第75話 浅見の過去
「これはこれは!困難に陥って助けを求めに来た客人を、わしはてっきり入団希望者と勘違いしてしまったわい。すまんな。」
この老人は、彼らが入団希望者ではなく客人だと分かるや否やすぐに威厳を取り戻そうとした。
しかし浅見に殴られて鼻血を垂らしている姿では、もはや組長の威厳を示すのは難しいと言うべきだろう。
「歓迎だ。わしは山岡組の八代目組長、山岡ニゲロと申す。」
組長が自ら名乗った。聞くところによると、山岡組では代々組長になると「山岡」の姓を継ぎ、名前はそのまま用いるらしいのだが……
「ところで、人の名前が『ニゲロ』とはどういうことですか?」
人の名前が「逃げろ」だというのだ。
「ハッハッハ! それは両親がつけてくれた名前でな。世の荒波に立ち向かわず、逃げ回って生きろという意味を込めてくださったのだ。格好いいだろう?! ハッハッハ!」
「格好いいかどうか……息子にそんな奇妙な名前をつけるなんて、まともな親じゃありませんね。」
「何を言う! わしは名前の通り、危険が迫れば常に逃げてきた。そのおかげで宿敵たちは先に死に、わしだけがこうして生き残り、出世までできたのだ!」
自慢にもならないことを誇らしげに語るニゲロを見ながら、「それも一種の才能だな」と考えた。
「とにかく歓迎するぞ。来る者は拒まず、去る者は追わず――それがこのニゲロだ。好きなだけ滞在するといい。」
「ありがとうございます。情報屋のお婆さんから情報を得るまで、ここで滞在させてください。」
「ハッハッハ! そうするといい!」
都賢秀はニゲロとの挨拶を終えると、急ぎ外出した。
夏美が無事かどうかを確認するため、休む間もなく情報屋を訪ねたのだ。
「ん? 朝に来た子供たちじゃないか。」
ソープランドの前で宣伝用のプラカードを持っていた老婆は、近づいてきた都賢秀と子龍を見て眉を吊り上げた。
この老婆こそ、裏社会から一般人、政界、財界に至るまで江戸市のすべての情報を握っているという伝説の情報屋――マリリンであった。
百歳を越えてなお矍鑠としているマリリンは、本名も出自も過去も誰も知らない怪しい老婆だったが、彼女が持ち込む情報は何より正確だと有名だった。
「今度は娘たちでも買いに来たのかい? それとも別の情報が欲しくて?」
「情報が欲しくて来ました。」
「そうかい?どんな情報だい?阪神国の大統領が隠した裏金の場所かい?それとも性的嗜好でも知りたいのかい?」
「そんなもの、俺が知ってどうするんだ!!」
大統領の性的嗜好などという汚らしい情報など必要ない。だが、そういう情報すら握っているという事実が、マリリンの実力の確かさを物語っていた。
「それより……行方不明になった子供たちが正確にどこへ行ったのか、それを知りたいんです。」
行方不明の子供たち――その言葉を聞いた瞬間、マリリンの顔がはっきりと固まった。
「……最近は警察からエージェントまでその件で騒がしくてね。うちも人を送ったんだが、帰ってこなかった子がいるんだよ。それで慎重になってる。だからその情報は諦めな。」
「……無理なら結構です。他の情報屋を当たります。」
マリリンが依頼を断ると、都賢秀は未練なく背を向け、別の情報屋を探そうとした。
「だが……一体その子供たちが何だというんだ? なぜそこまで?」
「……理由が必要ですか?」
「当たり前じゃないか。あんた自身、命が危険に晒されるかもしれないのに、どうしてそこまで?」
背を向けていた都賢秀は、再びマリリンを振り返り、はっきりとした口調で答えた。
「『子供たちが危険だ』――それ以上の理由が要りますか?」
子供たちを救いたいから命を賭ける――都賢秀の瞳に偽りはまったくなかった。
心の底からの言葉であった。
マリリンはその瞳を見て、おかしそうに笑い出した。
「ケッケッケ! 久しぶりに面白い若造に会ったもんだね。いいだろう、この婆さんも黙ってはいられない。」
「え? じゃあ情報を探してくださるんですか?」
「ああ。ただし値段は高いよ。」
「やっぱりですね、魔女婆さん。」
