技術? 暗示的看過法
ザックリ説明すると、『言わないと言いながら、言っちゃう』表現。
そんな手段がなんの効果を生むのか?
この表現の例文としてヴォルテールの『アンリアッド』、アンリ4世が聖バルテルミーの虐殺を語る場面が、よく引用されるそうです。
しかし、教養のないボクは全然知らない作品で、手元の資料の引用の切り取り方では、意図がよくわかりません。
なので、(間違ってるかも知れませんが)ボクなりの解釈で説明するために、それをマネた文章で例文にしたいと思います。
例えば、戦争の惨さを表す端的な文章を用意します。
※
逃げまどう人々に、哄笑を挙げながら兵士たちが行った蛮行。
家々の戸を蹴破っての浅ましく掻き出すような略奪。
泣き叫ぶ少女を押し倒して遂げられたおぞましい欲望。
家族の前で刃に貫かれた父や兄の姿。
実際の例文は、もっと凄惨ですが。
例えば、※の文章が、主人公の
あの光景のことはもう語りたくない。
という言葉に続いて綴られたら、『いかに惨たらしい光景だったか、そして、それがいかに主人公の心に強く残っているか』が強調されると思いませんか?
または、戦いの終結のために条約を結ぶことを選択した王が、そのことを国民に告げるための演説での
「もはや、彼らが我らに対して行ったことを問わずにおこう。
という言葉の後に※の文章が綴られたら、『いかに許されざる残虐な仕打ちであったか、そして、それでも条約の締結を受けたことがいかに苦渋の選択であったか』が強調されるような気がしませんか?
ちょっと、ボクの拙い文才では伝わりにくいかも知れませんが、こんな風に、この表現方法の効果を解釈しています。
他にも、いろんな事柄や感情の“強調”の方法として、活用できる技術だと思っています。