第12話:地下室の「ゴミ拾い班」
重厚な鉄扉が、錆びついた悲鳴を上げて開かれた。
王宮地下三階、その最奥。
レオンハルトに案内された「第零班」の心臓部は、一言で言えば「陰惨」な空間だった。
広さは学校の教室三つ分ほどだろうか。壁はゴツゴツとした石積みで、ところどころに黒ずんだシミがへばりついている。
天井からは用途不明の滑車や鎖がぶら下がり、部屋の隅には拘束具のついた台座が放置されていた。かつてここが、王宮の裏切り者を尋問するために使われていた「旧・異端審問所」であった名残だ。
湿った空気。鉄錆の臭い。そして、染み付いた恐怖の記憶。
普通の令嬢であれば、足を踏み入れることさえ拒むだろう。
「……酷い場所だろう」
レオンハルトが、申し訳なさそうに言った。
「予算もつかない、誰も寄り付かない『ゴミ溜め』だ。公爵令嬢の君には耐え難い環境かもしれん。もし無理なら、地上にもう少しマシな部屋を――」
「素晴らしい」
レオンハルトの言葉を遮ったのは、感嘆の溜息だった。
スカーレットは部屋の中央に進み出ると、うっとりとした表情で天井を見上げている。
「一定の低温。地下特有の遮光性。そして、この分厚い石壁……。素晴らしいわ」
「……は?」
「ここなら、試薬や検体の腐敗を遅らせることができます。それに、実験で多少の爆発を起こしても、上層階に音が響きません。まさに、研究に没頭するための聖域ね」
「爆発させる前提なのか……?」
レオンハルトは頬を引きつらせた。どうやら、この令嬢の感性は、一般常識の遥か彼方にあるらしい。
スカーレットは部屋の壁際に乱雑に積まれた棚へと歩み寄った。
そこには、埃を被った羊皮紙のファイルが山のように押し込まれている。
「それで殿下。この部署が『ゴミ拾い班』と蔑まれているのは、この場所のせいだけではありませんね?」
「ああ。そこに積まれている山が理由だ」
レオンハルトは、書類の山を顎でしゃくった。
「魔法警察や騎士団が捜査し、『魔法では解決できない』と判断して匙を投げた事件資料……いわゆる『迷宮入り事件』だ。それらは最終的に、この第零班に回ってくる」
「なるほど。解決の見込みがない事件の墓場、というわけですか」
スカーレットは一冊のファイルを手に取り、表面の埃を指で拭った。
普通なら、誰もが嫌がる「失敗の記録」。
だが、彼女の瞳は、まるでダイヤモンドの原石を見つけたように輝きだした。
「ゴミ? とんでもない。これは『宝の山』です」
「宝だと?」
「ええ。魔法使いが『解けない』と判断したということは、そこには魔法以外のトリック――即ち、私の専門分野である物理的・化学的犯罪が眠っている可能性が高いということです」
彼女はファイルを慈しむように撫でる。
「魔法探知に引っかからない毒。見えない凶器。物理的な密室……。彼らが『ゴミ』として捨てた記録の中にこそ、この国の司法の穴を突く『病原菌』が潜んでいるのです」
スカーレットは不敵に笑い、ファイルを棚に戻した。
「私が全て、リサイクル(再捜査)して差し上げましょう」
その頼もしい言葉に、レオンハルトは思わず苦笑する。
ゴミ捨て場を宝の山と言い切る変わり者。だが、今の彼にとって、これほど心強い言葉はなかった。
「……ん? おい、あの侍女は何をしているんだ?」
ふと、レオンハルトが部屋の隅を指差した。
そこでは、侍女のレイブンが黙々と作業を始めていた。
彼女は部屋の隅に放置されていた「拷問台」に水をかけ、持参した布で丁寧に磨き上げている。その手つきは手慣れたもので、さらに鞄からメスやボウルといった調理器具(?)を取り出し、台の上に並べ始めた。
「レイブンですか? 彼女は掃除中ですよ」
「掃除? 拷問台をか?」
「ええ。彼女は元・暗殺ギルドの掃除屋ですから。人体構造に詳しく、血液の処理も完璧です」
スカーレットは何でもないことのように言う。
「あの台の高さと傾斜、排水溝の位置……。『検死解剖台』として使うのに丁度いいと判断したのでしょう。さすがは私の助手、優秀です」
「……」
レオンハルトは額を押さえた。
主人が変人なら、従者も大概だ。拷問台を検死台にリサイクルする発想など、王族の教育には存在しない。
だが、不思議と不快感はなかった。むしろ、このカオスな空間が、これから始まる戦いの拠点として頼もしくさえ思えてくる。
スカーレットは満足げに頷き、部屋の壁を見回す。
すると、レオンハルトがある一点を指差した。
「ちなみに、その壁の黒いシミだがな」
「はい」
「兵士たちの間では『幽霊が出る』と恐れられている曰く付きの場所だ。毎晩、そこから死者の呻き声が聞こえるらしい」
彼は少し脅かすつもりで言ったのだろう。地下室の怪談など、令嬢が最も嫌うものだ。
しかし、スカーレットはスタスタと壁に近づくと、そのシミをじっと観察し、指でコンコンと叩いた。
「……カビですね」
「え?」
「この黒いシミは『クラドスポリウム(黒カビ)』のコロニーです。湿気が溜まりやすい構造なのでしょう」
彼女はシミの中心付近にある、石の継ぎ目をグッと押し込んだ。
ガコン、と音がして、石の蓋が外れる。
途端に、ヒューッ、ゴォォォ……という、低く不気味な音が響き渡った。
「これが呻き声の正体です」
「な、なんだこれは」
「古い通気口ですね。配管が老朽化して穴が空き、風が通るたびに笛のように共鳴音を鳴らしていただけです。黒カビが湿気を吸って、音を反響しやすくしていたのでしょう」
スカーレットは蓋を戻し、パンパンと手の埃を払った。
「幽霊はいません。いるのはカビと、整備不良の配管だけです」
「…………」
あっさりと怪談を物理で否定されたレオンハルトは、なんとも言えない顔をする。
「……ロマンがないな」
「ロマンで犯人は捕まりませんから」
スカーレットは持ち込んだ荷物から、白衣のような作業着を取り出して羽織った。
袖を通し、髪を無造作にクリップで留める。
その姿は、公爵令嬢ではなく、真実を暴く「捜査官」のそれだった。
彼女は、レオンハルトが用意した真新しい執務椅子に深く座り、不敵に笑う。
「さて。城もできました。機材も人材も揃いました」
「ああ」
「そろそろ来ますよ、殿下。私たちの『最初の依頼人』が」
地下室の冷たい空気が、熱を帯びて動き出す予感がした。
ここから、国を揺るがす「科学捜査」の伝説が始まるのだ。




