ちょっと休憩 三谷幸喜さんの『赤い洗面器』のこと。
資料本とにらめっこするのに疲れたので、休憩。
三谷幸喜さんのこと。
「え?ノベライズも書いたりしてるみたいだけど、映画監督や舞台演出の他は、エッセイや脚本家のイメージが強いけど?」
そう思う方も多いかと思います。
そうですね。
今回の話は、書き方というより創り方、ボクがSNSに入会するたびに必ず1度は書く、三谷幸喜さんに対して推測した持論です。
それは、『『赤い洗面器の男の話』は、実は三谷幸喜さんの作品創りの基本なのではないか?』論です。
『赤い洗面器の男』。
三谷幸喜さんファンならニヤリと笑う小ネタというか、なんというか、小噺なんですが。
ちょっとうろ覚えですが、その内容は────
道の向こうから、頭に赤い洗面器を乗せた男が歩いて来る。
思わず訊いた。
男は答えた。
「───
という話です。
三谷幸喜さんファンならニヤリと笑う小ネタというのは、この小噺、男が何と答えたのか、視聴者は聞けないのです(笑)
『古畑任三郎』で数度、『王様のレストラン』でも1度かな?、登場するのですが、様々な理由で、答えが聞けないのですよ(笑)
で、ボクの理解としては『どんなにおかしな状況にも、必ず、それなりの理由はある』というメッセージではないか?、と。
代表作『古畑任三郎』は、主人公が感じる(見つける)違和感から、真相にたどり着く物語。
まあ、すべての推理モノは、だいたいそーですが(笑)
それから三谷幸喜作品の笑いのパターン。
コミカルな三谷幸喜作品には、あらゆる笑いのパターンが内包されていますが、特に“物語”という形のために、よく見かける気がするのは『楽屋裏と舞台』の形。
これはボクが勝手に命名したもので、ホントは、何か正式名称があるのかも知れませんが。
トラブルが起きて、みんなでワイワイガヤガヤ、またはヒソヒソと相談する(ここが“楽屋裏”です。場所を問わず)。
そのうち、話が脱線して変な結論に着地する。
さあ!と気合いも入りトラブルと対峙します(ここが“舞台”です。場所を問わず)が、そこで滑稽なことをしてしまってる自分に気づき、我に返る。
または、予想外の展開になりアタフタする。
『王様のレストラン』や『HR』などで多かった印象です。
『それなりの理由があって、変なことになってしまう』のです。
まあ、前者は、当たり前と言えば当たり前すぎる発想ですが、後者は、作品をユーモラスなものにしたい書き手さんには、「あ、そーゆー笑いなパターンもあったな」と参考にしていただけるのではないかな?と思って書いてみました。