第31話 再び領主の城へ
都賢秀がレトムに問い詰めていると、白龍は衝撃を受けたように、青ざめた顔で梅仙を見つめた。
「そなたが龍煒の娘か?」
白龍が自分に気付くと、梅仙は驚いて顔を上げた。
「そ…少女をご存じなのですか?」
「本座は普段、人間界の事には関与せぬが、契約者の身体に憑依して、その瞳を通してすべてを見ていた…父君を斬ろうとするのは、容易な事ではあったろう」
「は、恥ずかしゅうございます…少女が当然為すべきことにございます…」
「本座も、そなたの父を思う孝心と民の安寧を案ずる心に感嘆したのだ。本座が助けよう。心配するでない」
助けてくれるという白龍の言葉に、梅仙は淡い期待を込めて見つめた。
白龍はその視線の意味を理解したかのように、慈愛に満ちた微笑を浮かべた。
「そなたの予想通りじゃ。火竜が領主の意識を支配したのは確かだが、すべてはキューブの力によるもの…キューブを破壊すれば、龍煒は正気に戻るであろう」
龍煒が元に戻ると聞き、人々は歓喜し、とりわけ梅仙は涙を流して感激した。
「よかったですね、小姐」
「ありがとう。すべては長の御蔭じゃ」
671番の都賢秀も梅仙の肩をさすりながら祝福し、梅仙も感謝の言葉を忘れなかった。
しかし、皆の歓喜に水を差すように、白龍が口を開いた。
「されど時間が足らぬ。急いで動かねばならぬ」
その言葉に人々は緊張し、白龍を見つめた。
皆は、どんな時間が足りないのか分からず、さらに詳しい説明を望んだ。
「時、時間が足りぬ? それはどういう意味か?」
「火竜が龍煒の意識を掌握したのは事実じゃ。しかしまだ肉体までは完全に支配しておらぬ…だが、時間の問題じゃ」
精神は支配したものの、肉体を完全に掌握しておらず、火竜が力量を十分に発揮できないという言葉に希望が見えたものの、時間が足りないという状況が問題だった。さらに…
「せんすは仙界とは異なり、人間の身体を介して発揮される術には、もとより本来の二割ほどしか力を発揮せぬ。もし完全に肉体を掌握し、本来の力を出し切れば、本座の力でも…いや!むしろ本座の力は火の術と相剋の関係ゆえ、かえって苦戦するであろう」
五行の調和により、白の金気は敵の火気と相性が悪く、白竜は火竜の相手にはならなかった。しかもせんすの人間を通して働く力がわずか二割しかないという事実は、長年研究していたタンルイシャンでも初耳であり、状況は不利そのものだった。
「ゆえに、火竜が領主の肉体を完全に掌握する前に、そのキューブを破壊せねばならぬ」
火竜が領主のすべてを呑み込む前に動かねばならぬが、それは容易なことではなかった。禮縣には領主城だけで8000の護衛兵がいるが、さらに城壁には12000もの兵が駐屯し、村を囲んで外敵から守っていた。
慎重かつ秘密裏に動かなければ、城壁も突破できず敗北する可能性が高いため、静かに兵を潜入させている最中だった。しかし、時間がないと急速に全兵力を動かせば、領主に接近さえできず、火竜にだけ有利な結果となる。白龍もそのことをよく理解しており、早く行こうとは言えずにいた。
人々は皆「うーん…」と唸りながら悩んでいたが、突然、妙案が浮かばなかった。
そのとき――
「わたしと一緒に行けばいいのです!!」
天宝が進み出て、こう言った。
「な、なんだってバオ? 君と一緒ならよいだって?」
梅仙が問うと、天宝は自信満々な表情で大声を上げた。
「おじさんたちだけでは疑われるでしょう!それなら村人たちと一緒に行けばいいです!故郷へ戻るためにまた移住してきたということで、馬車の中に老人も女性も子どももいれば、城壁の門番も疑わないはずです!」
