ちょっと休憩 ボクの考える最強冒頭文
サンディエゴにはおよそ三百万人の市民が住んでいるが、そいつらがどういうわけだかいろんな怪我や病気を背負い込んでホッジ総合病院にやってくるから、ERにいる俺は馬車馬三頭分くらいハードに働いてそいつらを決められたところに追いやる。
舞城王太郎『煙か土か食い物』
これです。
ボクの考える冒頭文、物語の第1文目の文章として最強だと思うのは。
理由は、“書かれていない(明文化されていない)情報の多さ”です。
まず、この作品は一人称小説です。
一人称小説とは、登場人物の誰かの視点、認識によって構成されている小説です。
ボク的には三人称小説よりも“声”として読み手の頭の中で再現される度合いの強いジャンルだと思っています。
つまり、その“声の設定”の為の情報を、できるだけ早く、詳細に届ける必要があります。
まず、速度。
音楽の楽譜で喩えるならメトロノーム記号でしょうか。
いきなり(数え間違いでなければ)112文字の長文。
自然、読んだ方の頭の中では、かなりの早口で再現されなかったでしょうか?
これは、朗読や演技者のように書かれた文章を声に出す職業や経験のある方なら、更に顕著になるかと推測します。
台本において読点(、←これです)は息継ぎの目印の役目も兼ねます。
(たしか橋田壽賀子さん脚本『渡る世間は鬼ばかり』の長セリフの読点は、そーゆーことも考慮して入れてられると聞いた記憶が……)
112文字(かな?)に読点がたった2つの長文が目に入った時点で、読み手は無意識に速度が上がります。
次は調子、節回し。
──、そいつらがどういうわけだか──や、──馬車馬三頭分並みに──などの言いよう。
軽口を叩く、というヤツです。
落語ならご隠居さんに「つまんないこと言うんじゃないよ」と、たしなめられるような、明るく揚々としたちょっと抑揚のある口調を想像しないでしょうか?
そして、以下、物語に絡んでくるだろう情報。
“俺”の一人称。
それなりに仕事を任されて、こなしている状況と軽口。
充実と落ち着ききっていない若さ。
三十代の男性でしょうか。
軽口や重要な事柄を──決められたところに追いやる。なんて表現するのは、有能で自信家なのでしょう。
運び込まれる重症者たちを“そいつら”と呼称するのは、思い入れというより“こなさなければならない課題”的なニュアンスを感じますから、医師を目指したのは“生きるため”か、多忙を極める職場環境で意識が変化したのかも知れません。
(そー言えば、このあと彼は職場を離れて日本に向かい物語は始まるのですが、気にしてるのは主に女性関係のことでした)
主人公は、サンディエゴのホッジ総合病院のERで多忙な日々を過ごしていた。
明文化されている情報は、実はこれだけです。
しかし、語り口次第で、実にたくさんの情報を含んでいく。
その1文で、この物語は始まります。
そして、この含まれた情報は、後で変化を見せ、読み手にいろいろな感慨をくれます。
ボクが物語を読む時に小さな文章にこだわるクセがあるのは、この気づきのせいかも知れません。
ま、ボクには書けない、こなせないことですけどね(笑)