茜のハートフル・ブレイブデー
茜とケンジのバレンタインデー。
さてさて。
ここ柳川は水郷の町である。
福岡県南西に位置し観光で賑わっている。
日本はもとより海外の観光客たちが多くのこの水の町を訪れる。
日曜日、バイトで船頭に入った茜もお客を乗せて、3回の川下りを終え、ヘトヘトで船頭部屋へと戻って来た。
「おう、お疲れ」
船頭長の田上が声をかける。
「お疲れ様でした」
茜はどっかり、椅子に腰をおろしペットボトルのお茶を飲んだ。
「いつも助かるよ。ここんとこコロナ明けからお客さんの流れが止まりゃしねぇ。コロナん時にやめていった船頭も多いけん。圧倒的に船頭が足らんもんね本当に・・・」
田上は愚痴をこぼすと、のど飴を彼女へ投げた。
両手で飴を受け止める。
「ありがとうございます」
「乾燥しとるけん。喉ば気をつけとき」
「はい」
「そういや、明日バレンタインやろ」
「・・・あ、そうだった。今度、義理チョコを皆さんに贈りますね」
「はははは、さんきゅー。ところで茜ちゃん、本命はいるの?」
船頭長のドストレートな質問に部屋にいる船頭達はこぞって耳を傾ける。
「そ、そうですねー。あっ、私、時間なんで帰りますね」
茜はそそくさとその場をあとにした。
「いるな」
と船頭長。
「ええ」
と皆は頷いた。
「ただいま~」
と茜は家に帰りつくと、自分の部屋に入りベッドに倒れ込んだ。
「明日がバレンタイン・・・か」
彼女は思わず呟いた。
(渡すべきか・・・渡すべきだろう)
茜は幼馴染のケンジの姿を思い浮かべた。
妄想で、チョコを貰ってニヤニヤと笑う彼の姿がみえた。
「癪だわ」
思わず独り言を放つ。
(でも・・・)
仮に渡さなかった場合を想像すると、しょぼくれ顔でしょんぼりしている彼の姿があった。
(しょうがないか)
茜はむくりと起きあがると台所へと向かった。
「母」
「なに?」
「チョコって手作りがいいのかな」
「何?突然」
「だから、バレンタインデー」
「えっ・・・へっ、あなたが・・・まさか」
「まさかって何よ」
「そんな素振りなかったから・・・って誰よ。お母さんの知っている子?」
「関係ないでしょ」
「いやいやいや、娘の晴れ舞台、一生に一度しかない初告白」
「そんな重いモンじゃないし」
「・・・ん、ひょっとしてケンジ君」
勘のいい母は娘の幼馴染の顔を覗き見る。
途端に茜の顔が真赤となる。
「馬鹿っ!」
「そっか、そっか、皆まで言うな。お母さん、茜の為にひと肌もふた肌も脱いじゃる。じゃ、スーパーでチョコ買っておいで」
「はぁ」
「決戦は明日でしょ。ぼやぼやしている暇はないわよ」
「う・・・うん」
茜はスーパーでチョコを買って来ると、夕飯が用意されていた。
手っ取り早く食事を済ませ父や弟をリビングに残し、母娘は台所にむかった。
割烹着姿の母とエプロンと頭にバンダナの茜が真剣な眼差しで、テーブルに置かれたチョコとボールに型抜き、泡だて器を見つめている。
「いいこと茜。手作りチョコは正直、見てくれはどうでもいいと思うの。要はここよ」
母は左胸を右手で叩く。
「でも、せっかくなら」
「いい事?大事なことは気持ちを込め、後悔しない事」
「はあ」
「ついに茜も乙女の一大儀式の洗礼を受ける時が来たのね」
「大げさな」
「大げさなもんですか・・・さあ、レッツトライっ!」
そうして2人はなんだかんだで悪戦苦闘を重ねつつも、なんとか手作りチョコを完成させた。
「思ったように出来なかった・・・」
茜は残念そうに呟く。
「それがいいのよ」
母はバンと彼女の肩を叩く。
途中から父や弟が何事かと見に来ていて、成し遂げたことにサムアップをしていた。
「ばーか」
茜は笑って悪態をついた。
