美咲と松茸7
啓介は、第三弾といって、焼き松茸を作っていた。丁度良い大きさにカットした松茸に塩をまぶして炭火の小さな七輪で焼いて、スダチを絞って食べる。
焼き松茸には、こっちの方が合うと、日本酒は熱燗へと変わっていた。いや彼が言うには"ぬる燗"らしい。
ちょっとそんな啓介を見ていると不思議なことに胸の奥にぽっと火が灯るような感覚があった。今までの自分なら、こんなとき誰かに心を見せるなんて考えられなかった。けれど今日は、少しだけ違う自分になってみようと思えた。
「……あの、私、さっきの話、ちょっとだけ……」
小さな声で切り出す。
口が軽くなったのか、思わず短く言ってしまった。
「彼氏に振られちゃったんです……」
啓介は何の含みもなく、ただやさしく頷く。
「そっか……それはつらかったね」
その一言で、美咲の心の堤防は少しずつ崩れた。盃の日本酒の温かさと、松茸の香り、そして啓介の静かな同情に後押しされ、止めどなく言葉が溢れてくる。
「五年間……ずっと一緒だと思っていたのに……海外に行くタイミングで、急に終わりって……どうしても信じられなくて……」
「なんで私ばっかりこんなに傷つかなきゃいけないんだろうって……」
啓介は黙って聞き、時折、静かにうなずく。言葉少なに寄り添うその姿に、美咲はさらに話を続けたくなる。お酒のせいもあるのだろう、自然と涙も混じった。
「……ごめんなさい、急にこんな話しちゃって」
「いや、いいんだ。吐き出すだけでも楽になることもあるから」
その言葉に、美咲は少し肩の力を抜いた。まだ胸は痛い。けれど、少なくとも今、この部屋では自分の気持ちを隠さずにいられる――そう思えた。
涙を拭いながら、美咲は少し息を整えた。
「……ありがとう、聞いてくれて」
啓介は笑顔で首を振る。
「こんなことでいいなら、いつでもできるさ。喋るのも好きだけど、人の話を聞くのも嫌いじゃないからね」
その言葉に、美咲は肩の力がふっと抜けるのを感じた。誰かに慰められたわけでも、励まされたわけでもない。ただ、話せる相手がそこにいる――それだけで、心の重みが少し軽くなった。
「でも、あれだね……泣きすぎると酒の味も変わるんだよね。涙とともに松茸を食べたことのある者でなければ、人生の本当の味はわからないってね」
啓介は冗談めかして言う。美咲は思わず笑った。涙でぐずぐずだった頬に、少しだけ柔らかい表情が戻る。
「長野の山も、シーバスの釣りも、すごく楽しかったんだろうなって伝わってくる」
美咲が口を開くと、啓介は嬉しそうにうなずく。
「そうだね。自然の中にいると、自分の小さな悩みなんてちっぽけに思える瞬間があるんだ。だから山や海に行くんだよ、僕は」
美咲は小さく息を吐き、盃を揺らした。
「……鈴木さんと話してると、なんだか気持ちが整理できそう」
「それならよかったよ。話すのも、聞くのも、結構いいリハビリになるもんだから」
啓介の言葉は飾り気がなく、ただ事実を伝えるような淡々とした調子。それでも、美咲の胸には響いていた。
しばらく二人は、松茸の香りと日本酒の温かさに包まれながら、穏やかな沈黙を共有した。
そして、美咲は気づく。泣きじゃくっていた自分が、少しだけ落ち着きを取り戻していることに。
料理の話や松茸狩りのうんちくが途切れるたび、美咲は自然に笑顔を見せ、少しずつ心を開いていった。ただただ近くで他愛もない話ができる人がいることだけで、安心できる――そんな感覚に包まれた。