【第四話】 森の中の誓い
魔法の発動の合図である一瞬の輝きが収まっていくと同時に、二人の前に現れた人影がその姿形をはっきりと把握出来るまでに至っていた。
目をパチクリさせるロイスが理解したのはそれがクルムと同じ魔族の女であるということぐらいだ。
人間の基準で例えるなら二十代中盤ぐらいの、肩に届かないぐらいの薄水色の髪の毛に同じく薄青い瞳、そして白と黒のメイド服を着た魔族の女が立っている。視界から得られる情報はただそれだけ。
そんな何者かはクルムの存在を認識するなり安堵の表情を浮かべ、か細い体躯を抱きしめた。
「クルム様、よくぞご無事で。この人間が……」
一転、続けてロイスに目を向けたかと思うと殺気を剥き出しにした目で睨み付け、同時に腰から短剣を取り出している。
瞬時に身の危険を察したロイスは無意味さを自覚しながらも身構えたが、その刃が鮮血を舞わせるよりも先にクルムが二人の間に割って入った。
「ストーップ!! 落ち着いてネリス、こいつは仲間だから。敵じゃないから」
「……はい?」
両腕を広げて待ったを掛ける主の姿に、ネリスと呼ばれた魔族は心底不思議そうにきょとんとした表情を浮かべる。
目の前にいるのは人間。
それも魔族領、ひいては魔王城に侵入しクルムを拉致した男。
何故その人間を当のクルムが庇うのかと、どれだけ考えても分からなかった。
「取り敢えず、全部説明するから座って。ロイスも」
表情からそれを察したクルムが二人の肩を押して腰を下ろすように促すと理由は違えど抗う者はおらず、三人が地面に座って向かい合う構図が生まれる。
そしてクルムはすぐにここに至るまでの事情をネリスに話して聞かせた。
「というわけ。だからあたしは戻らない、あたしは自由に生きる。好きなように、好きな場所で。自分の生きる場所、生きる道は自分で決める。あたしの扱いはよーく分かってるでしょ? もう道具には戻らない、全部ぶっ壊してやるって決めたの。クソオヤジや兄貴達はどうしてた?」
「……それは」
ネリスは言葉に詰まる。
今し方の宣言にも大いに戸惑ってはいたが、その返答に困る質問がよりそうさせた。
だがそれでも、クルムは引き下がることはない。答えなど聞くまでもなく分かっていたからだ。
「正直に言って」
「は。探す必要もない、と。敵に捕まるような無能は王族には要らぬと、口を揃えておられました」
「ま、そんなところでしょうね。正直予想通りって感じ。気を遣ってくれてるだけでほんとはもっとひどいこと言ってんだろうけどさ」
あっけらかんとした様子のクルムとは対照的にネリスはバツが悪そうに顔を伏せることしか出来ない。
実際、今更ショックを受ける価値もない話題であると断じる心を当事者以外が推し量ることは困難であったが、気を遣わせぬ意味合いも込めてクルムはすぐに話を進めた。
「だから、ネリスも決めて欲しいの。一緒に来てくれるか、元居た場所に戻るか。どっちを取っても恨んだりしないから、戻るならあたしのことは忘れて自分の人生を生きて。最後に我が儘を言わせてもらえるならこの件は伏せといて欲しいけど」
「クルム様……」
「幹部の座を捨ててあたしに尽くしてくれたことには感謝してる。だけどあたしは一緒に戻ることは出来ないし、あなたに嘘を吐かせなくないの。一緒に来てって言えばきっとそうしてくれると思う。でもそれはあなたの忠誠心を利用してるみたいで嫌なのよ。もうあたしは魔王の娘じゃない。だからネリスも自分に従って、自分の行きたいように生きて。置き土産ってわけじゃないけど、今はまだあたしたちがしようとしていることを黙っていてくれると嬉しいな」
「問われるまでもありません。貴女様のお傍におります、この命尽きるまで」
即答だった。
元来ネリスは魔王の部下としての地位には何ら関心がない。
それでいて幹部に属していながら大層な肩書を固辞し侍女のような仕事をしているのは、ただ恩人であるネリスの母への忠誠心に他ならないのだ。