天宝の案は、まことに明解だった。5000もの成人男性だけでは、城壁兵は疑いを持ち、調査が終わるまでは通さないだろう。しかし、行列に老人・女性・子どもが混じれば、疑いは薄れる。そして彼らは過去に禮縣に住んでいた人々であり、別の村に移ったが故郷を慕って戻ってきたと説明すれば、名分もある。
だが――
「心はありがたし、されどそれは叶わぬ」
梅仙が否定すると、天宝は落胆して顔を曇らせた。
「なぜですか?こうすればきっと…」
「そうだ、君の言う通りなら確かに城内に入れるだろう。しかし、我々が入ってから城内で戦いが起こるだろう。そうなれば君や村人たちの命を保証できぬ。ゆえに、それは為し得ぬ」
タンルイシャンや兵士たちは天宝の提案が成功確率の高い手段であることを理解していたが、梅仙の慈悲深い心が、民の命を最優先としたため、彼女はそれを拒んだ。白龍も、人々の命を案ずる高潔な心に感動し、言葉を続けられなかった。
そのとき…
「それは誤解されております、小姐!」
天宝の祖母であるアイフが現れ、梅仙を諫めた。
「そ、そんな…この人が誤解しておられるとは…どういうお話じゃ、アイフ?」
「貴公らの優しい善意には、この老いぼれも頭が下がる。しかし、今君は小さき事に囚われていよいよ大事を誤っておられるのじゃ」
「こ、小さき事だと!? 人の命が“小さき事”ですとな…!!」
「領主陛下の精神が回復せぬならば、役人の横暴は日に日に増すであろう。そうなれば人々は次々と禮縣を離れるじゃろう。そなたらの故郷も人々の住む場所も消え去るのじゃ。ゆえに“小さき事”と言っておるのじゃ」
経験ある老人の叱責に、梅仙は心に一撃を受けたように大きな衝撃を受けた。確かに、故郷がなければ人は生きられぬ。この戦いはそのすべてのために始まったのだ。
「は、はい。しかしそうなればそなたらの命も…!!」
「我々はかまいませぬ、小姐!」
今度は村のすべての女性と老人が出てきて叫んだ。
「男だけに任せません。我々も武器を取り、小姐と共に戦います!!」
自分の築いた反乱軍の村人たちが、自ら命を賭して戦おうと言ってくれる姿に、梅仙は感涙した。
「…皆の心はよく分かった。それでは皆と共にゆこう!」
梅仙の決意を見て、兵士や村人たちは歓喜の声を上げた。
今、すべてを取り戻す偉大な進撃が始まる。
この光景を見つめ、都賢秀は複雑な思いに沈んだ。
「…これでよいのか、どうか分からぬ」
〈気持ちは理解する。しかし…あれは彼ら自身が自ら志願したことじゃ。故にな、心配せずともよい〉
「分かっておる」
都賢秀は、民間人が戦うことを望んでいなかったが、レトムの言葉通り、彼ら自身で選んだ以上、それを制することは彼らの高潔な決断を軽んじることになる。ゆえに、都賢秀はそれを止めず、ただため息交じりに見守るのみだった。
「梅仙は素晴らしい人格と才能を持つ少女じゃ。彼女がいれば犠牲は少なくて済む。過度に心配するでない」
白龍もまた、都賢秀の心を理解し、慰めた。
「われらは彼女たちに任せ、そなたはそなたの役目に集中せよ」
都賢秀がすべき事…それは子龍の足を押さえることだった。
「本座は汝とあの武士の決闘を見届けた。本日まで、彼の持つ白の気で包まれた防御の術には、物理的な衝撃が通じず勝てなかったな。しかし、本座の力なら、彼の防御の術が発動されぬように打ち消すことが可能じゃ」
「そんな事が可能だと?」
「そうじゃ。しかし汝も防御術の援護を失うことになる。そうなると武士とは肉体のみの力で戦うことになるぞ」
