第10話:王宮警察からの招待状
カビと鉄錆、そして高級菓子。
相反する要素が同居するこの封筒は、差出人の人物像を雄弁に語っている。
高貴な身分でありながら、環境の悪い地下に拠点を置き、かつ甘い物を好む変わり者。
(レオンハルト殿下。……貴方、意外と私と趣味が合いそうですね)
スカーレットは口元を緩め、封筒を懐にしまった。
◇
馬車が到着したのは、きらびやかな王宮の正門ではなかった。
裏手に位置する「北棟・資材搬入口」。食材を運ぶ荷馬車や、ゴミ収集の作業員が行き交う、王宮の舞台裏だ。
ドレスで降り立つには相応しくない場所だが、馬車から降りたスカーレットの装いもまた、普通の令嬢とはかけ離れていた。
動きやすいように裾を切り詰めた実用的なドレス。
その上から羽織ったのは、白衣を模した特注のロングコート。
そして手には、愛用の「往診鞄」が握られている。
「……粉塵濃度が高いわね。マスクを持ってくるべきだったかしら」
彼女は空中に舞う塵を見て眉をひそめつつ、指定された通用口の扉を開けた。
目の前に伸びているのは、地下へと続く長い螺旋階段だ。
一歩踏み出すたびに、空気が重く、冷たくなっていく。
王宮の地下区画。
そこは、華やかな表舞台を支えるインフラ設備と、かつての牢獄が混在する「王都の腸」だ。
階段を降りるにつれて、壁の石組みは古くなり、魔法陣の照明も疎らになっていく。
(結露が酷い。壁に黒カビ(クラドスポリウム)のコロニーが形成されているわ。……換気システムが機能していない証拠ね。ここは呼吸器系疾患の温床だわ)
スカーレットは壁を指でなぞり、その湿り気を確認する。
美しい王宮の足元が、これほど病んでいるとは。
だが、彼女は不快感よりも先に、湧き上がる好奇心を抑えきれなかった。
「解剖のしがいがある国だこと」
カツ、カツ、とヒールの音を響かせ、彼女は地下三階の踊り場へとたどり着いた。
そこには、重厚な鉄扉が立ち塞がっていた。
扉の前には、一人の騎士が仁王立ちしている。身長二メートルはあろうかという巨漢だ。王宮騎士団の鎧を着ているが、その装備は所々傷ついており、歴戦の猛者であることを物語っている。
「止まれ」
騎士が太い腕を伸ばし、スカーレットの行く手を遮った。
「ここは立ち入り禁止区域だ、嬢ちゃん。迷子なら一階の衛兵詰め所に行きな」
「迷子ではありません。レオンハルト殿下がお待ちです」
「殿下だと? ……帰れ。あの方は公務でお忙しい。貴族のお嬢様がお茶をしに来ていい場所じゃねえんだ」
騎士はスカーレットを一瞥しただけで、鼻で笑った。
招待状を見せようとしたが、彼はそれを見る気さえないらしい。「魔力のない小娘」という偏見が、彼の目を曇らせている。
(……非合理的ね。言葉で説明するより、実演した方が早いかしら)
スカーレットは動じない。
眼鏡の位置を直し、ユニークスキルを発動させる。
「――【解析】」
視界が切り替わる。
騎士の全身が色彩情報として分解され、拡大される。
ブーツの汚れ、袖口の繊維、筋肉の張り具合、骨格の歪み。
数秒の観察で、彼の「過去数時間の行動」と「現在の体調」が、雄弁なデータとして浮かび上がった。
「公務、ですか。……いいえ、殿下は今、この奥で『個人的な捜査』をしていますね?」
「あ? 何を言って……」
「そして貴方。ここに来る前……午前中は『北の第三演習場』で、火属性魔法の訓練をしていたでしょう?」
スカーレットの言葉に、騎士の表情が強張る。
「な、なぜそれを……」
「ブーツの右足側面にのみ、特徴的な赤土が付着しています。王都近郊でその土があるのは、北の演習場だけです。さらに、袖口には微細な焦げ跡と、硫黄の臭い。近距離で爆発系の魔法を使った証拠です」
騎士が後ずさる。だが、スカーレットの「診断」は止まらない。
「それだけではありません。貴方、左肩の関節炎が痛むのではありませんか? 重心が右に偏っています。重い鉄扉の前で長時間立哨するのは、さぞお辛いでしょうに」
「バ、バカな……!?」
騎士は自分の左肩を押さえ、目を見開いた。
古傷の痛みは、誰にも話していないはずのことだった。
「貴様……魔法で俺の心を読んだのか!? 読心術か!」
「いいえ、ただの観察です」
スカーレットは呆れたように首を振る。
「人は誰もが、自分の情報を身体に書き込んで歩いているものです。私はそれを読んだだけ。……さて、これを見てもまだ、私を通しませんか?」
彼女は懐から、黒い封筒を取り出して突きつけた。
騎士はひったくるように封筒を受け取り、封蝋の紋章を確認する。そして、顔色を一変させた。
「こ、これは……殿下の直筆! し、失礼いたしました! まさか局長代理のお客様とは知らず!」
騎士は慌てて直立不動の姿勢を取り、敬礼する。
その額には、冷や汗が浮かんでいた。魔法を使わず、ただの視線だけで丸裸にされた恐怖が、彼を萎縮させていたのだ。
「開門します!」
ギーッ……ゴウン。
重い金属音を立てて、鉄扉が内側へと開かれる。




