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第二十七章 欠落

 雪花との待ち合わせを無事果たし、それからもう五分か十分程度経った頃合いか、僕たちは十三時半丁度に千夏先輩と、その斜め後ろにずんと構える力也とも合流した。

 千夏先輩は開口一番、僕に対して「おい、少し痩せたか」などと尋ねるものだから、頻繁な砂塵化による不健康な体重減を自覚していた僕は冷や汗を一筋、流さずにはいられなかった。

 そのような感想を述べた千夏先輩当人だが、彼女については間違い探しの題材でも目指しているのかと問いたくなるまでに代り映えがなかった。

 後ろで一本に結んだ長髪に、分厚いフレームとレンズで形作られた機能性重視の赤い眼鏡。背丈の低さも変わらずであったが、今更の成長など一般的には期待できないことと、数か月足らずで目に見えて骨が伸びる方が余程奇妙極まりないことから、頭の高さについては変わらぬ方が自然と言えよう。

 彼女の私服に関しては美術部の屋外活動の折以外に目にしたことがないが、数少ない機会の記憶に残っている、家庭用洗濯機では最早落ちることのないであろう油絵具の飛沫が散ったサロペットを吊っているものだから、千夏先輩もまた、僕と同じく服装には興味などないに違いない。

 ただ、その首元には蹄鉄をデザインした短いネックレスがひとつぶら下がっていることから、本日の主目的が後ろに立つ巨人との連れ歩きであることを千夏先輩が忘れているわけではなさそうであった。

 彼女の相方である力也だが、僕が彼と会うのもまた久しぶりの事であった。シュウと距離を置くことによって、必然的にバスケ部とも、その副部長である力也とも疎遠になっており、このような対面を果たすこともやはり何週間ぶりのことであった。

 力也の見た目に特筆すべきところはなかったが、彼の左手首には馬鉄の刻まれた金属製のバンドがはめられており、それが千夏先輩の鎖骨中央部にて輝くネックレスと一組であることは誰の目にも明らかである。

 堅物の力也と、皮肉屋の千夏先輩。どちらが先にそのペアルックを提案したのか――どちらから言い出したにしても、そこには意外性が含まれることから――僕は茶化したくなったものの、寸でのところで堪えた。本日、尻を妹に一度叩かれており、そのような被害を迂闊にも繰り返すつもりはなかった。

 だが、僕が物言いたげのまま口を噤んだ様子を千夏先輩は目敏く察知し、遠慮して聞かずにいた詳細をさらりとした口調で答えた。

「どうして蹄鉄がモチーフとしてよく採用されているのか、考えたことがあるか」

 僕は隣の雪花と一度顔を合わせ、互いの頭にその知識が含まれていないことを確認した後、正解を求めた。

「悪霊が聖人を見分けるための目印なんだよ。『汝、蹄鉄を戸に掲ぐ居を跨いではならぬ』……ってな」

「しかし、何故、蹄鉄なのでしょうか」

 雪花が質問を続けた。

「金目のものを頂こうと悪霊が鍛冶屋に押し入ったら、主が蹄鉄を作り始めたんだよ。その音に耐えられなくなった悪霊だが、戸口の前で作業されるもんだからにっちもさっちもいかない。ここから出してくれと悪霊が懇願すると、主が一言、『こいつが吊ってある家には金輪際ちょっかいかけるなよ』……って約束させて逃がしてやったワケだ」

「その話が、ペアルックを選ぶ判断材料にどうして成り得たんですかね」

 ついでとばかりに、僕もまた質問を続けた。

「事実、お前の中の悪霊は怖気着いただろう。『くだらない詮索はよそう』ってな」

「まぁ、否定はしません」

「なら、迷信だろうがなんだろうが、こいつにはお前のような輩の野次馬根性を抑え込むだけの効能があったってことだ……良い審美眼だったな」

 千夏先輩が隣の男の背を二、三回ぺしぺしと叩くと、力也は無言のまま少しだけ顔を赤らめた。提案の際に彼がそこまで考えていたかはともかくとしても、千夏先輩の満足気な様子を見るに、力也からの贈り物は正解を引き当てたようである。

