第56話 捕まる都賢秀と子龍
レトムが神殿の構造を偵察しに出てから、すでに十日が経っていた。
その間、 都賢秀と子龍はマーシャ夫人が一人ではできなかった作業を手伝っていた。
屋根の修理、壊れた柵の修繕、畑の奥に埋まっていた巨大な石の撤去まで、体力を使う仕事ばかりだった。
「おい!そのデカい図体は飾りかよ!もっと力出せって!」
「大哥、もう少し頑張ってくださいよ!こんな調子じゃ日が暮れちまいます!」
レトムがいないせいで、都賢秀と子龍は言葉が通じなかったが、手振りやジェスチャーでどうにか意思疎通を取りながら作業を続けていた。
「Ребята, хватит уже работать! Идите обедать, еда готова!」
空中にお玉を振りながら、マーシャ夫人がロシア語で声をかけてくる。だが「еда(イェーダ)」が「食事」の意味だと覚えた二人は、スコップとツルハシを放り投げて一目散に走っていった。
「スパシーバ!」
都賢秀がかろうじて覚えたロシア語で「ありがとう」と伝えると、マーシャ夫人は優しい笑みで答えた。
「Кушай побольше, милый!(たくさん食べてね、坊や)」
たっぷりよそわれたカーシャ(雑穀のおかゆ)を見て、都賢秀の顔が自然とほころぶ。
生活が苦しいため、毎日カーシャばかりの食事だったが、マーシャ夫人の料理の腕が素晴らしく、二人は毎食が楽しみだった。
「キャハハハ!」
食事中の子どもたちの笑い声が聞こえる。
都賢秀が来る前は一日一食が精一杯だったらしいが、今回仕入れた食料のおかげで三食食べられるようになり、みんな表情が明るく健康的になってきた。
「お二人のおかげで、子どもたちも元気になってきましたね。」
「いえいえ、それは夫人が子どもたちを…えっ?」
何気ない会話をしていた都賢秀と子龍、そしてマーシャ夫人だったが、突然驚いて互いの顔を見合わせた。
――言葉が、通じている?
「なんだ?なんで普通に会話できてるんだ?」
「レトム公が戻ってきたんじゃないですか?」
子龍の言葉に周囲を見渡すと――
「来てますよ。」
マーシャ夫人の指差す空の向こうから、レトムが帰還してくるのが見えた。
「戻ったか、くそお餅?」
<少し苦労しましたが、聖物の位置と潜入に適したルートをスキャンしてきました。>
「よくやった。さっそく作戦会議を始めよう。」
レトムの帰還により、三人はすぐに作戦会議を始め、キューブがある部屋への潜入マスタープランを練ることにした。
「ついにあの憎たらしい聖女とキューブを破壊する作戦が始まるのですね。これでも飲んで、頑張ってください。」
マーシャ夫人は三人を応援してお茶を持ってきた後、そっと席を外した。
「つまり、キューブは聖女が寝室に保管して、自分で持っているのか?」
<はい。とても大事な物のようで、寝ている間も手放そうとしませんでした。>
「それは厄介だな…」
宝物庫のような場所に保管されていると予想していたキューブが、まさか聖女が抱きしめて寝ているとは…。作戦の難易度が一気に上がった。
<そこで私が提案する唯一の方法は、聖女が眠っている隙にキューブを破壊するということです。>
女性の寝室に侵入することには抵抗があったが、他に手段はない。
「でも、俺たちが部屋に侵入したら、驚いた聖女が叫んで聖騎士たちが駆けつけるんじゃないか?」
<だから、眠っている隙に素早く破壊して、即座に撤退するのです。そうすれば聖女にも騎士たちにも気づかれずに済む可能性があります。>
「なるほどな…でも、その聖女の部屋まで、誰にも気づかれずに侵入するのも簡単じゃないだろ?」
<その心配もありません。私はすでに安全な潜入ルートを調査済みです。そのルートを使えば、聖騎士たちに見つからずに聖女の部屋まで到達できるでしょう。>
レトムの説明に、都賢秀と子龍は拍手をして感嘆した。
「帰ってこないから遊んでるのかと思ったら、ちゃんと調べてたんだな。」
<…その言い方、ちょっと傷つきます。>
すべての計画が整った今、夜を待って潜入することに決めた。
*****
夜になり、黒い服に着替えた都賢秀と子龍は出発の準備を整えていた。
「気をつけて行ってくださいね。」
聖女と教団を嫌っているマーシャ夫人は、何としてもキューブを破壊してくれと、食べ物まで用意して送り出してくれた。
「ご心配なく、無事に戻ってきます。」
買い物に出かけて教団のエージェントに見つかって以来、十日ぶりの外出だった。
未明にもかかわらず、巡回するエージェントがちらほら見えたが、数は多くなく、慎重に進めば問題なさそうだった。
「じゃあ、神殿に向かうぞ。どっちだ?」
<こちらです。>
レトムの案内で神殿へ向かうと、その規模の壮麗さに目を見張った。
「宗教指導者のくせに、こんな宮殿みたいなところに住んでるのかよ…信者からどれだけ搾取したか、見なくても分かるな。」
<キューブを破壊して教団の中心が消えれば、搾取されていた信者たちも少しは救われるかもしれません。急ぎましょう。>
そして、レトムが案内した潜入ルートは――
「こんなとこしかなかったのか?」
天井裏の狭い通路だった。
187cmの都賢秀と202cmの子龍にはあまりにも狭すぎて、身体をねじりながら必死に這い進むことに。
