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第五話

 潮辛い泥炭ばかりが匂う岬に立つと、その子の赤毛は余計たよやかに増していく。鉛色に湿った空をその対比から跳ね返すのでなく、いったん水に入った顔料がそこを目指して、吸い込み吐き出しを繰り返し同化するように景色を同調させていく。単調な色彩ばかりに馴らされた村の保守的な(まなこ)たちは、はじめは怪訝の眼差しをしていたが、その互いの色が溶けあっていく様子に、いつしかずっと同じ振り子のリズムに親しんでいたような穏やかな表情を浮かべる。だれでもが、いつまでも。

 控えめな鉛色は、その単調さからいつも穏やかな波を打ち始める。少女の橙色の赤毛が風に舞うと、吸い込み吐き出すコントラストのハーモニーは適切なコードを選び、耳心地は停まることをしらない。ハーモニーが心地いいのは、顔料と同じく、それぞれの粒が立っているため。安易に溶け出すものは淀み、黒ずみ、足元に積み重なった泥炭を積上げるばかりとなる。この地が泥炭に覆われ、潮辛い風がピューピュー吹き出したときからの(ことわり)として、それは成されていく。

 鉛色の空から鈍く重い鉛色そのものが、ポツンポツンとふたりの赤毛の親子と三人の男の足元に降り落ちる。三人の男は、この村に唯ひとつあるドラッグストアーの主とこのとき居合わせた客以外の持ち合わせはない。

 注文品を紙袋に詰めたあと、店主のマイケルは他の客と同様に、こう付け加える。

「イーサン、お父さんみたいに鉄と仲良く慣れてきたかい」

「ダニエル、お父さんみたいに牛と仲良く慣れてきたかい」

 イーサンとダニエルは店主のマイケルが父親が亡くなったことでこの店を継がなければならなくなった経緯(いきさつ)をしっているから、毎回同じことを聞かれても嫌な顔なんてしない。それぞれ十通りある応えからカードを一枚引き抜けばいいだけだ。

「ありがとうマイケル、やっと今日みたいな暑い日に腕まくりしても火花がかからなくなってきたよ」

「大丈夫だよマイケル、どの牛の搾乳からも五十ガロン切ることはなくなったよ」

 今日の仕事がきつくてとても喉が渇いていたら、店の客はきっとそのあとにこう続けるはずだ。

「いつも気にしていてくれてありがとう。今日はとても暑くて喉がカラカラに乾いたんじゃないかい。よかったらビールを一杯奢らせて呉れないか」

 するとさっきのレジ打ちでお釣りが減ったあとのコインを補充しようと、後ろのカウンターに二十枚づつ積み上げられた1セント硬貨から7枚とりあげてレジスターの隙間にできたその中に仕舞い終えるまで、そのお客は暫く根気よく待たなければならない。マイケルは一度手を付けた作業の動線を止めたりはしないから。

「ありがとう、そのお誘いを行ってくれるだけで十分だ。なぜって僕はビールが飲めないからさ。だから僕の代わりにビールを飲んでくれないかな。そうしたら僕はビールをおごった気分になれて、君はビールが飲めるって寸法さ」

 この十年かけて練り上げた名文句を言い終えたマイケルは1パイントのエールビールをカウンターに置くと、十年前より少し太めになったお(なか)を突き出して今日一番のドヤ顔で客に微笑み返す。お客は、村のものよりほか客のやってこないこの店にもう他のお客のやって来ないのをしっているから、マイケルのドヤ顔が少しでも長く続くようにとほんの少し功徳に似た心持ちを加えながら、今日の疲れと暑さをなだめるための待ちわびていたビールを胃の中に流し込んでいくのだ。

 昨日と同じ明日を繋いでいく日常ばかりのこの村で、いくつかの小さな偶然が重なると、変化となる高さにまで積み上がってしまうことがある。イーサンとダニエルが頼まれた買い物ついでに、例の長い儀式を終えて、やっとビールにありついていた。暑かったせいもあるが、今日は二人とも、とてもよく働かされ疲れていたのだ。イーサンは、この村で一番大きな牛飼いの親方に頼まれていた金盥(かなだらい)を朝一番に持っていったら、「牛が顔を洗うんじゃあるまいし、こんな大きな洗面器をどこのどいつが使うっていうんだ」と突っ返されたので、昼メシも入れずに肩巾ちょうどの洗面器を作り直して、ほうほうの(てい)で親方のゴキゲンと注文どおりのお代を貰い受けてきたところだった。ダニエルのほうは、その同じ親方に朝一番に頼まれていたカッテージチーズを納めにいったら、「そんなバッサバサのチーズを家族みんな大好きだなんてお人好しがどこにいるっていうんだ」と突っ返されてしまい、慌てて家に帰ると、湯を沸かし絞ったばかりの湯気の出ている牛乳を皆んな放り込んで練り込んで、コブシ大のモッツァレラチーズ10こ納めて、ふうふういって親方のゴキゲンとお代を貰い受けてきたところだった。

「こっちも(おんな)じように昼めしにありつけなかったってワケさ」

 1パイントビールが半分になった頃、あの業突く張りのイジワル親方にさんざん振り回された者どうしの親密さが空になった小皿に盛られて、喉や暑さやイライラの乾きを潤す以上に滑らかさ近らしさを二人は共有した。

「・・・・・・それなら、仔牛に行水えお使わせるのに丁度いいから、親方が突き返した金盥(かなだらい)引き受けるよ」

「それなら、うちもカッテージチーズを引き受けるよ。乳の油のにおいのないチーズはパンみたいにワシンワシ食べられるからね。うちは家族みんなが大好きだよ」


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