「しかしまぁ、『蹄鉄を掲げた家にだけは近寄るな』とはまた……その主は商売上手なことで」

「世の中、今も昔もそんなもんさ。恵方巻に然り、チョコレートに然り、カーネーションに然りな。馬鹿らしいと一蹴するヤツよりも、納得するヤツの頭の方が多ければ、内容がどうであれ定着するもんだ。もっとも……私は今、少なくとも蹄鉄の件に関しては納得するヤツの側に付いたがね」

 お前たちも何か付けてみたらどうだと、千夏先輩は進言した。

 上手い返しが思いつかず、僕も雪花も下手な愛想笑いを返事とした。


 それから暫くはこの四人で陶芸祭りを回ることになった。

 何を見て回ったのか、どの順番でどの屋台を冷やかしたのか、本筋から外れてしまうため適当なところまで省かせて頂こう。

 陶芸祭りの屋台が両脇に連なる三車線にはそれなりの人数が訪れていた。大混雑をアピールする宣材写真に用いられるほどではないにしろ、放り投げた石が誰かしらの頭には当たるだろうという、それくらいの賑わいだと表現すれば伝わるだろうか。

 その人混みをふらりふらりと縫うように移動する中で、この日、僕は初めて知ったのだが、どうやら雪花は陶芸品の類には興味があったとのことらしい。

 伝統工芸に採用される色合いや、焼き上がりに強調される発色と風情……生憎、僕にはコンビニで印刷したカラー写真と、屋台に陳列されている実物を比較したところで明瞭な差は感じられそうになかったが、雪花は千夏先輩と並んであれやこれと陶器を品評し、ひとつひとつの出来栄えに感心や感嘆を向けていたのである。

 0の数をひとつ多くいたずら書きされたのではないかと真面目に疑いたくなるような大壺や、それとは逆に小学生の小遣いでも十分に手が届くまでに安価なペンダントなど、僕がはぁだの、ほぉだの、そういった興味を示したのは、作品の出来栄えではく主に金額による部分であった。

 そして、それらに財布の内訳を割くくらいならば、自販機に百五十円ばかり投入して喉を潤す方がどれだけか有意義ではなかろうかと、心血を注いだ作家勢には大変申し訳ないことだが、そのように感じられもしたのだ。

 僕の主張に力也も同感らしく、野郎二人してペットボトルを傾けながら、きゃいきゃいと元気な千夏先輩と雪花を、彼女らが飽きる時が来るまでだらだらと視界の片隅に納めていた次第である。


 そのような時間を過ごす途中、シュウと海月の二人ともすれ違った。

 距離こそあれど基本は一本道の会場である以上、このような接触を邂逅と呼ぶには些か的外れであり、起きて然るべき事象として取り上げた方が似合っているだろう。

 シュウが力也に一言声をかけると、海月はぺこりぺこりと、我が家での態度とは思えぬ行儀の良さを表にしながら、僕以外の三人へと会釈した。

 そうして海月は持ち前の後天的な積極性を発揮しつつ、力也や雪花と挨拶を交わしたわけだが、千夏先輩に対しては彼女のことを大学生だとはおろか、我が境遇と同じとする高校一年の同級生だと捉えたらしい。

 妹の勘違いを訂正しようとした僕たちだったが、千夏先輩が人差し指を立てて「面白いからこのままにしておけ」との意を示したため、シュウと海月のペアが再び分離して雑踏に紛れるまで、終ぞ海月は彼女のことを「千夏同輩」だと信じたままであった。

「そんな、きゃるっとした声が出せるんですね」

「お前の妹を騙せるくらいには迫真の演技だったろう」

「僕も騙されましたよ。肌が粟だってますし」

「あぁ、あぁ、はいはい。全く、可愛げのない後輩を持ったもんだ……」

 雪花が「私は良かったと思いますよ」との世辞を――彼女のことだから、本心だった可能性も否定しきれないが――見せると、「やはりこっちを部長に選んで正解だったな。なんだ、この可愛い生き物は」などと千夏先輩は絶賛し、雪花の頭を撫でながら露骨に贔屓の色を示した。