「まともな道、探せなかったのか?これはないだろ…」
「しんどすぎます、レトム公…」
苦労して見つけたルートなのに文句を言われ、レトムはちょっと拗ねたように返した。
<お二人の安全のために、どれだけ苦労して調査したか…分かっていただきたいものです…。>
道は狭くて不満はあったが、安全なのは確かなので、ぶつぶつ言いながらも進み続けた。
こうして一時間も這い続け、ようやく聖女の部屋へと到着した。
「はぁ…やっと着いたな…」
息を整えながら部屋を見張ると――
なぜか、聖女は眠っていなかった。
荘厳な祭壇の上に置かれた聖冠。そしてその聖冠に取り付けられたキューブに、ただひたすら祈りを捧げていた。
「寝る前に祈ってるのか?偽者のくせに信仰心は本物かよ…」
今、部屋に侵入すれば大騒ぎになり、聖騎士が押し寄せてくる可能性がある。三人は聖女が祈りを終えて寝るのを待つことにした。
「近くで見るのは初めてだけど……あんまり美人じゃないな。」
赤い髪、塵一つない白い肌、素朴な顔立ちが印象的ではあるが、聖女の容姿は良く言っても“普通”の範囲を出ていなかった。
<聖女の名はリリカリアン・レイチェント・レイウッド。14歳の時に聖力に目覚め、教団を創立し、6年間聖女として君臨しているそうです。>
「リリカリアン? じゃあ“リリカ村”ってのも……」
<はい。彼女の名にちなんで名づけられた村です。>
「リリカ聖女、ね……」
聖女はまったく動かず、ひたすらキューブに向かって祈りを捧げ続けていた。
見張るだけなら難しいことではなかったが、問題は別にあった。
「男が女性の寝室をのぞくなんて……罪悪感がすごいな……」
<大義のためだと思ってください。>
妹を持つ兄として、若い女性の部屋を覗くのはかなり気が引けたが、信者たちを搾取して利益を得ていた聖女を罰するという目的がある以上、覚悟を決めるしかなかった。
そうして祈りが終わり、眠るのをじっと待っていたが――
「しかし……いつになったら寝るんだ……?」
時刻はもう午前2時を回っていた。それでも聖女はまったく寝ようとせず、祈りを続けている。逆に都賢秀と子龍の方が先に疲れてきていた。
「聖女って、睡眠とかいらないんですか……?」
「なあ……これじゃこっちが先に寝ちまうぞ……」
<寝てしまっては大変なことになりますよ。絶対に目を離さないでください。>
レトムは必死に忠告するが、睡魔というのは意志の力だけでどうにかなるものではない。
「ただ座って祈ってる女をずっと見てるだけなのに、こんなの我慢できるわけないだろ……」
「ですね……マジで限界です……」
睡魔と戦う二人に、レトムがふと呟いた。
<それにしても……興味深いですね。>
「なにが?」
<聖女のことです。彼女が教団を創立した理由が……>
*****
結局、聖女は朝になっても一睡もせず、祈り終えるとそのまま活動を始めた。
「……着替えるみたいだな。そこまで覗くのは男として最低だし、今日は撤退しよう。」
「……そうしましょう、大哥。」
夜通し寝ずに聖女を見張っていた都賢秀と子龍は、すっかり疲れ果てていた。
成果もなく帰還した二人の顔を見て、マーシャ夫人は驚いて駆け寄った。
「まあ……そんなに疲れた顔して、何があったの?」
「たいしたことじゃないです……ただ、寝てないだけです。」
「寝てないってことは、今日は失敗だったのね。早く休みなさい。子どもたちは畑に行ってるから、今なら静かに眠れるわよ。」
マーシャ夫人が寝床を整えてくれたが、都賢秀と子龍は簡単には眠れなかった。
成功目前だったのに、まさかの「寝ない聖女」のせいで作戦が失敗に終わり、気持ちが沈んでいたのだ。
「想定外の伏兵にやられたな……これからどうすればいいんだ?」
<人間である以上、ずっと寝ないなんてことはありません。監視を続けていれば、いずれチャンスが来るはずです。>
「でもな……もし本当にずっと寝なかったら?正直、こっちが先に限界を迎えるぞ。」
確かに、いくら聖女でも人間である以上は眠るはずだ。だが、毎晩のように何の成果も得られず、睡眠すら取れないまま監視を続けるのは現実的ではなかった。
そのとき、子龍が口を開いた。
「ところで、大哥……本当に聖女が寝るのを待つ必要、ありますか?」
「ん? どういう意味だ?」
「僕たちの目的は、キューブを盗んで戻ってくることじゃありませんよね?」
「……確かに。」
「ならば、少し強引かもしれませんが、聖女を制圧してキューブを破壊し、そのまま次元の扉を開いて他の場所に転移するというのはどうでしょう?」
その提案に、都賢秀もレトムも、目を見開いて感心した。
「……なるほどな。なんでキューブを盗ってまた戻ることばかり考えてたんだ?」
<盲点でしたね。子龍の案が最も現実的かもしれません。>
方針が定まった今、もう迷う必要はなかった。次の夜に備えて、今はとにかく休息を取ることにした。
そして、都賢秀と子龍が泥のように眠りについた頃――
全てを陰から見聞きしていた「影」が、静かにその場を離れていった。
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