第32話 子龍の葛藤
子龍は闇に沈む城壁にもたれかかり、夜風に髪を撫でられながら過去を思い出していた。
6年前、部下の戦功を横取りした上司の横暴を朝廷に訴えたが、逆に濡れ衣を着せられ追放された子龍。
すべてが虚しく感じられ、目的もなく彷徨った。飢えに苦しみながら数ヶ月…ついには力尽きて倒れ、これが天の呼びかけかと意識を失った。
しかし――
「うっ!」
目覚めた子龍はまだ息があった。見知らぬ部屋、見慣れていない景色に警戒しつつ周囲を見渡すと、愛剣は傍らにない。
「それを探しておるのか?」と、見知らぬ男が部屋の隅に座って剣を握っていた。
「…我が剣を返せ。」
「果たしてそなたの剣であったか。この“天雷”と呼ばれ、朝廷でも戦功者にしか下賜されぬ代物ぞ?」
「その通りじゃ。」
揺るぎない答えに男は鼻で笑った。
「はは!長安国随一の武士子龍が、なぜここで乞食同様に過ごしておるのか?」
「貴様には関わる筋合いはない…早く剣を返せ。」
「ははは、急ぎすぎじゃ。それよりまず食事を…丁度来るところじゃ。」
男の言葉に子龍が視線を移すと、まるで天女のような麗しい女性が部屋に入り、粥を運んできた。
「父上、ご指示通りの粥を作ってまいりました。」
「よくやったな、梅仙。あの武士に渡せ。」
「かしこまりました。」
梅仙というその女性は子龍に近づき、熱い粥を差し出した。
「熱いので、ゆっくり召し上がってください。」
「あり…がとう…ございます…」
女性は置いてすぐに去っていったが、子龍の視線はなおもドアへと向いていた。
「冷めぬうちに、さあ…」
食欲のなかった子龍も、梅仙が作ったと知れば惜しくて、ゆっくり味わうように粥を口にした。
やがて男は落ち着いた声で問うた。
「さて、食事も済んだようじゃ。どのような事情か、本宮に語ってくれるか?」
沈黙を破り、子龍はこれまでの顛末をすべて話した。
話し終えると、男は席を立ち、こう告げた。
「明け方とともに本宮と共に出発せねばならぬ。今は休むがよい。」
「ご一緒するとは…何処へ?!」
「行き先?もちろん皇宮じゃ。」
その言葉と共に男は退出した。
子龍は一瞬狂気かと思ったが、皇宮に着くと、すべてが正常へと戻っていた。
「不当な汚名を着せられた子龍を赦免し、部下の功績を横取りした上将軍 李安豪を免職する!」
男が皇宮で弁護した結果、信じられぬ素早さで事態は好転した。
「あ、あの方は一体…?」
「本宮か?本宮は禮縣の領主、龍煒じゃ。」
「龍煒…」
それが子龍と龍煒の初対面だった。
彼の威厳と高潔な人格に魅せられ、皇宮から戻るよう促された子龍は、忠誠を誓い禮縣に仕えた。
しかし、特異な“火竜”という千変のせんすが彼に憑依していると知っていながら――
忠義を受けた龍煒を、子龍は裏切ることができなかった。
「本官は…決して殿下を裏切れぬ…それが殿に悲しまばれても」
その人の悲しげな顔を思い浮かべると胸が痛んだが、子龍は月明かりを見つめながら自らを戒めた。
その時――
「隊長!」
満月の下、信頼する数少ない部下、部長ジュハンが息を切らし駆け寄ってきた。
「どうした?」
「反軍が城を攻撃しています!」
「反軍?梅仙か…!」
「雑兵に交じった山賊出身の連中では対応しきれず、混乱が広がっています!」
報告しながらも自らの無力を悔いていたジュハンだったが、部下への忠義よりも城の防衛を優先した。
子龍は淡々と聞き取り、振り返って命じた。
「行くぞ。」
「はっ、隊長!」
自らの役目を果たすため、子龍は闇の中へ足を進めた。
*****
一帯では、おびただしい数の馬車によって反軍の村人全員が禮縣を目指していた。
西門の守衛長はその行列を目にして、呆然と立ち尽くした。
「お、お前たちは何者だ?!」
阻止も想定済みか、反軍側は兵士長が商人に扮して守衛長へ近づいた。
「お勤めご苦労様です。我々は遊商でして、今回こちらで商いに来た者どもでございます。」
あまりに卑屈なまでに頭を下げ、馬車には女性や子どもが混じっていたため、遊商団と違和感なく見えた。
守衛長は疑問を抱かず受け入れようとしたが、人の数に戸惑いを感じた。
「何の商人がこんなに多いのだ?」
「いや、我らは…」
次の兵士が今度は遊芸団だと偽り、口を挟んだ。
「こちらはエンターテイナー一行で、今宵ゆるやかに見せものをしに来た者でございます。」
さらに説明は続いた。
「我らはこの村に移住するため親戚一同で参りました。」
「こちらは労働罷業の求人を聞いて、小隣村から来た者どもです。」
説明が複雑かつ多様であったため守衛長は混乱し、目が回り始めた。
