美咲と松茸10
美咲はそっと自分の部屋に戻った。ドアを閉めると、外の物音や隣の部屋の気配もなく、ようやくいつもの自分に戻れた。
昨晩のことを思い返す。松茸の香り、日本酒の温かさ、啓介の淡々とした優しい言葉――。
そして、寝ぼけて口走った言葉。
「鈴木さんがよかったな」
あの瞬間と、啓介の寝室に無意識で入り込んでしまったことを思い出し、思わず顔を覆う。
どう考えても、私が誘っているみたいな状況じゃないの!
でも冷静になると、襲われたり無理なことをされたわけではない。もしかしてあの独り言は聞かれていなかったのかもしれない。寝ている間に自分が勘違いしてただけだと無理矢理にでも理解し、安堵する。
それでも、心の奥にほんの少し残る「残念」という気持ち――。
なぜだろう、と悶々と考える。啓介に恋愛感情があるわけではないはずだと頭では理解している。けれど、ただ彼と一緒にいるだけで心が穏やかで、安心できて、そして少しだけ特別な気持ちになる自分に気づく。
――もしかして、私は……鈴木さんのことを意識してる?
その思いに気づいた瞬間、胸が少しきゅっと締めつけられる。けれど、不思議と怖さはなかった。むしろ、これまでの自分にはなかった感覚に、心が少しずつ柔らかくなっていくのを感じる。
美咲はソファに座り、深く息をつく。昨晩のことを順番に思い返しながら、気持ちの整理をしていく。
泣きじゃくったことも、赤面したことも、全部自分の一部だと認める。失恋の痛みはまだ消えないけれど、啓介の存在が、自分にとって少しだけ心の支えになったことも確かだった。
窓の外から朝の柔らかい光が差し込み、昨日までの重さを少しだけ薄めてくれるようだった。美咲は小さく微笑み、深呼吸をひとつ。
――今日は、少しだけ前を向いてみよう。