「ワシが子龍と肉体だけで勝負するというのか…」
「汝もすでに承知しておるじゃろうが、武士は並の者ではない。ゆえに、覚悟をしっかりと固めていくがよい」
並外れた実力を持つ子龍と、支援なくして戦わねばならぬと聞いたレトムと白龍は、心配そうに都賢秀を見つめた。
だが…
「ふん!そうなればこちらに断然有利じゃな」と、都賢秀は自信に満ちた笑みを浮かべた。
〈…ついに狂ったか〉
「なんじゃ、その三下が!」
〈一度も勝てたことのない相手を、有利とは言い切るなんざただ者ではあるまい〉
「本座も同じ考えじゃ」
レトムに続き白龍までが心配な顔を向けているのを見て、都賢秀の自尊心がムズムズと疼いた。
「まあまあ、お餅もウロコ虫も何も知らぬようじゃな」
〈ワシらが何を知らぬというのじゃ?〉
「もし子龍と我らが互いの仙術を使えぬ状態となれば…我にはそなたが授けてくれた秘密兵器があるじゃろ」
〈そなたがくれた秘伝兵器? それは何…ア!!〉
レトムは都賢秀の言う意味を悟り、驚嘆し、白龍もまたその意味を理解して共に感嘆した。
*****
「先鋒隊の馬車に乗れ!!」
梅仙は領主城攻略のため、兵を馬車に分乗させ、女性や子どもも同乗させていた。
城門を守る兵の疑いを避けるため、戦士たちを複数の馬車に分けて妻と村人を同乗させていたのだ。
それを心配そうに見つめる都賢秀が、梅仙に近づいた。
「…本当に大丈夫ですか?」
「すでに話し合ったことではありませんか」
「ですが…小姐が子龍を止めるとは…」
都賢秀が案じていたのは計画の変更だった。
元々の作戦は、都賢秀が子龍を抑える間に、梅仙が龍煒の首を刎ねるというものだった。
しかし龍煒が火竜に取り憑かれていると判明した今、子龍を抑えるのは反乱軍の役割となり、都賢秀は裏道から城内へ潜入し、キューブを奪取することとなった。
「子龍がいて兵を指揮すると聞きましたが、そんな相手と戦うことができますか?」
「不安はあるが…それ以外に父を救う方法はないのです」
子龍の戦闘力は誰よりも梅仙がよく知っていた。
彼は単なる武術に長けた武士ではなく、蛮族との戦いで国境を守った優れた指揮官でもあった。
そんな子龍率いる官軍を、反乱軍がただ一晩で壊滅させられる可能性もあった。
しかし龍煒が持つキューブを破壊できるのは都賢秀だけであり、梅仙にとって父を救う手段はこれしかなかった。
都賢秀は、決然とした梅仙に舌を噛む思いで言葉を続けられなかった。
「はあ~ 分かりました。しかし…私の条件をお忘れではないですよね?」
都賢秀は了承すると同時に、急に「条件」を持ち出した。
「…心得ております。危険と判断した場合はすべてを放棄し、先に撤退すると…」
こうした重要な場面で条件を口にする都賢秀を、梅仙は厳しくも理解した。
龍煒に憑依した存在が火竜ならば、彼と対峙することは子龍と戦う以上に困難だった。
その状況で我が軍が子龍に敗北すれば、子龍は兵を率いて龍煒を救援に来る可能性が高かった。
そのようなリスクは背負いたくないというのが都賢秀の意思表明だった。
「荷が重きは承知しておりますが、最善を尽くします…しかし危険な時は、いつでもお逃れください。都賢秀公は禮縣の者に非ず。そのような危険を負う必要はないのですから」
「その言葉で安心できます。では、私たちも出発しましょう」
出発を告げる都賢秀に、梅仙は険しい表情ながら頷いた。
今こそ、火竜が待ち受ける領主の城へ向かう時だ。
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