 次いで、「お前はどっちの方が好みだ」と千夏先輩は力也に問うた。彼は迷うことなく、普段通りが一番良いと返したが、「それじゃあ、きゃるきゃるした態度は二番目には良かったってことか」と追われると、そう悪いものでもなかったのか、力也は頭を掻いて明言を避けた。


 さて、祭事の雰囲気に時間を溶かし、時刻は十七時を迎える頃合いとなった。

 天候は少し悪化していた。

 濁った雲が薄く広がり、日を隠すことで地上は薄暗い。外灯はこの時期の普段よりも早く暗闇を検知して白く点灯している。

 風は徐々に強まっているのか、瞼を開けっ放しにはできない程の突風が時折駆け抜け、目を乾燥させた。テントを吹き飛ばしかねないほど勢いがあるわけでもないが、だからと言ってエデンの園を想起させる穏やかなものでもなく、これ以上の集客が見込めないと判断した幾つかの屋台は、陶芸祭りの終了を待たずに商品を片付け、いつでも撤収できるよう早々と身支度に取り掛かっている。

 雲行きの怪しさに合わせるように人通りも減少していた。正午すぎと比較すると客足はかなり疎らとなり、非日常に興奮した若者が騒ぎ立てる声もいつしか目立たぬようになっている。

 千夏先輩と力也とは少し前に別れ、僕と雪花は二人して残りの時間をあてもなくぶらついていた。

 見るべきものは見て、会うべき人と会った今、祭りは終わったものと同義であった。

 会場の端で折り返し、十字路の交点まで戻ってきたところで、雪花が「少し、風にあたりに行きませんか」と切り出した。

 僕としては会場にも結構な風が流れ込んでいるように思えたが、雪花が正面に続く残り半分の直線ではなく、左手に折れた別の道を指したことから、僕はその提案を改めて受け入れた。

 陶芸祭りの会場から直角に折れたその道は、入り口付近の両脇に家屋が数棟並んで以降、空地と孤立した木々の何本かが置かれているばかりで、空白の目立つ見通しの良い直線であった。

 その無味乾燥な道を進むと、ものの一分か二分程度の内に、左右の開けた場所へと差し掛かる。

 きつい勾配の土手と、麓に薄く広がる白い砂利。それらの粗い石塊で出来た横長の縁を水飛沫が時々舐めては湿らせている。下方を横切る川の流速は、吹きすさぶ風に煽られて少し速い。

 川幅二十と数メートルのその川には、ぴんと真っ直ぐに伸びた橋が架けられている。三人横並びとなればそれだけで塞き止められる程度の簡素な作りであり、当然のことながら車両の類はこの橋の通過を禁じられ、もう幾ばくか離れた地点に架けられている別の橋を利用しなければならない。

 僕と雪花はこの古めかしい橋の中央まで進み、右へと身体を向け、木製の手すりに身を預けて川の流れを目と耳に取り込んだ。

 橋の両端に設置された外灯の光が水流の表面できらきらと弾かれ、波打つ様子は、川の一筋をさながら一個の生物のようにも見せた。

 鱗を艶めかせながら、地を這う、大蛇のような……

 だが、カエルを苦手とする雪花にとって、その例えは同じく彼女の顔をしかめるものであろうことから、僕は感じ取ったそのままを口にすることなく、静かに斜め下を望むに留めた。

