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2019年12月26日短編投稿 移稿 『大人になったなら読み返すべきだと思う『坊っちゃん』 うろ覚え ネタバレ(って、昔からある作品だけどね)』


 たぶん、本を本格的に読んでるかたには、ボクよりもくわしく語れるかたがいるだろう話。


 夏目漱石の『坊っちゃん』。


 たぶん、社会の教科書の、文学史のページには、名前があるのではないでしょうか?


 小学生の時に読みました。

(※追記 小学生でも読める作品です)


 ただ、中学生になって創作に興味を持った時、「どーして、これが教科書にるような作品なのだろう?」と、どーしても謎だったんです。


 面白かった。

 まあ、かっこいい話と言えなくもない。


 でも、意地の悪い表現をすると、

『まっすぐで不器用な青年が、ズルく立ち回ってるヤツを、「文句があるなら警察でもなんでも連れてこい!」とブンなぐる話』(ごめん、かなりうろ覚え)


 もっと意地の悪い表現をすると、

『昔のケンカの話を自慢する、お酒の席でうっとーしがられるオッサンみたいな話』(この表現は社会人になってから考えました)だな、と思っていたのですよ。

 身のほど知らずにも。

 ええ、もーバカです、ホント。



 認識が変わったのは成人してから。

「小説の勉強として、今まで読んだ作品を読み直してみよう」と、いろいろ読み直した中の1冊でした。


 ハッとしたのは教頭の赤シャツの所に乗り込んだあたり。

(うろ覚えなので主旨のみ)


「うらなり君を追い払って浮いた金なんかで、給料を上げてもらいたくなんかないから断る! だいだい、あなたは……」と、いろいろ言うのだけど、のらりくらりと言いのがれられてしまう。

 で、赤シャツの家を出た坊っちゃん。

 〆(シメ)の文章が、『天の川がきれいだった』とか、なんとか。


 ボク、思ったんですね。

「コレは、天の川のことが言いたいんじゃない。

『やりきれない気持ちで、おもわず夜空を見上げた』ってことを言いたいんじゃないのか?」と。


 で、考えたんですよ。

「この『坊っちゃん』の、『書いてないけど言いたいこと』を読んでみたらどうだろう?」って。



 ところが、ここでゆきまってしまった。

 ボクは、そんなに感性のするどい人間ではないもんで。


 で、本の、今まで読んだことのない部分を読むことにしたんです。

 物語の後に書いてある、どこぞのエラい人が書いているんだろー『解説』。


 手始てはじめが新潮社から出てた『坊っちゃん』。

 この出会いが良かった。

 B6サイズ版だったかな?


 その後も、いろんな本を探しましたが、ボクの知識の7割は、この本と斎藤美奈子センセイの本じゃないかな?




 ネットをする前の、本を乱読しての調べで、もううろ覚えですが、ボクなりの認識を要約すると……




 夏目漱石センセイ自身は、そんなことを一言も言ってないけど、文学関係の人で、この作品を『書いてないことを読みとる作品』と認識してる人は多い。


 その結果、『この物語は、これから死を選ぼうとしてる男の独白どくはくである』という極端きょくたんな説を唱える人までいる。


 斎藤美奈子センセイは、

「この作品で、主人公をタイトルの『坊っちゃん』と、呼ぶのはきよ(主人公の家の下女げじょ⇒日本版メイド 念のために言っておくけど、おばーちゃんである)だけである。

 この物語は、主人公と清との物語である」

(愛称として、だと思います。

 野だいこも侮蔑ぶべつ的な形容詞として『坊っちゃん』という言葉を口にします)


※ボクなりの発見※

 いちばん始めの文、

『親ゆずりの無鉄砲で、子供の頃から損ばかりしている』。

 その後に少年期のエピソードが続くので気づきにくいが、『頃≪から≫』ってことは、少年期の後、つまり物語で描く松山での言動も、『損ばかりしている』⇒『後悔している』と語っているのではないか?