翌朝、誰よりも早く起きた茜は仏間で線香をあげた。
おりんをチーンと鳴らすと、
「じぃじ、ばぁば、とりあえず見ていて」
呟き、目を閉じると静かに祈った。
・・・・・・。
「よし」
目を開くと彼女は気合十分だった。
朝食を済ませ、いざ学校へ。
「茜、がんばれ」
父がサムアップする。
「おねえ、ファイト」
弟がガッツポーズをつくる。
「茜。恋はなるようにしかならない。当たって砕けろ。女は度胸」
母が笑顔で見送る。
「恥ずかしいなあ・・・もう」
ポリポリと頭をかきながらも、まんざらでもない茜は元気に家を飛び出した。
高校に登校し、早速その機会を伺うが中々タイミングが訪れない。
(ここは定番の放課後渡しかしら)
茜はチョコの入った通学鞄を見やり溜息をついた。
そうこうしている内に下校時刻となる。
(もはや、猶予はない・・・が)
彼女はケンジを見る。
彼は男友達と楽しそうに話している。
(アイツめ・・・悠長に)
一行に2人きりになる機会は訪れそうになかった。
(もう!)
茜はわざと椅子を鳴らし立ち上がると、つかつかとケンジの前に行った。
「ケンジ」
「ん?」
「体育館の裏来て」
「は?」
茜は肩をいからせて、先に教室をでた。
「お前、川田になにかした?」
「きっとしばかれるぞ」
「だけど・・・ひょっとしてチョコ?」
「まさか!」
彼の友人たちは笑いながらはやし立てる。
「アホか・・・ちょっと行ってくる」
ケンジは茜の後を追った。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・なんだよ。体育館裏って」
ケンジは訝しがって尋ねる。
「・・・はぁ」
廊下を早歩きする茜は、肩を落とし不意に立ち止まった。
「へっ?」
「忘れた」
「何を」
「教室に」
「だから」
「あー、私らしくないことするからっ!」
「・・・・・・」
「ケンジ」
「ん」
「この後、時間ある?」
「まあ、大丈夫だけど」
「舟乗らない?」
「突然だな。まあいいけど」
「そこで渡すから」
「う、うん」
茜は家に着くと、手作りチョコをポケットに入れすぐに飛び出した。
舟会社の乗り場に着くと、田上を見つける。
「田上さーん」
欄干橋の上から手を振る。
「おー、チョコもう持って来たのかい」
「御免違う~また今度ね。ちょっと今から舟借りたいんだけど」
「別にいいけど。まだこたつ片付けてないぞ」
「それでいいよ」
茜は桟橋まで一気に駆けると、竿入れから愛用の竿を取り出し、こたつ舟のデッキに飛び乗った。
「んじゃ、行ってきます」
「・・・ああ。片付けはよろしくね」
「うん、ありがとう」
茜は右手で桟橋のへりを押し、舟を左斜めに向けると、水底に刺した竿をしならせ反動で一気に推進力を得る。
そのまま舟は流れるように柳川橋をくぐる。
空はあいにくの曇天で北風が寒い。
茜は天候など気にせず、二つ川の岸へ舟を寄せる。
ケンジが歩道から手を振る。
彼女は舟を岸に寄せると、ロープをガードレール柱にくくりつけ、川側舟の前方に竿を突き刺し舟が動かないように固定する。
「(係留しなくても)別にいいのに」
「アンタこの前、落水したでしょ」
「フン」
ケンジは、スーパーで買ったビニール袋を片手で持ち、歩道から舟に飛び乗った。
ドン。
大きな音がして舟が揺れる。
「危なっ!もうちょっと静かに飛び乗りなさいよ」
「うるさいなあ」
ケンジはこたつ布団をめくると、腰を降ろすと足を中に入れてあったまる。
「ふぃー寒い・・・ほれ」
彼は身を乗り出し、彼女にコーヒー缶を渡す。
「ありがと・・・あったかい」
「ああ」
ケンジは頷いて、コーヒーを啜った。
茜は缶のプルタブを開き、一口飲むと足元に置き、竿で舟を進める。