金の話をされても「魔女婆さん」と言い放つ都賢秀を見て、マリリンはむしろ面白がるように笑っていた。
「おいで、娘たち! 仕事の時間だよ!」
マリリンが声をかけると、ソープランドの娼婦たちがあくびをしながら降りてきた。
「ふああ~……何ですか、ママ……昨日の明け方まで客を取ってて疲れてるのに……」
「私は三回も相手したんですよ……」
都賢秀と子龍は、情報員の正体がソープランドの娼婦たちだとは思いもよらず、唖然とした。
「うわ~……映画に出てくるスパイみたいな人たちが情報を集めてるのかと思ってたのに……意外だな。」
「ケッケッケ。女が動くと意外に警戒心が薄れるもんだ。それに職業柄、露出の多い服を着てるから男どもはぺらぺら喋るし、裏路地でゴミ箱を漁ってても娼婦だからと誰も気にしない。」
それなりの理屈があることに都賢秀は感心し、彼女たちを見つめた。
彼女たちはあくびをし、愚痴をこぼしながらも、いざ仕事となると探すべき場所を検討し、すぐにプロの顔つきに変わった。
「ちょっと時間がかかるかもしれないね。情報を掴んだら、どこに知らせればいい?」
「では、山岡組の事務所に来てください。」
「山岡? あんな情けない大口叩きに身を寄せるとは、あんたも大したことない人生だね。」
山岡組長をよく知っているらしく、彼を頼っている都賢秀を馬鹿にしながらも、マリリンは情報収集に出かけた。
都賢秀と子龍は、どれほど時間がかかるか分からない以上、ひとまず山岡組へ戻ることにした。
*****
山岡事務所に戻り、情報屋たちが来るのを待ったが……一週間経っても何の音沙汰もなかった。
都賢秀と子龍も心配で次第に口数が減っていったが……最も焦りを見せていたのは浅見だった。
苛立ち、足で床をトントンと叩きながら、じっとしていられない様子だった。
都賢秀がそんな浅見をじっと観察していると――
「お前も浅見を狙っているのか?」
ニゲロが近づいてきて、馬鹿げたことを言ってきた。
「殺すぞ。」
「ハッハッハ! 浅見にせよお前にせよ、年長者への態度ってものがなっとらんな。」
とぼけた老人ニゲロは、都賢秀の脅しにも全く動じず、近くに腰を下ろした。
「だが随分と切なそうな目で見ていたが、浅見のことで何か気になるのか?」
「ただ……あいつが何者なのかと思ってな。性格は最悪で警察を嫌い、ヤクザのような低俗な連中を助け、彼らを非難すると怒り出す……やってることだけ見れば、まるで犯罪者相手の闇医者みたいだが……」
「……ヤクザの事務所で飯食って寝泊まりしてるくせに、よく言うもんだ。」
ヤクザの前でヤクザを罵るニゲロに対し、都賢秀は相変わらず淡々と自分の言いたいことだけを続けた。
「だが殴って治すとはいえ、怪我人を放っておけない医者としての使命感もある。子供たちを救うため、あそこまで本気になってる……一体何者なんだ?」
都賢秀の問いに、ニゲロはにやりと笑って口を開いた。
「奴のことだがな……今はあんな容姿だが、幼い頃は普通のやんちゃ坊主だったらしい。」
突然妙なことを言うニゲロに、都賢秀はきょとんとした顔をした。
「ところが成長するにつれて、だんだん女の子のように変わっていき、今の容姿になったというんだ。」
男の子が成長する過程で女の子のように姿が変わる――まるで小説のような話に、都賢秀は大きく驚いた。
「そんなことがあるのか?」
「それはわしも知らん……ともかく第二次性徴も現れず、体格も小さく、顔立ちも可愛いものだから、中学に入る頃には子供たちにからかわれ、性的な被害まで受けたらしい。その傷を癒すために空手も習ったとか。」
容姿のせいで男子に性的な被害を受けた学園時代――聞いているだけで胸が痛む話だった。
浅見が「女みたいだ」と言われると怒る理由が、ようやく分かった気がした。
それにしても、そんな過去を持つ相手に愛人になれなどと平気で口にするこの老人も、相当な下衆だと思った。
都賢秀の胸中を知らぬニゲロは、話を続けた。
「だから誰も信じられず、自分を孤立させて生きてきたそうだ。だが彼にも唯一の安らぎがあった。同じ町で育った初恋の少女さ。」