 自分のことを『親ゆずりの』と表現するくらいだから、心の奥ではつながっていそうなイメージを持ちそうになる。

 しかし、冷静に読むと、家族の誰一人だれひとり、ただの一度も、主人公に暖かい言葉をかけた者がいない。


 ましてや、父親の言葉で、主人公は自分に対するレッテル、将来をネガティブに認識する。(『ろくな者にならない』)

 自分や将来にポジティブな認識をしたのは、清のおかげだった。(『それなりの人物になるのだろう』)


 清からの手紙を夢中で読む主人公。

 手紙には『風邪かぜをひいた』ことが書かれている。

 そして、『風邪が治った』という言葉が、物語の最後まで出てこない。

 物語の後半、主人公が家を買ったのを『喜んだ』とは書かれているが、下女なのに、家の中を動き回ったという描写がない。

 そして、清の死因は【肺炎】である。


 主人公が辞職する教職と、転職した鉄道夫では、収入は、けたちがいである。



 つまり⇒

 家族からの愛情を受けずに育った主人公。

 ただ一人、下女の清だけが愛情を注いでくれた。

 松山で主人公は、清の人柄の高潔さと、注いでもらった愛情を再認識する。

 しかし、その時には死別しべつきざしが、始まっていた。

 さらに、(家を買ったりもしてるので、はっきりと断定できないが)収入の低い主人公では、満足のゆく治療を手配できなかった。

 そして、そのことを、主人公は悔やんでいる。



『青春活劇』なんて紹介される『坊っちゃん』が、書いてないことを読むと、ぜんぜんイメージがちがってくるんです。


※ボクだけの意見※

「清と一緒に東京で家を持つんだ」のセリフがね……。

 うまく言えないんだけど、なんか「んだ」が、駄々っ子の叫びみたいな、つらい中で高ぶった感情で出る言葉みたいなニュアンスを感じるんです。

 「ぞ」でいいんです、「持つぞ」で。

 そこまでの人間関係的には。

 うまく言えないんだけど、この「持つんだ」を思い出すたびに、胸がキューッと切なくなるんです。




 物語の終盤、主人公は、『そうそう、』と、まるで思い出したみたいに清のことを語ります。

 それを、主人公の、(愛していたことに対する)【かくし】だと言う人もいます。

 ボクも賛成です。


 なぜならば……

 清がね、「坊っちゃんと同じ墓に入りたい」って言うんです。

 亡くなる前に。

 主人公と清は、強い信頼関係があったとしても、他人なんですよ。

 社会的には。

 これね、わりと自由な現代でも、むずかしいらしい。

(ボクはチャレンジしたことはないけど)

 ましてや、物語の舞台は封建的な社会です。

 封建的っていうのは、制度や上下関係によって、個人の権利や意思が軽んじられるという意味みたいです。

 現代よりもね、もーっと、むずかしいんですよ。

 でも、それを、主人公は実現した(みたいです)。

 実現したとしたら、かなりの苦労をしたハズなんです。

 ここまで、主人公は軽快な江戸弁で、わりとおしゃべりに物語を語ってきています。

 なのに、ここだけ、その苦労を、たった3文字の言葉でますんです。

『≪だから≫、清の墓は小日向の養源寺にある』だったかな?

「清が願ったから、俺はそうした」。

 主人公にとって語るべきことは、それだけなんてすよ。

 どう苦労したかじゃなく。


 『書いてないことを読んで』見え方が変わった物語を、もう一度読み返してください。

 できれば、ボクの「んだ」のことも。

 そして、最後の文章。


『だから、清の墓は小日向の養源寺にある』


 なんか、胸が、ギューッと締めつけられませんか?




 井上ひさし先生は、この≪だから≫について、こんなことを言ったらしい。


「文学史上、最も美しい『だから』である」


 書いてないことを読むことで、見え方の変わる物語、『坊っちゃん』。


 久しぶりに、手に取ってみませんか?



 

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