彼はぼんやりと夕暮れ、川の景色を眺めている。
「・・・なあ」
ケンジが口を開いた。
「何?」
「寒いだろ。替わろうか?」
「いや、いい。竿をさしていた方が落ち着く」
「そうか」
茜の白い息が、曇り間から見せた薄紅の空に溶ける。
彼女が竿をさすピッチをあげると舟は勢いを増し滑るように進む。
城堀水門橋を抜け、掘割に入り、あめんぼセンターを曲がり、柳城橋をくぐって海苔倉庫を横目にスピードをあげる。
「どこまで行くんだ」
「落ち着くまで」
「そうか」
ケンジは頷くと黙って残りのコーヒーを啜った。
並倉の手前を曲がり袋町へと向かう。
舟はアメリカンでいごが冬枯れをしている下、辺りは薄っすら木陰で暗い。
「川下りコースだな」
「だね」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
2人はしばらく黙り込んだ。
茜は夢中で竿をさし、ケンジはぼんやりと景色を眺めた。
水辺の散歩道を横目に山王橋、柳川高校、弥右衛門橋、十時邸、まちぼうけの像、城西橋、柳城1号橋を越えるとやがて目の前に御花がみえてきた。
「おい。外堀も行くの?一周するぞ」
「うん」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「茜」
「ん?」
「ちょい替われ」
「・・・え」
「いや、あの俺寒いんよ。身体を動かして温まりたい」
「あ・・・うん、ごめん」
茜はデッキから降りると、竿をケンジに渡してこたつ布団に潜り込んだ。
「よいしょ」
彼は軽めのかけ声とともに、竿をしならせ舟をおす。
ケンジは竿をおしながら言った。
「足湯に寄って温まるか」
「いやいい、ジジババが多いから」
ちらり足湯を見、茜は東空に視線を移し言った。
「確かにな」
舟は宮永橋を抜け外堀ぐるり。
茜は腕組みをし、思案顔を続けている。
心の中で、
(渡さなきゃ。言わなきゃ。言うの?)
葛藤がぐるぐる彼女の頭の中を駆けまわっていた。
と同時に、
(もう言う場所が無じゃない)
予定していた足湯の渡す場所プランを過ぎてしまい焦っていた。
舟が城東橋へとさしかかる。
茜は意を決した。
「止めて」
「橋の下でか?」
「うん」
長い幅のある城東橋、ケンジは舟を寄せると、ゆっくりと橋下の護岸で止まった。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
ちょっとの沈黙。
「えいっ!」
気合をこめて茜は立ち上がる。
「はい、これっ!」
ポケットからごそごそ茜は手作りチョコをケンジへ手渡す。
「・・・ありがとう」
「うん」
「嬉しいよ」
「うん」
ケンジはデッキから降りると茜の横に座り、ラッピングの箱を開けチョコを取り出すと、
「溶けとる」
呟いた。
「あ、ごめん」
「ええよ」
一口かじった。
「ちょっと、苦いな。ビターか」
「うん」
「苦いけど。美味しい」
彼はチョコを割って彼女に渡した。
「う、苦っ!」
茜は顔をしかめる。
「そうか?」
ケンジは涼しい顔。
2人は顔を見合わせ笑った。
「あー緊張して損した」
茜は大きく伸びをする。
・・・・・・。
・・・・・・。
じっとケンジはその時をうかがっていた。
彼女の油断した隙をついて、彼は唇を奪った。
「な」
茜の顔は真っ赤となる。
「お礼」
ケンジは、思わずにやっと笑った。
「もう、知らないっ!」
彼女は立ち上がると、竿をとって急発進で舟を進めた。
「ごめん、ごめんて」
思わず謝る彼。
舟は陽の落ちた柳川の町を行く。
茜はケンジに気づかれないように、そっと自分の唇を左の人差し指で撫てくすりと笑った。
よかよか(笑)。