「亡き母気味に誓いました、生涯命を賭してクルム様をお守りすると。貴女様が新たな場所を求め、戦って成し遂げたい何かがあるというのならば、この私が全ての望みを叶えて御覧に入れます」
「ありがと。そう言って欲しかったし、そう言ってくれるって信じてた」
最初と違った双方が身を寄せて交わされる抱擁に、本当に姉妹みたいだなぁとロイスは特に心温まるでもなくボーっとその姿を眺めていた。
話が始まってからというもの口を挟む場面もなく、いっそ二人の世界を作り始めた辺りで疎外感すら感じて徐々に真剣な顔を作ることに疲れを感じてさえいたが、そこでふとクルムの目が自身に向いたためギリギリのところで表情を崩すのを堪える。
「ってことで、これで三人ね!」
「三人はいいけど……メイドさんが増えて戦力になるのか? そりゃ諸々してくれる人は必要だけどよ」
「何言ってんの。ネリスは元幹部よ、強さだけでもうちでは上から何番目かってレベルなんだから」
「マジでか」
「人間、はっきりと言っておきますが貴方如き二秒で殺せます」
「二秒……」
まじでかすげえな。とロイスは素直に感心する。
元より武勇を誇る性質でもなければ最大限爪を隠すことを是とし、その要素以外で勝つことが本質であるため見下し馬鹿にされようと侮られようと腹が立つこともない。
「ネリス、このロイスは仲間であり家族になったんだからね。ちゃんとそのつもりで接してくれなきゃ駄目」
「かしこまりました」
「そうじゃなくてもこのロイスは侮っちゃ駄目だよ? あの城に一人で侵入して誰にも気付かれずにあたしを拉致してったんだから」
「なるほど、言われてみるとそうですね。クルム様を……拉致した男」
受け入れてはいても理解と納得は別なのか、怒りが再燃したらしいネリスはギロリとロイスを睨み付ける。
諫めるのはクルムしかいない。
「だから敵視しないの」
「承知しております」
「ほんとかよ……すげえ睨んでたじゃん今」
「ていうかさぁ、あんたどうやって一人で城に侵入したわけ? 結構難易度高いと思うんだけど」
「あ? ああ、俺は職業盗賊なんだが、それに類する人間の中じゃレベルはかなり高い方でな。つってもそれ自体は少々ズルをしているからなんだけど……」
「ズル?」
「まあその話は追々でいい。で、そのおかげて三つのスキルを得た。はっきり言えば全てはそのおかげだな」
「へぇ~、ちなみにどんなスキルなの?」
「それ面と向かって聞くか? 仲間にも一部は隠してたんだぞ。理由は勿論信用してないからだけど、そうでなくても手の内全部明かすのは馬鹿のすることだって持論があるから遠慮して欲しいんだが」
「そいつらは信頼出来なかったかもしれないけど、あたし達は無条件で信頼するの。疑わないし裏切らないの。約束したでしょ?」
「はぁ……分かったよ。先にお前の魔法陣のことも教えてもらったしな」
いかにして相手を油断させ、欺き、想定の外に居続けられるか。
それこそが自分の勝ち方であるという信念があるロイスは内心気乗りはしていなかったが、自らの意思で乗り掛かった船であることを踏まえ渋々ながら隠し持つ三つのスキルを明かすことにした。
加えて言えば、どうにもその真っすぐな瞳で見つめられると強く出ることが難しい。
あまりにも純真であるがゆえに。あまりにも自分とは違うがゆえに。
「一度しか言わないから他言無用で頼むぞ」
「オッケー♪」
「お気楽な……まあいい。一つ目は神出鬼没、どんな結界でもすり抜けて通れる、あの城に入れたのはこれが理由だ。二つ目は亡霊なる盗賊、分かりやすく言えば極限まで気配を消すことが出来るってスキルだ。探知魔法にも引っ掛からないし、匂いや音って問題以外じゃ野生の虫や動物にすら気付かれない。で、三つ目。これは深淵を覗く者といってどんな鍵でも開けられるって便利な能力だな。これはあの勇者達にすら明かしていない」
「ほえ~、便利な力持ってんのねぇ。伊達にあの勇者パーティーの一員名乗ってる……じゃなくて名乗ってたわけじゃないのね。正直あたしは外に出ることもほとんどなかったからあんま分かんないけど」
