美咲と松茸4
湯気をまとった土瓶蒸しがテーブルに並ぶ。啓介は自信満々に土瓶の蓋を開け、湯気の向こうに漂う香りを吸い込んで目を細めた。
「ほら、この香りだよ。松茸はね、揮発性の成分が特徴で、あったかい蒸気と一緒に鼻腔に広がるんだ。シメジやマイタケじゃ絶対に出せない上品さだよね。昔から“香り松茸、味しめじ”って言うでしょ? でも実際は――」
途切れることのない説明に、美咲は思わず吹き出しそうになった。
恋人との別れの余韻で重く沈んでいた心が、彼の熱量に押されて少しだけ浮き上がる。笑ったはずなのに、胸が痛むのは変わらない。けれど、その痛みの隙間に小さな温もりが差し込んできた。
箸を伸ばし、慎重に口へ運ぶ。
出汁のやわらかな旨味と松茸の香りが広がった瞬間、思わず目を見開いた。
「……すごく美味しい」
「でしょ! これはもう、山の恵みそのものだね」
啓介は得意げにうなずき、さらに松茸ご飯の土鍋を開けて見せる。立ち上る香りに、美咲の胃がまた鳴いた。彼が夢中で語る松茸の歴史や流通の話は、正直ほとんど頭に入ってこない。けれど、その声に包まれていると、不思議と安心できた。
気づけば茶碗は空になり、胸の奥の冷たさは少し和らいでいた。
失恋の痛みは消えていない。彼の言葉を思い出せば、まだ呼吸は苦しくなる。けれど、こうして誰かと食卓を囲み、笑いながら箸を進めるだけで、人は少しだけ救われるのかもしれない。
「……ありがとう、鈴木さん」
ぽつりとこぼれた言葉に、彼は一瞬だけ目を瞬かせ、それからあっけらかんと笑った。
「礼なんていらないよ。料理は分け合って食べた方が絶対に美味しいから。もう一杯どうだい」
夕暮れの光がカーテンの隙間から差し込み、湯気の中でゆらめいていた。