第十五話
先に口にしたのは、イーサンだった。
結末はどうなろうと、穏やかな調べから始まっていく。美味いかまずいか、食べ物の入口に問うありきたりの挨拶のようなその言葉は、いまはあまり似つかわしくない。イーサンは与えられた大きな饅頭を食す好々爺の手真似で食し始めた。
穀類を粉にして丸め膨らませ、ハレの日の白い大きな球のようなご馳走、北方を出自としたかぶりつく好々爺の白い髭がよく似合う。
顔を覆う白い髭は、すぐに黒々に変色した。イーサンの口から黒々発泡したものがしたたり落ちてくる、溢れてくる。
つづいて、チロチロ腹の中から吹き上がり始めた炎が、零れるように、鼻の穴、耳の穴、尻の穴と弾け出し、すでに溶けて落ちてしまった眼窩から火柱が立ち昇る。
発火元の、五臓六腑を納めていた腹の中は大きな空室になって、火を回す円筒の機能と化している。
イーサンはおろか、ひとである痕跡は、いまだ崩れずに残っている両脚よりほか認めようがない。
まだ、一か所も破れずにいるジーンズはインディゴ色のままだ。モノクロを通しても、それは間違いなかった。両脚で支えている炎が、溶鉄に変わり、あの娘を供した四角い洗面器の姿まで取り戻すと、かつてイーサンの上半身を載せていた両脚は、駆け出し、あたまから池に飛び込んだ。
ジュっ
トーキー装置なんて持ってへんくせに、そこだけには音が入ってきた。
跳びこんだのは、洗面器の重さに負けたからでも熱さに正気を失ったからでもない。イーサンは己れの意思で池に跳びこんだ。それが、作法に則ってのことなのか逆らってのものなのか。それは、もうどちらでもいい。
それが、マイケルがイーサンを認めた最後となった。
ダニエルが砲丸のような大きな球に食らいついたのは、イーサンが溶鉄によって剝がされた五臓六腑が一気に泡のように発泡した、すぐ後だった。
ダニエルは、取り立ての大きなレタスにかぶりつく顔を作っている。その前歯が泥団子に当たるか当たらないかの瞬時に身体中の毛穴という毛穴から、なけなしのチューブの搾りかすのように沁み出だした乳白色は、発泡スチロールの膨らみをとおしてカッテージチーズの雲になった。
サイロの戸はすべて開け放たれ、牛が、羊が、山羊が、鼻にフックでも引掛けられたように、ぎゅうぎゅう詰めにサイロに入る。いつも真っ暗闇しかしらない干し草のうえで、もうダニエルの見えないカッテージチーズの雲は気持ちよさそうに横たわり、群がる養殖ウナギのためのキューブ型の餌になった。
再び、そこは真っ暗闇の支配する箱になったが、牛、羊、山羊の反芻は、延々続く。
画面全体がマントを掛けられたように真っ暗に止まってしまっても、何百何千の臼歯の擦れる音が伝わってこなくても、そこでの単調な営みがどのように進行しているかを、イーサンのときの激しさとは違う海に拡散する撒き餌のあわあわとしてマイケルは、見届けた。
ただ、どこがダニエルの最後の一滴だったか。残像をいくら凝視しても、一粒に絞り込むエンディングは見つからず、及ぶものは出てこなかった。
ー 次はマイケル、あなた ー