「ちゃんと恋愛もしたんですね。」
「当たり前だ。奴は見た目こそああだが、れっきとした男だから女と……!」
「全年齢対象から外れるセリフは禁止! とにかく恋をしたってことですね。」
「そうだ……だが不幸は続かなかった。その少女は少し……いや、かなり病弱だったんだ。」
浅見の恋人は、生まれつき左心室の機能が弱く、外見は普通でも少し遊ぶとすぐ息切れしてしまい、活動がほとんどできない子だったという。
成長とともに心臓の状態は悪化し、次第に外出も困難になり、家で過ごす日が増えていった。
左心室機能不全は手術で改善する病だったが、問題は浅見と恋人が住んでいた場所が極貧街だったことだ。
「浅見は、家が貧しくて手術を受けられない彼女のために、自分で医学を学ぼうと決心した。勉強は得意だったらしく、名門・江戸大学医学部に進学し、医師の道を歩んだんだ。」
浅見にそんな過去があったとは――気性が荒く、喧嘩も強いのに医者である理由が、ようやく分かった。
「だが、どんな世界でも医者は高収入で尊敬される職業だ。それなのに、なぜ裏通りの医者になったんだ?」
「……政府のせいだ。」
「政府?」
「そうだ。当時の大統領が建設会社と手を組み、大規模な商業地を建てる新しい土地を選ぶ代わりに裏金を受け取っていたらしい……だが江戸で余っていた土地といえば……」
「浅見と彼女が住んでいた貧民街しかなかったんですね。」
「よくある話だ。」
その後の展開は、聞かずとも察しがついた。
政府の決定だとわずかな金を握らされ、強制的に立ち退きを迫られる。しかし補償金では移転先もなく、拒否すれば暴力で追い出される――どこにでも転がっているような物語だった。
「政府は警察を動員し、住民を追い出そうとした。反発した住民は籠城したが、政府はバリケードを築いて住民の移動を封じ、干からびさせようとした。そのせいで少女は通院できず、病状が悪化したらしい。」
聞いているだけで浅見の絶望が伝わってくるようだった。
国民を守るべき政府が、貧民に対して武力を行使し、強制的に追い出そうとする――最悪の状況の中で、大切な恋人を守れない無力感……都賢秀も共感できた。
「皆が絶望し、故郷を離れるか悩んでいた時、立ち上がってくれた者たちがいた。」
「誰が?」
「ヤクザさ。」
「ヤクザ?」
「そうだ。ヤクザたちが武器を取り、警察と対峙して戦争になった。事件が大きくなり、マスコミも注目し、大統領が裏金を受け取っていたことが暴かれて失脚。建設会社の社長も起訴され、倒産。結果、貧民街再開発計画は中止となった。」
「ヤクザが、どうして……」
貧民を憐れんでの行動かと思った都賢秀だったが、ニゲロはすぐに彼の考えを見抜き、声を上げて笑った。
「ハッハ! 何を考えているか分かるぞ。だが違う。ただ自分たちの縄張りに警察がうろついて鬱陶しかっただけさ……だが浅見の目には、漫画に出てくるスーパーヒーローに見えただろうな。」
守る存在なく絶望に沈んでいた時、助けてくれたなら、その正体が何であろうと感動し、憧れるのは当然だった。
「だから止められても、あいつはヤクザや裏路地の浮浪者を助けて生きている。名門大を出た男が、だ。」
浅見が権力と警察を嫌う理由も、犯罪者であるヤクザを助ける理由も、子供たちを救うために必死になる理由も――すべて理解できた。
だが一つ気になることがあった。
「それにしても……驚くほどあいつの過去を詳しく知ってますね。まさか……」
「察しがいいな。当時、警察と対峙したヤクザが我々だ。わしはその時、行動隊長として乗り込んでいた。」
これでニゲロと浅見の関係がはっきりした。
二人の間に妙な相性を感じていたが、そんな過去があったのだ。
「ところで、浅見の恋人は……」
都賢秀がさらに質問しようとしたその時、誰かが山岡事務所に入ってきた。
現れたのは――情報屋マリリンだった。
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