8.
最終話
救助された人質の乗客は、一旦、中連警察署の会議室に収容された。怯えた表情で無事を喜びあっているなかに伊乃川茉莉と幼い娘、若菜の姿もあった。
警察官からペットボトルの飲み物が配られ、被害者たちに、
「怪我をされた方、ご気分の悪い方はいらっしゃいますか」
と声が掛けられた。
老女に付き添っている若い女性が手を挙げた。
老女が怪我をしているようすはないがあの修羅場だ。貧血か高血圧か、自律神経がおかしくなっていてもおかしくない。女性ふたりは、警察官に手を取られて部屋を出て行った。
茉莉は膝をすりむき、左の足首も少しひねっていた。でも黙っているつもりだった。このまま入院でもさせられたら日常生活に戻るのに時間がかかる。さっさと家に帰っておしめを替えてあげたい。それにミルクも。
だが、考えが甘かった。
このあと被害者事情聴取というのがあるらしく、元気な乗客は、これから別々の部屋に移されて犯行のようすについて警察官に話さなくてはいけないらしい。
仕方がないので、年配の女性警察官に事情を話しておしめやミルクなどを用意してもらい、若菜と一緒に刑事課というプレートが掛かった部屋に入った。
いくつかあるデスクには誰も座っておらず、未だ興奮冷めやらない警察官が落ち着かないようすで部屋を出たり入ったりしていた。
お願いしたものが届いたので、今は談話室になっているという元喫煙室を貸し切りにしてもらって若菜のおしめを替え、水で薄めたアルカリイオン水を与えているとき、壁に貼ってあるポスターが目に入った。指名手配だ。
そのうちの一枚に目が留まった。
街中に貼られているのと違って、付帯情報が詳しく書かれている。
侵入窃盗、スリ、通称宮永壮一。年齢不詳、四十代半ばから七十五歳くらい。
若い女性とペアを組むことがある。
……。
変装している可能性があるとかで、ポスターの下部にAIで合成した参考画像があった。その七十五歳バージョンは、バスで犯人を手玉に取ったお爺さんそっくりだった。そうすると、いっしょにいた孫らしき子が、たぶん弟子?
その他の欄を読んだ。
詐欺と侵入窃盗とスリの常習犯。令和の義賊を標ぼうし、不正な裏金を溜め込んだ家、悪徳金融業者らからの窃盗を専門にする。
火器の扱いに長けている。
犯行時には女性の弟子を同行し、見つかりそうになると老人と子供、或いは親娘と偽って相手を油断させる。
女性は、年齢不詳、十四歳から二十代後半くらい。やはり変装が得意で、スリの技術がある。
被害額は……、え? 推定八億二千万円!
有力な情報には賞金二百万円、とあった。
全身が緊張で硬くなるのがわかった。
バスのなかで、あのふたりと至近距離で対峙したのは自分だけだ。あとの乗客は車内の後ろの方に固まっていたから写真を見ても確信は持てないはずだ。警察官なら、こうして日々、犯人の顔を記憶に刷り込んでいるのだから気が付いたかもしれないが。
あのふたりが指名手配犯であることを警察に言うべきだろうか。
でも……。
腕のなかでは、すっかり安心を取り戻した若菜が気持ちよさそうに寝息を立てている。その顔を見ているうちに茉莉の気持ちも次第に落ち着いてきた。
よし、顔は怖くてよく覚えていなかったことにしよう。
だってあのふたり、ちょっと荒っぽかったけど悪いことなんて何もしていない。
むしろ、
ありがと! お爺ちゃんとお弟子さん!
若菜がそっと目を開け、茉莉の顔を見てにっこりと微笑んだ。
《了》