 遮るものは何もなく、涼しい風は正面から背後へと、一気に通り抜けて行く。

 土手にぶつかり砕けた水飛沫は霧状となり、塵埃のように舞い上げられて、橋の上でも僅かに水気が感じられる。

 天然のドライヤーとミストシャワーが交互に降りかかるものの、それが煩わしい程ではなく、祭りの賑やかさから少し距離を置いたこの場には、心地好さが満ちていた。


「小松原さんとは仲直りできそうですか」

 雪花がそう尋ねた。

 思いもよらぬ形でシュウの名に触れ、僕は一瞬硬直し、反応ができなかった。

 何故、雪花が、僕とシュウのわだかまりについて知っているのか。

 思い当たるところが見つからないことで恥ずかしいまでに僕は狼狽え、おたおたとしたその様子によって、言葉は無いままに返事とした。

「揉めていたようですので。内容までは分かりませんでしたけど」

「揉めていた……っていうのは、一体どこでそのことを」

「連結棟です。東校舎の三階に用があって、終わらせて美術室へと向かおうとしたら、海春さんと小松原さんがただならぬ雰囲気でしたので。声は……掛けられませんでした」

 諍いを起こしたあの日、東校舎にちらとのぞいた人影は、雪花だったとのことである。

 僕は何度目かも分からない自らの鈍感と浅はかさを恨んだ。

 妹に気を遣われ……千夏先輩に不調を半ば見抜かれ……遂には雪花にも心配を与えていたことになる。

 それら全ての元凶は、あの一件を未だに清算されようとも、しようともしない、僕のどうしようもない内情であった。

 僕の腐った感情は周囲の者へと知らず知らずに伝播し、熟れたリンゴから発せられるエチレンガスかの如く、その者たちに余計な加速を与えて突き動かしていたわけである。

 合わせて、雪花の「仲直り『できそうか』」という先の発言――即ち、彼女は僕とシュウが未だに良い関係にないことを見抜いている――によって、僕は自分で思っている以上に顔に出る性格だということも心底理解した。

 恥を繕うべく、僕は「善処してる」などと政治家のような口調で現状を簡潔に伝えた。

 雪花は「切り出すなら早い方が良いですよ」と助言し、「……本当に」と小声で付け足した。彼女の助言を僕は額面通りに受け取り、気遣い痛み入ると礼を述べた。

 会話はそこで途切れ、再び静かな景色が流れるばかりとなった。

 祭囃子が微かに届いているが、風の音の方が強く、ところどころが掻き消されて聞き取れなかった。

 完成したパズルから二、三枚のピースを抜き取ったかのように。


「この川にも、名前が付けられているのでしょうか」

 静寂の中からぽつりと、雪花が尋ねた。

「あるはずだよ。だけど、えぇっと……ごめん、名前が出てこないな」

「この近くで一番大きな河川は、金獅子川ですよね」

「そう。この川も金獅子川から枝分かれした一本のはず。だけど、あまり気にしたことがないからなぁ」

「私は……前にも、この川を訪れたことがあるのです」

 初耳であった。

 そのような話は今日まで露ほども話題に挙がったことがなく、僕の興味を惹いた。

「ここではありません。この川の源流にあたる金獅子川が流れる先の……また別の名が付けられていたであろう川の畔です」

「元を辿れば、確かに同じ川と言えるね」

「幼稚園児だった頃ですので随分と昔の話です。私は母と一緒に毎日のようにその川沿いを散歩していました」

「それはまた、どうして」

「喘息発作が簡単には出ないよう、空気の澄んだところで馴染ませる必要があったのです」

「あぁ、確か……」

 運動誘発性喘息は適度な運動の継続によってある程度の改善を示す。

 そのような知識について、雪花と話す日常の中で、いつだったか僕は耳にしていた。

「物事、改善はゆっくりでも、悪化は速いものです。両親は私の身体を気に掛けて、幼少期は遠縁の親戚宅があるこちらで過ごした方が良いと、そう判断したみたいです」

 気付けば、雪花は柵から手を離し、身体ごと僕の方へと向き直っていた。

 僕は寄り掛かった姿勢はそのままに顔を左へと向け、下から僅かに見上げる角度で雪花を視界の中央に収めた。

「ずっと、悔いていました。どうして、もっと上手く言えなかったのか、って……」

「えっ、と」

「もしも『覚えているのであれば』……私は、謝ることができたのに……」

「何の話だか、僕にはさっぱり……」

 同時、一陣の強い風が抜け、僕は反射的に片目を窄めた。

 雪花は頭の天辺に右手を向かわせ、白いキャペリンハットが飛ばぬよう上から押さえつけていた。彼女の後頭部に外灯の光源が重なり、太陽の日差しを背後としたような、一枚絵。