「わざわざ言い直す必要ある? つーか、それを言うならお前のも大概だぞ。自分の転移魔法を他者に単独で使わせるって、ぶっちゃけ無茶苦茶だ。人間には不可能な芸当と言ってもいい」
「ま、こちとら血筋だけは一丁前だからね。ちゃんと説明しておくと、転移と結界の魔法陣を作るって感じね。あたし自身の魔法力を込めて作った魔石を鍵の代わりに出来て、それを持っていれば他人にも使えるようになるし、複数箇所を繋ぐことも、複数人で共有することも出来る。今やったみたいに直接魔法石を門にするのは特殊な魔石がいるから量産は難しいんだけどね。あと、結界の方は逆に鍵を持っていれば通れるようになる、ってとこかな」
「ほう、そりゃ使い勝手も良さそうだ。で、そっちのメイドさんは?」
「人間風情にそのように呼ばれる筋合いはありません」
取り付く島もないとはこのことである。
目を合わせることすらしないネリスに辟易し早くも先行きが不安になるロイスだったが、クルムの一言で状況は一変した。
「ネーリースー、仲良くしてってば~。待望のマロなんだから」
「マロ……」
「マロ?」
何だそれ?
と首を傾げるロイスであったが、ネリスはもう一度同じ言葉を口にし、そこで初めてロイスに目を向ける。
なにゆえその言葉なのか単語なのかが頑なだった拒絶の姿勢を揺るがしたのかが分からないロイスは頭に疑問符を浮かべるばかりだ。
「え? なにマロって」
「ああ、古い魔族の言葉で弟のことよ。で、あんたはネリスをユーリって呼ぶの。そしたら二人は晴れて姉弟よ!」
にこやかに親指立てるクルムの言わんとしていることは、やはりロイスには分からない。
それでいて『ユーリ?』と、同じように謎の言葉を反復した途端にネリスに顔を逸らされていた。
「おい、全力で目ぇ逸らされてんだけど。怒ってんじゃねえのかいきなりわけ分からんこと言うから」
「んーん、単に照れてるだけよ。ね、ネリス」
「決してそのようなことは」
顔の向きを戻したネリスに表情の変化はない。
すると何故か、からかうようににやついたクルムはロイスの脇腹を肘で突いた。
まるで、もう一回言ってみろとばかりに。
「……ユーリ?」
しばし無表情ののち、やはりネリスはこちらから見えない角度に顔を逸らした。
「……何の時間なんだこれは。話進めようぜいい加減よ」
「そうね。ってことでネリス」
「は」
「たった今からあたし達はあたしたちの道を行く。あたし達の戦いを始める。そしてあたし達の物語を作り上げる。この三人で。どんな最後になったとしても、今日この場で共にその道を進み、共に作り上げ、苦楽の全てを分かち合うと血と魂に誓って」
クルムは再び、小さく傷を付けた親指を差し出した。
血の誓いを改めてこの三人で交わし合おうという意思表示だ。
勝手が分かっていて、拒否権が無さそうなことも理解したロイスがそこに自身の親指を合わせると、ネリスも爪で傷を入れた親指をそこに重ねる。
こうして積み上げた全てが終わったその日に、新たな始まりを迎える三人の誓いが確かに交わされた。
「まだ私がネリス様と合流したことは知られていないでしょうから、のちほど城に戻りカラを連れて戻ります。その他に必要な物資も可能な範囲で持ち出しましょう」
やがて意思や覚悟の相互確認を終えると、ネリスが立ち上がった。
「うん、お願い」
「そいつは助かるが、まずは拠点だな。あとカラってなんだよさっきも出てきたけど」
「もう一人の仲間っていうかペットっていうか、そんな感じのあれよ。ていうかあんたにはいないわけ? 仲間があそこにいたアレじゃ希望は薄そうだけど、他に家族とかさ」
「家族…………………………………………忘れてたぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!
この日最大の絶叫が、無人の森の中に響き渡った。




