第15話:魔導卿の死と、騒がしい朝
二人は「魔導昇降機」に乗り込み、地下から地上、そして王宮の上層階へと上昇していた。
カゴが上昇するにつれ、窓の外の景色が石壁から青空へと変わっていく。
移動中、レオンハルトが状況を整理する。
「現場は王宮東棟の最上階。魔導卿の執務室だ」
「あそこは、王宮で最もセキュリティが堅い場所ですね」
「ああ。特にヴァルド公爵は極度の人間不信だった。就寝時と執務中は、部屋全体に『対物理・対魔法・対転移』の三重結界を張るのが日課だった」
レオンハルトは、手元の通信機で結界管理室のログを確認する。
「ログを見たが、完璧だ。昨夜二十時の起動から、今朝八時に秘書が発見して解除されるまで、結界への干渉はゼロ。出入りした者は一人もいない」
「物理的な扉も、魔法的な抜け道も、すべて封鎖されていた……と」
スカーレットは眼鏡のブリッジを押し上げた。
「つまり、空気以外は何も通さない『完全な箱』の中で、権力者が死んだわけですか」
「そうだ。外部からの毒ガス攻撃も不可能だ。通気口には最高級の解毒フィルターがついている」
「美しい密室ですね。……教科書に載せたいくらいです」
不謹慎にも、スカーレットの口元には笑みが浮かんでいた。
魔法使いが作る「完璧な密室」。それを科学というメスで切り裂く瞬間を想像し、知的好奇心が疼いているのだ。
チーン。
到着のベルが鳴り、扉が開く。
そこは、豪奢な絨毯が敷かれた上層区の廊下だった。
しかし、その優雅な空間は、物々しい雰囲気に包まれていた。数十人の魔導捜査官や騎士たちが行き交い、怒号が飛び交っている。
「どけ! 証拠品を運ぶんだ!」
「結界班、ログの再解析を急げ!」
スカーレットたちが現場である執務室の前まで来ると、立派なローブを纏った男が立ちはだかった。
銀縁眼鏡をかけた、神経質そうな男。魔導捜査官のリーダー、ガイルだ。
彼は地下から来た薄汚い(薬品臭い)スカーレットたちを一瞥し、露骨に顔をしかめた。
「おや、第零班の『ゴミ拾い』ご一行ですか。ご苦労なことですが、出番はありませんよ」
「退けガイル。王命による捜査だ」
レオンハルトが睨みつけるが、ガイルは鼻で笑って譲らない。
「捜査? 必要ありませんな。もう『解決』したのですよ」
「解決だと?」
「ええ。事件性なし。病死です」
ガイルは肩をすくめてみせる。
「結界に異常なし。室内に潜伏者なし。遺体に外傷なし。そして何より――遺体からの魔力反応はゼロ。よって、老衰に伴う急性心不全です。偉大なる魔導卿も、寄る年波には勝てなかったということですな」
あまりに安直な結論。
スカーレットはガイルを無視し、彼の横をすり抜けて部屋の中へと足を踏み入れた。
「おい! 勝手に入るな!」
制止の声を背に受けながら、彼女は現場を見渡す。
重厚なマホガニーの机。壁一面の本棚。
そして、部屋の中央にある豪華な椅子に、一人の老人が座ったまま息絶えていた。
首をだらりと垂れ、まるで居眠りをしているかのように見える。
――見えたのは、一瞬だけだった。
スカーレットは遺体のそばに跪き、白手袋をはめた手で、老人の顔を覗き込んだ。
その瞬間、彼女の瞳孔が収縮し、捕食者の目になる。
「――【解析】」
視覚情報が拡大される。
一見、安らかに見える死に顔。だが、ミクロの視点で見れば、そこには壮絶な苦悶の痕跡が刻まれていた。
(瞳孔の極度な収縮。……粘膜の充血。……口角にわずかに残る、拭き取られた泡状の唾液)
彼女の脳内で、「病死」という文字が粉砕され、赤い警告灯が点滅を始める。
心不全? 馬鹿な。心臓が止まったなら、瞳孔は開くはずだ。
縮んでいるということは、副交感神経が異常興奮したまま死んだということ。
それはすなわち――。
「……神経毒」
スカーレットが呟くと、背後からガイルが怒鳴り込んできた。
「おい貴様! 魔力のない女が魔導卿の御遺体に触れるな! 魔力反応はゼロだと言っただろう! これ以上死体を弄るな!」
スカーレットはゆっくりと立ち上がり、振り返った。
その顔には、先ほどまでの好奇心は消え、代わりに絶対零度の冷笑が浮かんでいた。
「心不全? ……貴方の目はビー玉で出来ているのですか?」
「な、何だと!?」
「あるいは、脳の処理能力がカエル以下なのかしら。この遺体は叫んでいますよ」
彼女は遺体の目を指差した。
「『苦しい、息ができない』と。……これは病死ではありません。明白な他殺です」
地下から来た「異物」が、エリートたちの常識に真っ向から喧嘩を売った瞬間だった。




