【第九話】 客室の夜
クロフォード卿との話が終わると、ロイスは貸し与えられた客室へと戻った。
個室と呼ぶには程遠い広さと貴族であり商売人であることを象徴するかのような豪華な家具に囲まれた光景に、何度来ても慣れないものだとやや辟易しながらソファーへと腰を下ろすと、水を一杯流し込み落ち着く意味を含んだ大きな溜息が零れる。
「ま、どこぞの妃殿下の悪趣味なお部屋にゃ及ばないんだけど」
高い天井を見上げて漏らした言葉は誰に対してでもない愚痴のようなものであったが、それに返答するが如く扉が開いた。
ノックが無いことから察してはいたが、想像通り入って来たのはクルムとネリスだ。
風呂上がりで薄っすらと湿った髪や艶の増した肌から漂う良い香りが急激に室内を満たしていく。
「は~、一日ぶりのお風呂ってサイコーね。人間のお屋敷ってのも思ってたよりまともなのにびっくりだわ。あ、あたしも水ちょーだい」
返答も待たずに飲みかけのグラスを手に取ったクルムは酒でも呷ったのかのように大袈裟な声を漏らした。
ドレスを脱いでいるため薄着にはなっているが、ネリスは変わらずメイド服のままである。
「王族だったお前にゃ分からんだろうから一応言っておくが、少なくとも人間社会の一般家庭に風呂だの入浴剤なんか無いからな? クロフォード卿に頼んであるから食う物に困ることはしばらくはないだろうけど、今後どうなるかは分からんぞ。貧乏暮らしも覚悟はしておけよ?」
「帰らないって決めた時点でどんな人生でも覚悟はしたわ。贅沢だけしたけりゃ城を出なければ満たされるんだから、この先良い暮らしがしたければ自分達の手で勝ち取れって話でしょ?」
「まあ……そういうことだと言えなくもない」
気がする。
とは付け加えなかった。
勝ち負けの前にまずその舞台に立つための準備も必要な物も山ほどある。
が、それを今言っても仕方ないだろうという判断が半分。
今日はもう疲れたから考えるの面倒臭い、というのが半分だった。
「もう寝る? それとも何かやっておくこととかある?」
「いいや、互いに色々あったし今日はもう休息でいいだろうさ。俺はソファーで寝るから、ベッドは二人で使いな」
クロフォード卿の厚意を固辞し、三人で一部屋を宛がってもらうようにしたのはロイス本人だ。
辺境伯が情報を売ったり刺客を差し向けるとは思っていないが、二人揃っていつ誰に命を狙われるとも知れない立場ということもあって身の安全を優先したその判断に二人が同意した形である。
だが、一度は同意したはずの現状にネリスだけが密かに疑問符を浮かべていた。
元来表情の変化に乏しい質ではあるものの、逆に空気や雰囲気の変化を感じ取ることに長けているロイスには隠し切れない。
「どうしたネリ……ユーリ、何か気になることでもあったか?」
「いえ、気になるというほどのことでは。ただ、先ほどクルム様と話していたのですが……やはり私は一度城に戻って出来る用意を進めた方が建設的なのではないかと思いまして」
「そう急くなって。どのみち物資の用意が整うまでの数日はここで過ごさなきゃならないんだ。今は俺とクルムが安心して眠れる心強い味方でいてくれる方が大事ってもんさ」
「その信頼には命を賭して応えるつもりではありますが……」
「ここに荷物を運んできたって二度手間だし、焦って事を進めようとしてもロクな結果にゃならん。どうやったって茨の道なんだ。まずは地に足付けて、より確実性の高い方法を、より効率的に進めていく。それが失敗しない秘訣なのさ。心配しなくてもここを出るまでの時間で何からどう取り掛かるかは考えておくから、今はそれで納得してくれ」
「分かりました。マロがそう言うのであれば、我らが指揮官の言葉に従いましょう」
素直に引き下がるネリスの横でクルムが満足そうに頷いている。
入浴の際にどんな言葉が交わされたのか、どこかロイスを見る目が『突如得られた人間の弟分』だけではなく能力を認め、従う価値のある男という認識に変わっていた。
「ていうかロイスも普通にベッドで寝ればよくない? こんだけ大きいんだし」
「いやいや……それは性別的に不味いだろうに」
「え? 何? もしかしてあたしのこと意識しちゃってんの?」
「あ?」
「ま、あたしってば美少女だし? 無理もないっていうか気持ちは分かるけど? まだあたしをモノにするには早いかなぁ、もうちょっとロイスが頼りになるところを見せてくれたら考えてあげなくもないけど」
「抜かせガキんちょ。色っぽい話がしたけりゃ色々と成長してから出直してこい」
「なにおうっ、言っとくけどあたしだってあと二、三十年もすればママみたいにナイスバディーになるんだからね!?」
「いやお前の母ちゃんの姿形を知らんし、いちいち単位が人間のそれと掛け離れてんだよ」
「マロ、私も含め血の誓いを交わした家族なのですよ? 遠慮して一人だけ椅子で寝ずともよいでしょう」
「ないよ? そんなつもりはないけど、万が一俺が欲情して過ちを犯すとしたら危ないのはあんただからね?」
種族など無関係に整った顔立ちや起伏のはっきりした引き締まった肉体は客観的に見ても天姿国色と表現して相違ない風体であるという初対面で抱いた印象や感想を否定する言葉はさしものロイスも持ち合わせてはいない。
ただそういった要素を差し引いても同衾してしまえば安眠を得るのは難しそうだと、それらしい理由を付けて遠慮しようとしている意味合いが強いことを察してはもらえなかった。
「マロは姉に欲情するのですか? まったく、仕方のない弟ですね。どうしても我慢出来ない時はクルム様の許可を得た上でなら……」
「待て待て、万が一って言ったろ? 何ならただの例え話だよ? 掘り下げられても反応に困るだけだから」
「あたしは何も邪魔するつもりはないし、別に同意の上でならいいんじゃない? 状況的に相手が魔族だろうと人間だろうと他所で女作って来られるのはどうかと思うけど」
「作るかっ、お前も話広げなくていいんだよ!」
「へっへ~だ。デリカシーの無いお馬鹿さんへの仕返しだもんね~」
「分かった分かった、俺の負けだ。無礼を詫びるから勘弁してくれ我らが女王陛下」
「分かればよろしい。ってことで、ヘトヘトなのは事実だしもう寝ようよ。ちゃんと探知結界も張ったし、あの人間に敵対するつもりがないなら心配いらないって。ね、ネリス?」
「そうですね、自制する自信がなかったり単純に落ち着かないのであればマロは端にいればよいかと。冷静に考えてみると寝込みを襲われたところで余裕で勝てますので」
「……元も子もなければ俺の尊厳もなくなるような現実を突きつけないでもらえませんかね」
げんなりして肩を落とすにそれを見て笑うクルム。
こうして二人にとっての終わりと始まり一日の締め括りは見えない先行きに対する不安で悲壮感が漂うでもなく、重苦しい空気になるでもなく、どこか賑やかな雰囲気で過ぎていくのだった。




