戦術? (たぶん一人称小説の)服装描写 または省略論
さて、資料本は2冊目に突入。
こちらは、ボクが好きで時々 読み返す本なんですが。
まず手始めは、資料の誤読だと(資料本は、また、最後に公開します)批難されることを覚悟で言い切ってしまいます。
『服装の描写(とか色々)は、語る理由がある』です。
引用されてたのは前 都知事の石原慎太郎さんの若い頃の作品『太陽の季節』。
指摘の始まりは、『映画化され『太陽族』と呼ばれる若者風俗の由来となった作品は、実は服装に関する描写は3ヶ所しかない』でした。
この場合の“風俗”とは、エッチな意味ではなく、ファッションなどの暮らしぶりという意味です。
若い方に念のために言いますが。
実際は“太陽族映画”と呼ばれた映像作品たちが若者を牽引したのだ、と。
原作の描写部分を“主人公の視線を通じて”と解説されてますから一人称小説なのでしょうか。
読んだこたー無いし読む予定も無いですけれど(笑)
で、展開した論が
『服装描写は、その語り手の内面描写である』です。
ボクたち書き手が、登場人物の容姿を書き綴るのは、読み手の頭の中に画を提供する為です。
でも、書き綴るにあたっては、そこに必然性を用意する必要がある、または、その事で語り手の人柄や心情を現す手段として用いる、というところでしょうか。
必然性としては例えば、
★悲恋モノでその原因が“住む世界や価値観の違い”なら、語り手(主人公)がこれまで接してきた人たちとは明らかに違う、だから周囲から浮いて異彩を放っていた、なんてものがあるでしょうか。
★内面描写と重複しますが、嫌悪感や不信感を持った、逆に好感や異性として意識するようになった理由として。
内面描写としてなら例えば、
★その登場人物の容姿に心奪われた、強く心に残った、なんてものでしょうか。
★好感を持っている、または魅力を感じていることを現す一環として。
★いつもとのギャップに強いインパクトを受けたことを現すために。
語り手が語り手自身の装いについて語るなら例えば、
★特別な場や状況として緊張していた、または、何の思い入れもなくリラックスしていたことを現す一環として。
★情けないことになった、または、追い込まれてかなりヒドいことになったことを強調する1つとして。
★若き日の自分を苦々しく、または恥ずかしく思い返す一環として。
等になるでしょうか?
キリが無いから、この辺で切り上げますが。
で、逆に言えば、展開に影響がない、語り手の思い入れがないなら、省いて語らない選択もあります。
で、ここからは少し論点がズレるのですが、読み手にくどさを感じさせないために省くことも大切だと思うんです。
または、自分の中で、「理由があって書いた、書かなかった」の確信を持つこと。
ボクの持論なのですが、書き手をノイローゼに追い込んで書けなくする“書き手殺しの感想”の1つに、
『画が見えてきませんでした』
または、
『少しクドいように感じました』
があると思ってます。
明確な基準がなく、書き手として割と核心を責められたような気分になる感想。
その時に心を強く保てるためにも、「書く際に考慮して意識して書いたのだ」という想いがあれば、または、この視点で見直して自分としては納得できれば、「あ、そーですか。残念だなぁ」と開き直れます(笑)
ここからはボクの勝手な付け足しなんですが……。
基本、簡潔な方がいいと思ってます。
書き手的には作品やキャラクターに対して思い入れがある場合、文量や文字数が増えがちになりやすいですが。
たぶん、読み手の気持ちが“だれる”のは、この辺の配分な気がします。
スッパリと省くのもセンスです。
それと、内面描写も兼ねているからこそ“言葉のチョイス”が大切になる気がします。
『モノは言いよう』ってヤツです。
“派手”なのか“きらびやか”なのか“華やか”なのか。
各言葉からの受けとるイメージって変わりますよね?
それに“汚い身なり”と“ひどく汚れた身なり”では、語り手の人柄や、対象に対してどーゆー感情を持っているかが変わると思います。
だいぶボクの勝手な解釈で説明、特に後半は持論の展開でしたが、ボクがこの資料本が好きで信頼し、読み返す理由が、おわかりいただけましたでしょうか?
いずれ資料本の名前は公開しますね。
以上、服装描写論、または書く書かないの物差し論でした。




