閉まる。
静寂が戻った部屋で、レオンハルトが振り返った。
「……大丈夫か、スカーレット」
「ハイリスクな賭けですね、殿下。私の推理が間違っていたら、貴方は無職ですよ?」
「はっ。その時は、君の助手として雇ってもらおう。テオよりは役に立つはずだ」
レオンハルトは軽口を叩くが、その額には薄く汗が滲んでいる。彼もまた、必死だったのだ。
スカーレットは小さく微笑み、抱えていたゴミ箱と、机の上のワイングラスを掲げてみせた。
「ご安心を。勝率は一〇〇パーセントです」
「何か見つけたのか?」
「ええ。犯人がうっかり残してしまった、『時間のカケラ』を見つけました」
スカーレットの瞳が、理知的な光を帯びる。
「ラボへ戻りましょう、殿下。『見えない毒』の正体と、密室を破ったトリック……すべてを暴くための、化学実験の時間です」