 ぱちりと、脳裏で黄色い火花が弾けた。

 今までに経験した中で最も鮮明で、眩い軌跡。

 頭の中が火花に照らされ、現実の景色は暗いにもかかわらず、視界はやたらとはっきりと冴えている。

 僕は、この時とよく似た光景を知っていた。

 知っているのに、思い出せなかった。

 そして、今も思い出せない。

「もしかして、だけど……前にも会ったことが、あ、」

 激しい頭痛が襲い、続きを遮られた。


 人間は何事にも序列を付けたがるものである。世界三大何々、なんてものはその最たる例であり、取り扱っていないものを探す方が難しいのではないかと個人的には思う次第だ。

 誰がどのような尺度を以て量ったかは知る由もないが、この世の痛みを全て味わった不幸の極致のような奇人が存在したとして、さて、彼の生涯で激痛のトップ3にあたるものが尿路結石、心筋梗塞、群発頭痛とのことである。

 中には苦痛に耐えかねて自ら死を選ぶ者が存在するまでに、群発頭痛は激烈な痛みを伴うとのことだが、この時の僕はかの痛みの王を患った先人たちに負けず劣らずの……頭痛の洗礼を……浴びることとなった。


 直前まで明るく鮮やかであった視界は、ブレーカーを叩き落としたかのようにぶつりと色を失い、瞼を今現在開けているのか閉じているのか、それすらも分からぬものとなった。

 景色が色を無くしても上下左右前後までは見失わぬことについては、これを機に読者諸君に一度席を立って頂き、両の目を固く閉じてもらえれば確認できることだろう。

 だが、この時の僕は生涯で得たことも、想像したこともない絶大なる頭痛によってもんどりうち、文字通り、上下と左右と前後の区別が付かなくなった。

 信じられるは身体を橋桁へと押し付ける重力と、神経が擦れて喚くきんきんとした耳鳴りだけであり、それ以外の全ては僕の目から失せ、耳からは除かれた。

 僕は激痛に網膜が塗り潰されたことで真黒となった空間の中から手探りで橋の柵を求め、その内の一本を力の限り握り締めることで、痛みの所在地をどうにか分散させようと必死であった。

 その時、嫌な音が確かに手のひらを経由して伝わった。

 紙を丸めた筒を握り潰す際のくしゃりとした感覚とも……プラスチックの棒を曲げて折る際のぼきりとした感覚とも……太い針金をねじる際のくたりとした感覚とも……そのどれもが混ざった、例えようのない、嫌な音であった。

 欄干を握ってその場に留まっていた腕は、反発する力が無くなったことにより、際限なく奥へ奥へと押し込まれるようになり、腕と接続している僕の身体もまた、勢いのままにぐうっと奥へと乗り出して引きずり込まれた。

 やがて、一瞬、身体を任せられる部分を完全に見失うと、そこからは重力が強く僕を引っ張り、橋桁よりも下へと誘った。

 落ちるのだと、直感した。

 老朽化によって腐りかけていた木製の柵が僕の全体重任せの寄り掛かりに耐え切れず、めりめりと根元から破断し、橋の片側には空白の一か所が作られた。

 その裂け目から落ちると、そう直感したのだが、

「――……――――!……」

 彼女が何を叫んだのか、聞き取ることも、記憶に残すこともできなかったが、その一声と共に僕の身体はぐうっと反転し、奥ではなく、隣へと突き飛ばされた。

 おかげで僕はしっかりとした橋の上に一先ず転がることができた。

 その頃には痛みのようやく一割程度に慣れたことで、機能していなかった視界が微かに色を取り戻し始めたのだが。

 ざぶん、と、何かが水に沈む音が代わりに聞こえた。

 僕はたった今、雪花に庇われたことをも忘れ、橋から身を乗り出してもうひとつ、水柱の吹き上がる音を作り出した。

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