第48話 なぜ一生懸命に取り組むのか
今日もまるで成果も得られず、カフェに戻ってきた都賢秀は、足取りも重かった。
「あれ?!お二人、戻っていたのか!十日も音沙汰なかったから心配していたんだよ」
カウンターに座っていた“46番”は、心配そうな顔で都賢秀と子龍の帰還を見て、にわかに表情を明るくした。
思い返せば、あの石像に記憶を奪われ、街を彷徨っていた末の帰還だから、心配されるのは当然だった。
「とにかく無事に戻ってきてくれて…でも、どうしてその格好なの?」
都賢秀はほとんど浮浪者のような身なりで、子龍に至ってはピンク色の全身レギンス姿。46番は一体どんな出来事があったのかと、目で問いかけた。
「聞かないでくれ…」
「は、あはは…何があったのか知らないけど、何事もなかったならそれで良かった。まずは洗って出てきてくれ。紹介したい方がいるんだ」
「紹介したい方…?」
46番のその言葉に、カフェ内を見渡すと、老紳士と中年の女性数名が座っていた。
都賢秀は誰なのか気になったが、このような身なりで会うのは失礼だと考え、店内に入り、洗って服を着替えてから戻ってきた。
その間に、子龍も自分の服に着替えていた。
「さあ、中へ入って挨拶を。君たちが戻らなかったから、この方々のご協力で捜しに行こうと思っていたんだ」
「心配をかけてしまって…ごめんなさい」
「私よりも、快く助けに来てくださった先生に感謝しないと」
「先生…?」
“先生”と紹介された老紳士が席を立って都賢秀に近づいた。
「お会いできて光栄だよ、都賢秀君。私はジャン・アルフォンスという者だ」
「はじめまして。46番さんの話では“先生”とおっしゃっていましたが、どこかの宗派に所属されているのですか?」
教授かどうかを尋ねた都賢秀の問いに、アルフォンスはにこやかに笑いながら答えた。
「ははは!違うのだよ。私は医師じゃ」
医師だと自己紹介するアルフォンスの隣に、46番が近寄り、補足説明をした。
「この方はNES専門病院の院長さんです。過去数十年間、NESで苦しんでいる人々を助けてこられました」
「NESって、この地球で蔓延しているあの疫病のことですか?」
「その通り。この方は46番地球で唯一のNES専門医なんです」
ただ人探しを手伝いに来た優しい老人かと思っていたが、その正体はなんと偉大な方だった。
「すごい方だったんですね。お会いできて光栄です」
「私はそんなに偉い者ではないよ…ただ、苦しむ人々を前にして鎮痛剤を注し、抱きしめるだけだ…医師とはそれほど無力な存在だよ…」
生まれてから100年も経つ病だというのに、未だ感染経路も予防薬も治療法も確立されていない。医師ができることは、苦しむ患者を看護することだけだった。
アルフォンスは、そうした無力感から涙ぐんだ。
「でも、先生は諦めなかったじゃないですか」
突然の都賢秀の言葉に、アルフォンスはもちろん、他の人たちもその顔を見つめた。
「戦場や災害現場では数多の患者が出るものの、劣悪な環境ゆえに十分な治療も受けられずに死にゆく。そんな状況に絶望し、見切りをつけて現場を去る医師も多い。しかし…先生は患者を諦めなかった」
まるで過去の記憶に触れたかのように、毅然とした声で「先生は素晴らしい人だ」と伝える 都賢秀を見て、アルフォンスはついに顔を覆って泣き崩れた。
「ありがとう…ありがとうよ、賢秀君…」
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しばらく泣き続けたアルフォンスが落ち着くと、診療所に戻ろうと動き出し、46番も一緒に外出する予定だと言った。
「君も行くのかい?」
「うん。今日は診療所で患者さんを洗ってあげるお手伝いの日なんだ」
46番は出来る限り時間を見つけて、アルフォンスの診療所でボランティアをしているのだという。
「ご飯を食べていくのも厳しい世の中で…すごいことだね」
「大したことじゃない。ただ、いつ自分が患者になるかわからないから、お互い助け合って生きていこうってだけさ」
いつ病に感染するかわからないという、あまりにも現実的な不安に、都賢秀と子龍は思わず厳かな気持ちになった。
「兄さん、僕らも一緒に行ってみませんか?」
「そうだね?」
いつものように一日がリセットされるわけでもなく、謎の問題を復習する必要もなくなった今日は、午後に特別な予定はなかった。
そこで子龍の提案に従い、46番と一緒にアルフォンスの診療所へボランティアに行くことにした。
だが診療所に行ってみると…なんと100名ほどの患者たちが呻き声を上げ、苦痛に呻いている地獄のような光景が広がっていた。
「こ、これは何だ?まるで痴呆のように自我を失う病だと聞いていたのに?なんでみんなこんなに苦しんでいるんだ?」
患者の姿に顔色が青ざめるほど動揺した都賢秀に、アルフォンスが近づいて説明した。
「46番から聞いて知っているだろうが、NESの進行は初期→中期→末期へと移っていく。初期では脳機能が徐々に衰えて記憶力が低下し、中期になると認知力や思考力が失われる…そして末期では神経感覚や筋肉機能が麻痺し、その過程で呼吸系まで麻痺して死に至るんだ」
説明を受けながら、都賢秀と子龍は知らず知らずのうちに喉がカラカラになっていた。
「でもどうしてこんなに皆苦しんでいるんでしょう?」
「中期から末期へ移行する過程で神経が麻痺するが…その過程で途方もない激痛が生じるんだ」
アルフォンスの説明を聞いても、都賢秀の疑問は消えなかった。