「判ったが、なぜ今日これほどの来訪者が一度に現れたのだ?」
禮縣は周辺最大の集落ゆえ、遊商団が来ることは珍しくなかった。だがここまでの大群衆は初だったので、管理を委ねられた守衛長の疑念が募った。
「領主城へ連絡を入れ、許可を確認せねば…少々待ってくれ!」
「こ、これは…心ばかりの品ですが…」
兵士長は守衛長に賄賂を差し出した。
賄賂を受け取った守衛長は、顔に笑みを浮かべながら疑念を払い去った。
「はは!これほどの誠意を示されては断れぬわな!だが騒ぎを起こすなら容赦はせぬぞ!」
「はい、そんなつもりは…!」
兵士長は安堵しながら馬車を城内へ導いた。
無事に村人たちを城内へ引き入れた兵士長は中央広場で止まり、
「あがた。到着しましたぞ。」
到着した言葉と共に、梅仙が馬車から降りた。
同行していた671番と都賢秀も、慎重に足を地につけた。
「ついに…すべてを取り戻す時が来ましたね。」
「すべてはお嬢様の尽力あってのことです。重ね重ね感謝申し上げます。」
「私など何を…すべては小姐の努力のおかげです。」
もとより反軍を率いるのは梅仙であり、なぜ671番が「長官」と呼ばれるのか理解しきれぬままだったが、感謝の言葉に来る運命を信じていた。
「互いに挨拶を交わすのはよいが、まだ終わったわけではない…これからが始まりじゃ。」
「都賢秀公の言葉通りです。計画通り、我らは如何なることがあっても子龍を抑えておきます。公には、どうか…少女の父君をお救いください。」
梅仙は腰を屈め、両手を差し出し、深い礼を以てアバターへと祈るように父君を託した。
「できなければ逃げよ」と言った者へ無理に頼む姿に重圧を感じつつも、都賢秀も少女を助けたい一心だった。何より――
「おじさん、頑張って!」
天宝と子どもたちの未来のためにも。
*****
梅仙率いる反軍の攻撃が、ついに城へ向け始まった。
「全軍!!突撃せよ!!」
梅仙の号令と共に、兵士たちは雷鳴の如き雄叫びをあげ突入した。
官軍は8000、反軍は5000と数的不利ながら、勢いは反軍にあった。
もともと官軍だった精鋭兵が反軍側に増え、現官軍は山賊や盗賊を集めた雑兵であり、戦闘力では相手にならなかった。
都賢秀はその光景を遠巻きに見守っていた。
官軍がようやく劣勢に立たされたところで、子龍が現場へ出てくるはずだった。
彼が反軍に応じて現れたところを見極め、動くのが計画であった。
「…このくらいで良かろう。」
〈私の目にも、そう見えます。〉
予想以上に官軍は脆く、防衛陣が次々と突破され、すでに城門付近まで後退していた。
この状況であれば、子龍も確実に出動しているはずだった。
あとは領主の間へ赴き、キューブを破壊するのみである。
「おい、チョルトク!地図を表示しろ。」
〈相変わらず…他人の名前をなぜいつも変に呼ぶのです?〉
レトムは梅仙から提供された城の地図を呼び出した。
以前は城の構造が分からず移動が遅れたが、今回は最短経路で領主城へ到達できる。
「ここだ。小姐が教えてくれた抜け道が…」
さらに、領主一族だけが使う脱出口の秘密通路まで示されていた。
〈では迅速に移動しましょう。〉
長年の願いであった最初のキューブ破壊の瞬間が迫り、レトムは高揚していた。
都賢秀も迅速に領主の間へ向かった。
城内に兵士はなく、梅仙の案内で最短ルートを進み、順調だった。
〈しかし…まさか子龍という武士が我々を迎え撃つため待ち伏せしているのでは?〉
長い廊下を進む中、レトムは念のため不安を漏らした。
「そんなはずはないだろ?梅仙から聞いたところじゃ、あの男は忠誠心の塊のようなやつだ。そのような者が反軍の姿を見て黙っているか?誰よりも先に駆けつけ、事態を収束させに行くだろう。」
〈確かに…でしょうね。〉
「ともかく、お前は憂い性だからな。」
都賢秀とレトムは笑いながら進んだ。しかし――
「小姐!!」
城門を攻める先頭に立つ兵士長が、指揮所の梅仙へ駆け寄った。
「何事ですか?」
「その…どうやら子龍はここにはいないようです。」
「子龍がいない…だと?!」
「拙者の目にも見えず、何よりも捕虜になった官軍の話を総合すると、子龍は現場を指揮していないように思われます。」
龍煒への忠誠と責任の塊である子龍が、なぜ現場にいないのか?
悩む梅仙にひとつの結論が浮かんだ。
「まさか…都賢秀公と?」
予測通り、子龍は現在龍煒の寝所へ潜入するため、別行動を取っていたのだった。
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