「激痛って言っても、程度の差があるでしょう?撃たれた人も見たけど、あんなに痛がってはいなかったよ」
「末梢神経が損傷することで感じる痛みだから、おそらく指先や足先が焼けるような痛みと、全身が延々と刃で刺され続けるような痛みを感じるだろう…」
671番地球の長安国で北方オランケ族の侵入を防ぎながら生きてきた子龍は、戦闘で刃物に刺された経験も多かった。
一度刺されるだけでも耐え難い痛さなのに、それが延々と続くと想像しただけで心臓が止まりそうだった。
「それなら鎮痛剤でも与えるべきじゃないですか?」
「そうすべきだが…末梢神経の異常から生じる痛みは、一般的な鎮痛剤では抑えられないんだ」
「じゃあモルヒネを使うしかないんですか?」
「まだ症状が軽い患者にはモルヒネで十分だが、症状が重い人には神経性鎮痛剤を投与しなければならん…問題は、その神経性鎮痛剤が非常に高価だということだ」
「どれくらい高いんですか…?」
「ASU(46番地球式国民健康保険)のおかげで20%負担で済むが、それでも1箱…400ソルはするだろう」
「ソル」という不慣れな単位のためいまいちピンとこないヒョンスの代わりに、レトムが補足してくれた。
〈400ソルは韓国の通貨に換算すると、大体…76000円くらいですね〉「な、なんだって?!鎮痛剤1箱が?そんなにするのか…」
〈6本入りらしいよ〉
「だったら1本が12000円…確かに高すぎる…」
保険で80%割引になっても薬代がそれだけ高いとなると、簡単には手が出せなかった。
だから医療陣ができることは、痛む人の手を握り、汗を拭いてあげること以外にはないように見えた。
都賢秀は、南スーダンの劣悪だった病院を思い出し、胸が痛んだ。
「おい、くそお餅」
〈どうしました?〉
「君、たしかどこでも使える汎用通貨を持ってきてるって言ってたよな?」
〈そうですけど…ま、まさか…〉
レトムは不安そうに、いやな予感を抱きながら答えたが…
「薬を買うために、ちょっと出そう」
やはりだった。妙なところで人が良くなる都賢秀は、苦しむ人々を見過ごせず、鎮痛剤を買うための資金を出そうとしていた。
〈はぁ〜以前は155番地球では非常食を全部渡してきたかと思えば、今度は旅費まで出そうって…人間どんだけ騙されやすいんですか?〉
「こら!こいつを“ホグ”だなんて言うか?!人情がないな、人情が!」
〈私はAIだから当然情けないですよ!〉
「 龍煒さんにも預かった銀貨があるし、まだ余裕あるだろ。黙って早く出しなさい!」
都賢秀得意の“アダックして出しなさい”(強引お願い)スキルに、レトムはため息混じりに金を取り出さざるを得なかった。
〈はぁ〜これ1枚だけ出しますよ。他は出せません〉
レトムが差し出したのは、硬貨1枚だけだった。
「これで冗談抜きか!これで何ができるんだ…」
〈無知なこと言わないで、46番かアルフォンスに見せなさい。そしたら、この方々は何か分かるはずです〉
都賢秀は、この硬貨1枚がどれほどの価値があるのか疑念を抱きながらも、言われる通りに46番とアルフォンスのもとにその硬貨を持っていったところ…
「え、本当にくれるのか?こんな大金をっていうのか?」
“大金”という言葉に、今度は都賢秀の方が戸惑ってしまった。
「それ、何なの?なんでそんなに驚いてるんだ?」
〈これは第1地球の連盟造幣局で発行された“NEOREX”という仮想通貨です。都賢秀様の故郷である798番地球と比較すれば…ビットコインのようなものです〉
「ビ、ビットコイン!!仮想通貨って?!」
〈そうです。あの硬貨1枚で、韓国の通貨に換算すると大体…920万円くらいの価値があります〉
「9、920万円?!〉
都賢秀は、自分が知っているビットコインより少し高いネオレックスの価値を聞いて、口が開いたまま固まっていた。
「君、それいくつ持ってたんだ?」
〈100枚です。今1枚使ったから、99枚残ってますね〉
「100枚って…9億2千万円?!俺、そんなに金持ちだったのか?!」
〈都賢秀様の個人の金ではなく、私たち皆の予算です!!浪費しようなんて考えないでください!〉
「ひどく言うなよ…それにしても、薬が買えなかったって言ってたけど、どうしてそんなに金があるんだ?」
〈この旅が何年続くかわからないから、できるだけ多くの資金を確保してあるんです〉
「そりゃそうだな…」
この旅が10年かもしれないし、20年か、あるいは一生をかけるかもしれない。そう考えると、9億2千万円は多く感じながらも決して多すぎる金額ではなかった。
「ありがとうよ、都賢秀君。君のおかげで多くの患者を助けられるようになった」
レトムと話していると、アルフォンスが近づいてきて、都賢秀の肩を軽く叩きながら感謝を伝えていた。
「いいえ、むしろ大金をお渡しできなくて申し訳ありません」
「そんなことを言うな。エンプル(鎮痛剤)600本分なら、数ヶ月は支えられる分量だ。そして君は、金を寄付するよりもっと重要な役目を担っているんじゃないか」
「もっと重要な役割…?」
「そうだよ、キューブを壊して次元を開くことさ」
“キューブ”という言葉を聞いて、都賢秀の顔は真剣になった。
「…確かにそうですね」
「次元が開いて、治療薬となる植物をまた取り戻せれば、今君が買ってくれたエンプル以上に役に立つはずだ」
自分が46番地球の希望だというアルフォンスの言葉を胸に、都賢秀は、必ずあの石像からキューブを奪い取り、真実を取り戻す決意を新たにした。
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